「……2億4000万円ございませんか! 落札価格、2億3000万円でございます」
時は2013年セレクトセール。税込みにして2億4150万円。
母マルペンサ・父ディープインパクトの鹿毛の牡馬が、超高額と言っていい価格で、「サトノ」の冠名を持つ里見治氏に落札された。
2年後、無事に競走馬としてデビューを果たすことになる彼は、額の流星が菱形である事から、「サトノダイヤモンド」と言う名を貰い受け、デビューを迎えた。
多くの人がイメージできる「ダイヤモンド」というその名は、タレント揃いが待ち受けたこの世代、そして、その先を目指す彼にとって相応しい名前であった。
ところで、実際のダイヤモンドの原石というのは取り扱いが難しいという。削りだす時や扱う時に一つミスを犯せば、とりかえしのつかない失敗作になる。
輝く宝石となり得るか、なり得ないか──。彼への注目はデビュー前から高まっていた。
原石、磨かれて
彼女の母、マルペンサは2010年、2011年にかけてアルゼンチンのG1を3連勝。吉田勝己氏に購入され、ノーザンファームで繁殖入り後、最初にディープインパクトとの間に産んだのがサトノダイヤモンドだった。
前述の通りこのセレクトセールで2番目となる高値で取引されたサトノダイヤモンドは、さっそく新馬戦でおなじく高額取引──彼を上回る2億5200万円で取引されたロイカバードと激突。
この新馬戦は「5億円対決」とも呼ばれた。ファンからの視線を一斉に浴びることとなったサトノダイヤモンドは、レースの終盤で捲ってきたダノンアローも、逃げるロードヴァンドールも、勝負所でぴったりと後ろを追走してきたロイカバードも問題にしないような快走。各馬が鞭を入れられる中、ただ1頭涼しい顔をして、雨の京都をノーステッキで突き抜け楽勝のデビュー勝ちを飾った。
続く2歳500万下も、後の重賞ホースマイネルハニーら実力馬を相手に快勝。年が明けたきさらぎ賞ではロイカバードとの再戦となるが、1.2倍の断然人気に応え、またもノーステッキのパフォーマンスで圧勝した。
ここまでほぼ鞭が使われていない圧倒的能力……。このきさらぎ賞後、最早その実力を疑う者はなく、サトノダイヤモンドは瞬く間にクラシックの本命クラスに躍り出ることとなった。
……が、断然の本命とはならなかった。
なぜならこの年は、群雄割拠の実力馬達が頂点を狙わんとしのぎを削る、充実した世代だったのである。
惜敗の春 成長の秋
朝日杯FSを制し、2歳王者に輝いた名牝シーザリオの息子リオンディーズを筆頭に、前走弥生賞で同じ鞍上ルメール騎手を背に父譲りの末脚を見せたマカヒキ、シーザリオと同世代で最後の1冠を手にしたエアメサイアの息子エアスピネルと、皐月賞を前にしてそうそうたる役者が顔を揃えていたこの世代。
だがそれでも、本番の皐月賞でルメール騎手はマカヒキではなく、デビューからずっと手綱を取ってきたサトノダイヤモンドに騎乗した。
「ダービーを見据えて、新馬戦からずっと乗ってきた馬で挑みたい」と。
そんなルメール騎手の期待に応えるかのように、サトノダイヤモンドは春のクラシックを懸命に戦い抜いた。
中山の直線で斜行の不利を受けようとも、府中の向こう正面で落鉄し、裸足で最後の直線を駆け抜けることになろうとも、その先に待つ栄冠を掴むため、ただひたすらに鞍上の激励に応え、走り続けた。
それでも、勝利の美酒を味わう事はかなわなかった。
皐月賞は大外から強襲したディーマジェスティとマカヒキの前に敗れ、日本ダービーは僅か8センチの差で惜敗。ダービー馬の称号は同じ父を持つマカヒキの手に渡り、サトノダイヤモンドは期待されながらも春の2冠を無冠で終えることとなったのである。
春の2走を惜しいレースとしつつも消化不良に終わったサトノダイヤモンドは、ダービー馬が凱旋門賞参戦を発表する一方、秋の名誉挽回を誓い、放牧へ。そして夏休みを終え、帰ってきた彼は秋初戦、東のセントライト記念で既にディーマジェスティが勝ち名乗りをあげ、ライバルとして意地でも負けられなかった神戸新聞杯を制すると、最後の一冠、菊花賞の舞台へ歩を進めた。
最後の決戦となる菊の舞台で、サトノダイヤモンドは2強を抑え1番人気。そのオッズは2.3倍。続くディーマジェスティが3.2倍で2番人気。後はもう、全馬が2桁以上のオッズを示す。春には彼らとともに5強ともいえるポジションにいたエアスピネルですら、前哨戦の神戸新聞杯で見せ場なく5着に敗れたことが影響してか、20.5倍の6番人気だった。3強対決と言うよりは皐月賞馬か、無冠の本命馬かという2強対決になっていた。
取ったタイトルに違いこそあれど、昔で言えばスペシャルウィークとセイウンスカイの菊花賞のような──そんな雰囲気すら漂う。
坂の頂上付近からゲートが開くと、あっという間にミライヘノツバサとサトノエトワールが逃げる。1000m通過を59.9とするハイペースのレースを作り出したかと思えば、2週目の向こう正面、内から数多くの馬が先頭めがけて進出を開始。瞬く間に先頭2頭が作り出した差は縮まり、急速に展開が一転した。
──が、そんな周りの馬の動きなど素知らぬ顔で、サトノダイヤモンドはただ自分のペースを貫き、走り続けてきた。
そして2周目3コーナー、坂の下り。
ライバルのディーマジェスティが自らに馬体を合わせてきたのにまるで呼応するかの如く、サトノダイヤモンドも進出を開始。激しく手綱をしごく蛯名正義騎手と対照的に、未だ馬なりでルメール騎手は先頭を射程圏に捉えた。
直線に向いた瞬間、鹿毛の馬体がその脚を一瞬にして繰り出し、あっという間に先頭へ躍り出る。
ディーマジェスティを置き去りにし、内から迫るエアスピネルに影も踏ませない。
1発、2発、激励の鞭がルメール騎手から入るその度に、サトノダイヤモンドは春の悔しさを晴らすかのように脚を伸ばした。その差、2馬身半の完勝劇。
幾度も苦杯を舐めた自身と、高額馬を買いつつも中央G1に手が届かなかった里見オーナー、そして中央競馬移籍前からクラシックでは連敗を喫していたルメール騎手。
彼らすべての鬱積を晴らす大輪が、淀の秋空に咲き誇った。
次なる舞台は、暮れの中山。待つのは古馬、そして、現役王者たちとの戦いが待っていた。
その背中を越えて行け
迎えた有馬記念、サトノダイヤモンドは並み居る強豪たちを抑えてファン投票2位、1番人気と堂々たる主役。
2番人気に、ファン投票1位、前走ジャパンカップで府中の2400mを逃げ切りG13勝目を挙げた王者、キタサンブラックが続いていた。
菊花賞馬の先輩としてサトノダイヤモンドを迎えうつ彼のほかにも、前年の覇者ゴールドアクター、春のグランプリ宝塚記念でキタサンブラック・ドゥラメンテらを封じ切ったマリアライトら、古馬初対決でいきなりの頂上決戦を迎えることとなる。
そんなメンバー相手だ。当然、ファンの心も揺れていた。
1番人気とは言え、2番人気のキタサンブラックのオッズとの差は僅かに0.1倍。
一足先に古馬路線に参戦したディーマジェスティがジャパンカップで古馬を相手に13着と惨敗していたことからも、果たして本当に通用するのかどうか、半信半疑な面は確かにあった。
だが、鞍上のルメール騎手は違った。
サトノダイヤモンドを、自らがデビュー戦からずっと手綱を取ってきた相棒を信じ続けていた。
真冬の中山、2016年最後のG1ファンファーレが鳴り響きスタートが切られる。
スタート直後からマルターズアポジーが飛ばし、キタサンブラックも逃げはしないがいつものように前へ進む中、サトノダイヤモンドは菊花賞同様、マイペースで中団へ。
スタンド前に向き、大歓声が16頭を迎え入れようとも動じず、淡々と鞍上が指示をくれるのを待っていた。
その指示は、1コーナーで早くも出される。
1000m通過61秒のゆったりした流れにフランスの名手は何かを感じたか、中団から先団、キタサンブラックの真後ろへ、獲物を狙う鷹のようにサトノダイヤモンドを押し上げる。
3コーナーで再度、僚馬サトノノブレスと共に王者へプレッシャーを与えると、キタサンブラックは首をもたげ、前に行きたがる。王者の余裕が一瞬、消えた。
勢いそのまま、400のハロン棒で加速してきたゴールドアクターと共に先頭2頭を飲み込みに行く。
マルターズアポジーはたまらず後退したが、キタサンブラックはもう1度伸びる。心臓破りの坂の手前で、4番手以下の後続ははるか後方。
王者の意地か、グランプリホースの復活か、ダイヤモンドが更なる輝きを増すのか。
優勝争いは、戦前の予想通り3強の熱戦に。
残り150m。
もう1度伸びるゴールドアクターを、更にもう1度突き放し返すキタサンブラック。
サトノダイヤモンドは若干遅れた3番手。最早、先頭には追い付けないか──。
王者は、決まったように見えた。
しかし、サトノダイヤモンドはもう1度伸びた。
観客の、この舞台特有の迫る熱に押されたか。
はたまた前を行く2頭の先輩の熱に負けじと極限まで闘志が高まったか。
坂を登り切って急加速。競り合いを繰り広げるゴールドアクターを一瞬で交わし去ると、粘るキタサンブラックを着実に追い詰める。
ゴールまで、残り50mもなかった。
半馬身、アタマ、クビ、ハナ、物凄い勢いでその差は詰まる。
そしてクビ差、僅かに王者の首先を捉えたところで、熱演は幕を閉じた。
「あまり話せない。すごくうれしいです」
レース後、馬上のルメール騎手は涙した。
素質馬と言われながらも無冠に、そして不完全燃焼に終わった春を乗り越えた秋。
ダイヤモンドの原石は、正真正銘、美しく輝くダイヤモンドへと進化した。
「競馬は時々難しいけど、今日は嬉しいです」
次年度以降の活躍、そして、遥かなるロンシャンの舞台での悲願達成に、その夢は広がった。
正真正銘ダイヤモンド
翌年、2017年。
阪神大賞典で復帰したサトノダイヤモンドは、1.1倍の断然人気に見事応え、快勝。
再度キタサンブラックが待つ天皇賞・春へと駒を進めた。
1000m通過58.3という、長距離戦では考えられないようなペースを繰り出したヤマカツライデンを見ながら2番手のキタサンブラック。一方、いつものようにどっしりと中団で構え、その脚を繰り出す瞬間を見計らったサトノダイヤモンド。
展開の利は、確実にサトノダイヤモンドにあった。
だが、王者は敗北の二轍を踏むことは無かった。
自らの父、そして、キタサンブラックの父の全弟が繰り出したコースレコード3.13.4を1秒近く更新するスーパーレコードの前に、完敗。
秋にはフランスに遠征し、夢の凱旋門賞制覇を目論むも15着。
帰国初戦の金鯱賞こそ3着とするものの、勝ったスワーヴリチャードとの反応の差は歴然。
大阪杯、宝塚記念と精彩を欠く走りで掲示板を外すその姿に、過去の王者の影は消え始め「終わった」とも言われ始めていた。
そんな声が聞こえ始めた。
6連敗で迎えた、京都大賞典。
逃げるウインテンダネスを中団から捉え、粘りこみを図る彼にシュヴァルグラン、レッドジェノヴァ、アルバートら後続が殺到。その怒涛の勢いに、飲み込まれてしまうかにも見えた。
しかし、残り100mで、まるであの有馬記念のキタサンブラックのように再加速。
突っ込んでくるレッドジェノヴァを半馬身封じ込め、1年半ぶりの復活劇を飾って見せた。
その後、ジャパンカップでアーモンドアイ、有馬記念でブラストワンピースの前に敗れ、新たな時代の立役者たちを見届けるように引退。5強の中でリオンディーズ、ディーマジェスティに続く、3番目の種牡馬入りとなった。その後マカヒキが、2021年に同じく京都大賞典で、8歳にて約5年ぶりの復活勝利を収めた。
3歳時に輝き、古馬になってからの勝利はたった2回。そんな彼を「完全無欠の名馬」と評する人はそれほど多くないかもしれない。
それでも──。3歳時に輝き、原石からダイヤモンドへその姿を確かに変え、さび付くような戦績となった後、再びG1の夢を見る輝きを取り戻したサトノダイヤモンド。
並み居る同世代のライバル達、そして「王者」の背中は、確かに超えていたのではないだろうか。
不撓不屈、ダイヤモンド級の諦めない、固い精神で。
写真:Horse Memorys