G2、京都記念。
テイエムオペラオー、アドマイヤムーン。近年で言えばブエナビスタやクロノジェネシス──歴戦の名馬たちの多くが、この京都記念を足掛かりに大阪杯や天皇賞、果てはドバイや香港へ旅立ってきた。
一方、ここで悔しい思いをした昨年のリベンジを果たさんとする馬もいる。
トゥザグローリー、トレイルブレイザー。
そして、シックスセンスも、その1頭である。
長浜博之厩舎に所属する青毛のサンデーサイレンス産駒は7月18日、四位洋文騎手を鞍上に函館競馬場でデビューした。しいかし叩き合いの末、パーフェクトマッチに競り負けて2着。
とはいえ、3着以下を7馬身も引き離していた上々の走りで、次走では難なく勝ち上がる。だが、勢いそのままに挑んだデイリー杯2歳Sでは8着に敗れ、ここから重賞・OP特別を5連敗。
京成杯の2着による本賞金で皐月賞の出走になんとかこぎつけたものの、人気は単勝万馬券となる124.0倍の12番人気という評価だった。
ここまでの実績が未勝利の1勝のみ。
しかも前2走ではスタートで出遅れて届かないという競馬を繰り返していれば、この評価は当然であろう。
そんなファンの評価をよそに、四位騎手は新馬戦からずっと、じっくりと相棒に競馬を教え込んでいた。
直線の脚は確かなものがある。しかし如何せん、遊びながら走る癖がある。
そんな彼の癖や走り方を理解していたのだろう。
だからこそ、勝つより競馬を教え、最高の大舞台で勝つこと。
それを達成させるためにじっくりと彼の刃を研いでいたのではないか。
果たして彼は、これまで四位騎手がゆっくりと時間をかけ教えてきたスタート、折り合いの成果を我々に見せつけるように一瞬たりとも遊ぶことなく真剣に走った。そして直線で外から弾けるように伸び、成長過程のトライアルロードで敗れた好敵手達を1頭、また1頭と交わしてゆく。
──が、大外から「飛んで」きた、これまで見たことのない1頭がいた。
「一気にディープインパクトだ! 追ってくるのはシックスセンス!」
走るごとに、その差は開く。
追いつきようのない差が、みるみる開く。
「これは独走! ディープインパクト1着! まず1冠目は4連勝! 他馬を相手にしませんでした!」
そして、あれよあれよとクラッシクロードは過ぎ、気づけばディープインパクトは皇帝ルドルフ以来21年ぶりとなる無敗3冠達成という快挙を達成。
その後ろに、いつもシックスセンスはいた。
競馬の祭典も、トライアルレースも、最後の1冠も。
3着、2着、4着。
──時間にして、ほんの0コンマ何秒というわずかな差。
しかしそれは永遠に埋まることのないような圧倒的差。
このままではあの怪物に勝つことはできない。
繰り返されるその結末に、腐心する彼の『第六感』はそう感じ取っていたのかもしれない。
そして、ディープインパクトが有馬記念に挑む、2週間前。
異国の地香港にて、シックスセンスは奮闘する。
4コーナーを手応え抜群で回ってくると、そのまま海外の強豪達との競り合いへ。
馬群から抜け出したウィジャボードには大きく離されたが、香港代表のベストギフトを短頭差凌ぎ切る2着。
この年8戦した全てのレースで掲示板を外すことなく1年を終えることとなった彼は、いつの間にか人々から「最強の1勝馬」と呼ばれるようになっていた。
そんな同馬に、陣営は並々ならぬ思いを抱えていたのであろう。翌年のリベンジを強く誓い、香港を後にした。
そしてその香港遠征の2週間後、ディープインパクトは初めての敗北を経験。奇しくも同じ勝負服を纏うハーツクライは、春の中山でシックスセンスが身に着けた黄色帽・10番ゼッケンを身に着けていた。
翌年、2006年。
京都金杯をビッグプラネット、日経新春杯をアドマイヤフジが制し、春のビッグレースに向けた古馬戦線でディープ世代が強さを見せる中、主役・ディープインパクトが3月の阪神大賞典で復帰することを2月15日に明言。
さらに有馬記念で彼を下したハーツクライはドバイ遠征に向かい、天皇賞はおそらく回避であろう。
果たしてディープインパクトにもう1度土をつける馬は国内にいるのか、それとも、古馬になっても圧倒的強さを見せつけるのか……。
圧倒的人気馬・ディープインパクトの次走が発表され、我々が様々な思いを巡らせた3日後の2月18日、春に向けての試金石の1つであるレース、京都記念がやってきた。
この年の京都記念には、堅実に走り続け、重賞3勝を誇るサクラセンチュリーと菊花賞馬デルタブルースを筆頭として、常に重賞を走り好走を繰り返すシルクフェイマスやヴィータローザ、更には幾度も重賞で穴を開けてきたトウショウナイトやビッグゴールドにマーブルチーフ等、10頭という少頭数ながら相当に『濃い』メンバーが揃っていた。
そんな中で、堂々の1番人気は、1勝馬・シックスセンス。
その鞍上には同日東京にいた四位洋文騎手に代わって、ディープインパクトの相棒、武豊騎手の姿があった。
ゲートが開くと戦前から予想されていた通り、タガノマイバッハとビッグゴールドが我先にと飛び出してゆく。
一方、シックスセンスは順調にスタートを切ると、ゆっくりと位置を下げていった。
最初は武豊騎手の指示に背くように口を割って行きたがるそぶりを見せていたが、反抗してもなお手綱から指示を出し続ける鞍上に観念したのか、ようやくおとなしくなる。
──が、その時点で既にスタートから1000m。
高田潤騎手とタガノマイバッハが作り出したスローペースに触発されたか、坂の下りでシルクフェイマスとマーブルチーフが先頭の2頭に迫ってゆく。
先団の4頭と後方の6頭にはっきりとした差ができはじめ、ここまでシックスセンスをじっくり見ていた2番人気のサクラセンチュリーと佐藤哲三騎手も、流石にこれ以上差が開くとまずいと感じたか外に持ち出して進出を開始した。
しかしなおも、武豊騎手とシックスセンスは動かない。
横を行くデルタブルースとオリビエ・ペリエ騎手の激しいアクションとは対照的に、まるで石のように先団を見つめている。
600m通過地点、最後方。
4コーナーに差し掛かっても、まだ後方。
──いつ仕掛ける。
──1番人気だぞ。
──いつも乗っている『ディープ』じゃないんだぞ。
不安と焦りが増幅するファンの心配をよそに、彼らは冷静だったのだろう。
コーナーで先団から後退してきたビッグゴールドの外に道ができた、その時。
天才は、その瞬間を見逃さなかった。
跨る相棒にぴしりと肩ムチをくれる。
それを合図に進路を外に変え、一瞬で後ろのデルタブルースとブルートルネードを置き去りにした。
先に動いたサクラセンチュリーの外目掛けて矢のように伸び始める。
それに呼応するように、サクラセンチュリーもぐんぐん加速する。
先を行くマーブルチーフを捉えた2頭は、なおも鼻面を合わせて同時に伸びる。
内、サクラセンチュリーの脚色が勝っているのか、なかなか交わせない。
100m、50m、20m。
確実にゴールとの距離が短くなる。
しかし最後の最後、ほんの数m。
弾みがついたように縦縞の黄色いメンコがぐんと前に出た。
そしてそのフォームは、確かに鼻差だけサクラセンチュリーを捉え、ゴールイン。
どれだけ走っても詰まらなかった勝利へのその差が、遂にひっくり返った。
手が届きそうで、その度に厚い壁に跳ね返されてきた2勝目を手にした瞬間だった。
「今までたくさん迷惑かけてきたので、勝ててよかったです。強いメンバーとやってきた成果が、ここで出たという事じゃないでしょうか」
(武豊騎手 勝利騎手インタビューより)
この後、ディープインパクトとの再戦があるのではと問われ、「怖いですね」と語った同騎手。
しかしその表情には、若干の余裕が窺えたように見えた。
まだまだ負けない。自身の相棒の手応えと、今跨ったシックスセンスを比較してそう思っていたのだろうか。
だが、ディープのお株を奪うかのような最後方一気を披露し直線で遊びながら走る悪い癖も抜けた彼は、香港、淀での激闘で完全に一皮むけていた。加えて、まだまだのびしろを残している。
ここから更に成長すれば、或いは今度こそ彼を打ち負かすことができるかもしれない。
まずは香港で冬のリベンジを果たしそして宝塚で正々堂々、もう一度向かい合う。
陣営は4月の香港、クイーンエリザベス2世Cへの遠征を決めた。
そしてその2週間後、右前脚浅屈腱炎発症──。
軽度のものと発表されてはいたものの、発症から1か月後の3月31日、シックスセンスは現役引退を発表。
再戦、そして海外G1制覇という夢は、儚く散った。
そしてディープは天皇賞春、宝塚記念をもはや国内敵なしを見せつけるかのように圧勝の連続。
凱旋門賞は3着失格に終わったが、帰国後にはジャパンC、有馬記念と連勝。
最強の称号をほしいままにし、引退した。
競馬に「たら」「れば」は禁物。
だが、この時ばかりはこう言わざるを得ないだろう。
「無事だったら、成長したシックスセンスはどうなっていたのだろうか?」
ディープが成し遂げられなかった海外G1制覇を叶え、宝塚記念でフランスへ旅立つ好敵手に立ち向かう死闘を繰り広げ、「最強の1勝馬」からの下克上を、もしかしたら我々に見せてくれていたのかもしれない。
そんな妄想をしながら、私はあの世代を──そして、あの京都記念を振り返る。
英雄の、最大の好敵手が、最後に見せた激走を。
写真:RINOT、Hiroya Kaneko