オフサイドトラップの「七夕物語」/1998年七夕賞
■七夕といえば、七夕賞?

子どもの頃の「七夕」は、ワクワクした。七夕の日には願い事を書いた短冊を笹に取りつけて、夏がやって来たことを実感する。そして夏休みが近づき、近所のあちらこちらで夏まつりや花火大会も始まる。七夕の頃には夏休みを楽しむ計画で埋め尽くされて、一年で一番楽しい時期だった。

大人になってからの「七夕」はどうか?有難く夏のボーナスをいただく時期ではあるものの、果てしなく暑く、しかも繁忙期であちこちへ飛び回らなくてはならない。ワイシャツ姿でのクライアント訪問は失礼とかで、その場でしか着ないジャケットを手に持ち、腕を汗まみれにして山手線に乗るのが大人の夏。それでも「七夕」ってフレーズを耳にすると、子供の頃を思い出す時もある。長く楽しい夏の始まりで、夏休みが終わる8月31日までは「トムソーヤ気分」で過ごせる解放感。「子供の頃は楽しかったなぁ」と思いながら現実と向かい合っている自分に、何となく可笑しくなるのが七夕の時期である。

競馬にどっぷり浸かってしまっている大人にとって、「七夕」と言えば、即座に「七夕賞」を連想するのは、私だけでは無いだろう。七夕賞といえば、夏のローカル競馬の始まりを告げる、名物重賞レース。サマー2000シリーズの開幕戦となる七夕賞は、数々の名場面を生んでいる。七夕賞は、6歳以上のベテランさんたちが優勝するのも特色のひとつで、2000年以降で11頭を数える。同時に七夕賞が念願の重賞初制覇となる馬も多く、猛暑の福島で歓喜の雄叫びを上げている。惜敗を積み重ね、気がつけばベテランの域に入ったオープン馬が、ようやく勲章を手にするシーンを見るとうれしくなる。

毎年見ている七夕賞で、「高齢馬×初重賞制覇」と言えば、真っ先に思い出すのが、1998年のオフサイドトラップである。オープン昇格後、重賞レースで2着3着を繰り返し、8歳(現7歳)でようやく手にした重賞タイトル。オフサイドトラップは、七夕賞制覇に行き着くまでが苦難の連続。そして、そこからのサクセスストーリーと悲しみを含んだG1制覇。彼のドラマチックな蹄跡の中で、七夕賞が際立っている。

■オフサイドトラップ、苦難の競走生活

オフサイドトラップの生涯成績だけ辿ると、順風満帆の競走生活だったようにも見える。未勝利からセントポーリア賞、若葉ステークスを3連勝してクラッシック戦線に乗り、皐月賞7着、日本ダービー8着を経て、重賞レースの常連となる。そして、8歳夏の重賞連勝で秋に大輪の花を咲かせ、暮れに引退。8歳まで現役を続け、天皇賞(秋)のタイトル含む28戦7勝の戦績は立派なものである。しかし、彼の戦績に常に伴走していたもの…屈腱炎との戦いがあった。

最初の屈腱炎発症は、4歳のクラッシックシーズン後だった。未勝利から3連勝後に駒を進めた、皐月賞→日本ダービー。そして続戦した福島のラジオたんぱ賞(4着)後に右前脚の腫れが確認される。

5か月後の中山、ディセンバーステークスで復帰(3着)したオフサイドトラップは、金杯(8着)を経てバレンタインステークスに出走。ゴール前で先頭に立ったオフサイドトラップにマーメイドタバンが猛追したものの、ハナ差で退けて復活勝利を果たす。しかし復活の喜びも束の間、レース後に再び右前脚の屈腱炎が悪化。今度は左脚にも不安を抱えることとなり、二度目の休養に入ってしまう。

その後、10か月後に復帰(ディセンバーステークス3着)したものの、再び11か月の休養に入るという屈腱炎との戦いが続く。

休養を重ねているうちにオフサイドトラップはいつの間にか6歳を数えていた。この間、皐月賞、日本ダービーで共に走ったナリタブライアンも屈腱炎で引退を発表。オフサイドトラップ陣営にも「引退」の文字がちらついたかも知れない。それでも、オフサイドトラップの能力を信じ、何とか競馬場へ戻してあげたいという関係者の懸命の努力が、復活の道を開く。

6歳秋の富士ステークスで復帰したオフサイドトラップは、重賞戦線に復帰し善戦する。復帰4戦目の東京新聞杯3着、続く中山記念、ダービー卿CTは共に2着に入った。馬齢は既に7歳。重賞レースで2着3着を続けるオフサイドトラップに、何とか重賞タイトルを取らせてあげたいという願いは高まる。脚部不安を抱え一生懸命走っているのに、ほんの僅か先頭ゴールに届かないオフサイドトラップの姿。誰もが、無事に走り切り、そして願いが叶うことを祈るように見守っていたはずだ。しかしその願いも届かず、5月のエプソムカップ(6着)後、再び屈腱炎の症状が悪化した。

さすがに、オフサイドトラップの復帰はもう無いだろうと思っていた。ナリタブライアン世代の同期たちも次々現役を引退。シルクジャスティス、メジロブライトたちの世代が古馬の主力を形成していた1998年春。8歳になったオフサイドトラップは競馬場に再び姿を現す。

3月の東風ステークスで復帰し、7番人気ながら2着に好走すると、新潟大賞典2着、エプソムカップ3着と、年下の馬たちを相手に奮闘した。しかし、これが彼の実力だろうか?それとももって生まれた運なのだろうか?年齢を重ねても念願の重賞レースの先頭ゴールは、僅かなところで逃していた。

■「夢叶」が現実となった七夕の歓喜

オフサイドトラップにとって最後のチャンスだと思っていた。復帰後4戦を消化し、脚元がそろそろ悲鳴を上げる頃。夏のローカル重賞で相手も少しは楽になるはずだ。次走に予定した福島の七夕賞は、「夢叶」のラストチャンスになると思われた。

七夕賞の鞍上は、主戦の安田富男騎手から、リーディング上位の蛯名正義騎手にスイッチした。出走馬は16頭。1番人気は武豊騎乗の5歳馬ランニングゲイル。4歳時に弥生賞を制覇し、日本ダービーで5着に入っている。オフサイドトラップは2番人気で、他のメンバーは、中山や府中で戦ってきた連中と比べて、少しは楽にも見える。

レースは人気薄タイキフラッシュが誘導する形で始まる。ホーセズネック、メジロスティードが続き、オフサイドトラップは中段で動かない。蛯名騎手は、武豊騎手をマークしているのか、ランニングゲイルの動きが見えるすぐ後ろにつける。レースは淡々と進み、3コーナーを回っても、最低人気のタイキフラッシュが最内をキープしながら逃げている。隊列はほぼ変わらず、ホーセズネック、エイシンビンセンス、メジロスティードが続く。ランニングゲイルが先に仕掛けても蛯名騎手はオフサイドトラップにゴーサインを出さない。

直線に入っても快調に飛ばすタイキフラッシュ。エイシンビンセンスとホーセズネックが追う内からセイントリファールが伸びてくる。ランニングゲイルの伸びは見られず、このまま前残りで決まるかと思った時、外からオフサイドトラップが伸びてきた。

オフサイドトラップは二番手集団を瞬く間に飲み込むと、内で粘るタイキフラッシュに迫る。一完歩毎に差が縮まり、2頭が並んでオフサイドトラップがクビ差出たところが、ゴール板だった。

3歳12月にデビューして、重賞レースに挑戦すること12戦目。8歳7月になって念願の重賞制覇を果たすことができた。屈腱炎と戦いながら、長い長い回り道をして、ようやく自らの手で掴んだ重賞タイトル。七夕賞制覇となる5勝目は、5歳春のバレンタインステークス以降、実に3年5カ月ぶりの勝利だった。

■現役継続への努力が報われた、最高の大団円

夏の福島で花が咲いた勢いは、福島から新潟へ舞台を移しても続く。夏のフィナーレを告げる新潟記念に出走したオフサイドトラップは、今までのもどかしさを払拭した別の馬になっていた。七夕賞と同じように、道中は中段を進み、直線で一気の勝負に出る必勝パターン。ゴール前まで先頭をキープしたガールスカウトに、5歳馬ブラボーグリーンが馬体を併せ、先頭に躍り出る。完全に抜け出したブラボーグリーンを標的に、オフサイドトラップはあっという間に外から並びかけ、ほぼ並んだ状態でゴールを通過した。結果はハナ差、オフサイドトラップが前に出ていた。

夏の重賞連勝で迎えた秋の舞台。1998年の天皇賞(秋)は、驚異のスピードを誇る絶対王者との戦いだった。重賞連勝時の鞍上、蛯名正義騎手は先約があり、オフサイドトラップには柴田善臣騎手が騎乗することとなった。

サイレンススズカのためのレースとなるはずだった天皇賞(秋)。スタートからサイレンススズカの独壇場。1枠1番から飛び出したサイレンススズカはどんどん差を広げていく。2番手につけたのは逃げ馬のサイレントハンター、オフサイドトラップも好スタートから3番手につける。柴田騎手としては入着を狙った戦法なのだろうか、想定される展開では中段以降からの追い込みでは届かないと思ったのだろうか。サイレンススズカを考えずに好位から直線雪崩れ込む作戦のようにも見える。

遥か彼方を行くサイレンススズカ、大きく離れた2番手を進むサイレントハンター。オフサイドトラップは残りの9頭を誘導するようなポジションでレースを進める。

そして、大欅を過ぎた3コーナーで、あの悲劇が起こった──。

サイレンススズカを避けようと外に膨らんだサイレントハンターと、状況を見据えて内を選んだオフサイドトラップ。柴田善臣騎手のこの判断が、オフサイドトラップにG1タイトルをプレゼントすることとなる。場内が騒然とする中、直線で押し出されるように先頭に立つオフサイドトラップ。ゴール前で蛯名騎手がステイゴールドを御して迫って来るが、オフサイドトラップが粘り切り、8歳の天皇賞馬が誕生した。

もしサイレンススズカが無事完走していれば、オフサイドトラップは天皇賞入着でキャリアを終えていただろう。しかし、起こって欲しくなかったアクシデントにより、ぽっかり空いてしまった1着のポジションに彼が選ばれたのは神様が決めたことではない。オフサイドトラップを万全の態勢で競馬場に送り出し、彼の能力を信じて8歳まで現役を続けさせた、関係者たちの努力が実を結んだ現実である。

七夕賞での執念の末脚から始まったサクセスストーリー。長い人生の中で、「どんなことも最後の最後まで諦めたらダメだな」という教訓にもなる1998年の七夕賞。私の大好きなレースのひとつだ。

Photo by I.Natsume

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