寄り道、脇道、回り道、しかしそれらも全て道!
スマイルプリキュアより
──キュアビューティ/青木れいか
一般的に「プリキュア」と言えば、大人気アニメであるプリキュアシリーズを思い出す人が多いだろう。
しかし我々競馬民にとっては、競走馬のテイエムプリキュアが先に出てくる人も少なくないはずだ。
彼女は私にとって、不思議な縁を持つ1頭でもある。
「テイエムプリキュア」と名付けられたその競走馬は、9月3日、奇しくも私の誕生日と同日に、小倉競馬場の芝1200mでデビュー。
好スタートから逃げ、後に2冠馬メイショウサムソンと数々の死闘を繰り広げることになるドリームパスポートらを相手に、悠々押し切り勝ち。
次走かえで賞は10月23日。
あのディープインパクトが史上2頭目21年ぶりの無敗3冠を達成した日だ。
ここでは先行し直線、一旦は先を行かれたナイスヴァレーに並びかけると勝負根性を見せ競り勝ち、見事2連勝を飾る。
この勝利を受け、陣営は阪神ジュベナイルフィリーズへの登録を決めた。
──少し話はそれる。
この年、2歳女王有力候補の一頭にサクラバクシンオー産駒のラッシュライフという馬がいた。
彼女は私の祖父が人生最後に出資した、一口出資馬だった。
函館のデビュー戦を圧勝。
連闘で臨んだ函館2歳Sは頭差2着。
続くファンタジーSでは、直線に内を突いて抜け出し、残り200m。後ろの馬達とは圧倒的な差がある。
勝利を確信して普段寡黙な祖父と父がテレビに向かって叫び、私は飛び跳ねて喜んだ。
大外から迫る同じ勝負服の刺客に、アナウンサーの声で気づくまでは。
「外から一気にアルーリングボイス!まとめて差し切るか!捉えるか──捉えた!4連勝です!」
へなへなと、私たちはその場に座り込んでしまった。まだ6歳だった私に強烈なトラウマを植え付けて彼女はファンタジーSを制した。
一家の空気が、しばらくの間、言葉に表せないほどの空気になったのをよく覚えている。
──話は戻る。
祖父が出資していたラッシュライフは、右肩の筋肉痛でこのレースの回避を発表。「今度こそ」という思いが強かった私たちは、またもや肩を落とした。
そして迎える、12月4日のレース当日。
阪神の芝は良馬場発表だが朝からぐずつき模様だった空が10Rで遂に泣き出し、パドックの時には雷鳴を轟かせるほどの雨が降っていた。
そんな中継を、どこかつまらなさそうに眺める父たちの姿。
そこに14番、1番人気アルーリングボイスの姿が映った。
当時まだ幼かった私は、アルーリングボイスの姿を見て「出られなかったラッシュライフの分まで頑張ってほし」とは、思えなかった。
アルーリングボイスのファンの方々には申し訳ないが、子供の私からしてみれば「自分が大好きな祖父や父にあと一歩の夢を見させながらどん底につき落とし、悲しませた張本人(馬?)」なのだ。
頑張ってほしいなど、到底思えるはずがない。
ヒーロー・ヒロインが好きな私は出馬表を見た瞬間「アル―リングボイスという『大悪党』を打ち倒すのはプリキュアだ!」と、安直にテイエムプリキュアを応援することに決めていた。
師走の冷たい雨は結局レースまでやむ事はなく、ゲートが開いた。
好スタートを決めた小林淳一騎手とアサヒライジングが逃げキーレターとサチノスイーティーがそれを追走する展開。
横山典弘騎手が手綱を取る3番人気コイウタは内の6、7番手で足を溜める。
前2走で先行していたプリキュアは初めて中団に控えていた。その後ろに新馬戦で圧勝し、2番人気に推されたフサイチパンドラ。
アルーリングボイスは更にその後ろで、前走の再現を狙う格好だ。
そしてレースは3、4コーナー中間点。
改修前の内回り芝1600mは直線も短い。
それを見越してレースが動くこの場所で角田晃一騎手とフサイチパンドラは大外を突いて上がっていく。横山典弘騎手・コイウタは先行集団から馬群の間を狙う。
武豊騎手とアルーリングボイスは、まだ後方集団で脚を溜めている。
熊沢重文騎手とテイエムプリキュアは、馬群の中団から手綱をしごいて抜け出す機会を伺う。
人気3頭を含めた各馬と各騎手の駆け引きを挟みながら、直線へ。
逃げるアサヒライジングが粘りこみを図る中
1番人気のアルーリングボイスは外に持ち出されたが、前走のような末脚がない。
2番手集団からコイウタは抜け出せずに、競り合いから脱落。
とはいえ、一向に集団から抜け出してくる馬はいない。
このまま決まるか──。
しかし坂を登り切ったところで様相一変。
抜け出してきたエイシンアモーレとシークレットコードがアサヒライジングを捉えに出ようとするその刹那、ヒロインはやって来た。
4コーナーでうまく外に持ち出し、大外のフサイチパンドラに合わせる格好で伸びてきた彼女は、まるで前走のアルーリングボイスのような末脚で外からあっという間に先頭集団をとらえる。
そして、そのまま栄光のゴールへ駆け抜けた。
デビューからホップ、ステップ、ジャンプで一気に頂点を射止めたのである。
ダイユウサク以来14年ぶりのG1制覇を成し遂げた熊沢重文騎手。
プリキュアが2勝目を挙げた日に入籍していた熊沢重文騎手は、ガッツポーズの後、左手の薬指にキスをしたという。
彼らにとって、少し早いクリスマスプレゼントの訪れであった。
一方アルーリングボイスは後方のまま14着。
その結果に何処か釈然としない気持ちになったのだから、勝ってほしかったのかほしくなかったのか……はっきりしない、子供心である。
まあ、その中途半端な気持ちは成人した今でもあらゆる場面でよく抱くのだが。
この年、テイエムプリキュアは最優秀2歳牝馬賞を受賞。
愛される名前と未だ負けたことのない成績から、一躍クラシックロードの主役にのし上がった。
……が、彼女に待っていたのはあまりにも過酷すぎる茨の道だった。
年明けのチューリップ賞4着で初黒星を喫すると
本番の桜花賞は8着。中一週で使ったフローラSでは出遅れ7着。
オークスでは新星カワカミプリンセスによる女王交代の瞬間を後方で眺める事しかできず、惨敗。
そして度重なる不幸は続く。
脚部不安による休養。
それは同時に、春の雪辱を秋に晴らす道が絶たれたことを意味していた。
無敗制覇の瞬間「シンデレラ女王」ともてはやされた彼女はいつのまにか主人公から引きずり降ろされ「一発屋の早熟馬」というわき役にキャストを変えられていた。
その頃には、阪神JFの有力候補だったアルーリングボイスやラッシュライフも、気づけば一線級から姿を消していた。
明けて2007年。
3歳牝馬にダイワスカーレット、ウオッカ、アストンマーチャンが登場。
2強対決に沸くファン。牝馬がダービーを制するという歴史的快挙が起きて、いわゆるオンナの時代が始まった。さらには前年秋にエリザベス女王杯を制したフサイチパンドラや、その春ヴィクトリアマイルを制し、人馬共に初G1を成し遂げたコイウタといった、テイエムプリキュアが阪神JFで下した馬達が次々に栄冠を手にしていた。
そんな中、ひっそりと京都金杯から復帰した彼女は2年間負け続け、2008年暮れの愛知杯では18頭立て18着の最下位に終わった。
それは2歳の栄光から数えて、実に24連敗。
陣営は2009年の日経新春杯を最後に引退させることを決断した。
しかし彼女の魂は、死んでいなかった。
この「ラストラン」でスタートから先手を取ると、3コーナーで鞍上荻野琢真騎手の腕が光る。
一気に後続との差を広げ、直線へ向かうとあとは1人旅。最軽量ではあったが、出走馬で唯一のG1馬としての意地を見せた。
見事な逃走劇で飾った勝利に、陣営は引退を撤回。
その秋には、エリザベス女王杯ではクィーンスプマンテと痛快な逃走劇を演じ、3歳女王ブエナビスタを抑えて2着と大波乱を巻き起こす。
そこから5戦し、翌年のエリザベス女王杯17着を最後に引退した。
早い時期に栄光を掴んだものの、一転しスランプ。しかし「引退」という言葉が出た瞬間に復活……。
陣営にも、たくさんの迷いはあっただろう。
それでも私たちの記憶にしっかりと残っているように、彼女は、紛れもなく主人公だった。
それは歴代のどんなプリキュア達と比較しても
全く遜色ない「プリキュア」と言える大活躍劇だった。
後にも先にも、プリキュアが追い込んで好走したレースは、この阪神JF以外にない。
もしかしたら、当時の私の願いを感じたプリキュアが、アルーリングボイスの末脚を魔法で吸い込んで、それを炸裂させたのかもしれない……そんなことを思いつくほどに、印象深い阪神JFであった。