メジロマックイーンの1着降着/1991年天皇賞(秋)

あなたの好きな馬は? 思い出のレースは? 

初対面の競馬好きの人とのコミュニケーションワードは3つある。これを行使すれば、大抵の人とスムーズに話せるようになると思っている。それが、下記の3つである。

  • 競馬を好きになったきっかけのレース、または馬は?
  • 一番好きな馬、思い出の馬は?
  • 思い出のレースとそれにまつわるエピソードは?

クラブの募集馬バスツアーで、席が隣の人や食事の席が近くになった人とこの話題で親しくなり、継続してコミュニケーションを取るようになったパターンも多い。

──では、私の場合はどうか。

競馬を好きになったのが小学生の頃だから1つ目は割愛するとして……。

「一番好きな馬は?」という問いには、「メジロマックイーン」と即答できる。

メジロマックイーンの現役時代から幾年もの月日が流れたが、未だに彼を上回る「推し馬」は登場してこない。純粋に馬を愛し、競馬場で馬を見ることにどっぷりと浸かっていた時代に巡り合った馬だっただけに、彼を超える馬の登場は難しいような気がする。

良く聞かれるのが、メジロマックイーンを好きになった理由だ。芦毛のオープン馬が珍しい時代に天皇賞を勝ったのがマックイーンの父メジロティターン。更にその父メジロアサマも芦毛の天皇賞馬である。競馬関連の書籍も少なかった当時、読み漁った情報から得た「メジロの芦毛血統」に惚れた。

「思い出のレースは?」と言われればベスト100でも絞れないくらい続々と登場し、酒を飲みながらエピソードを語り出せば、缶ビールを1ケース飲み干しても語りつくせないと思う。

そんな中で細分化していくと……。

「一番うれしかったレースは?」と言えば、やっぱり1992年春の天皇賞だろう。

当時は古馬の頂上決戦というムードが強く、最強世代の決定戦ともいえる6歳馬(現5歳)と5歳馬(現4歳)の一騎打ち。今年初戦となる阪神大賞典を楽勝して順調に駒を進めたメジロマックイーンに対して、ダービー優勝後頓挫があったものの、復帰戦の産經大阪杯(当時G2)を好位差しのお手本のようなレースで勝ち上がり、無傷の7連勝で駒を進めてきたトウカイテイオー。

マックイーンvsテイオーの天皇賞は当時のTVのスポーツニュースや新聞の一般紙でも記事になるなど、世間的にも非常に注目される一戦となった。

岡部騎乗のトウカイテイオーが1.5倍の1番人気、武豊騎乗のメジロマックイーンは2.2倍の2番人気。テイオー支持がマックイーン支持を上回ることに憤慨しつつ、スタートを待つドキドキ感──。中団後方で1周目のホームストレッチに帰ってきたメジロマックイーンのすぐ後ろに、トウカイテイオーがつける。2周目の3コーナーの坂の手前でメジロマックイーンが仕掛けてその外にトウカイテイオーが並びかけて直線に向かう。「さぁ、一騎打ち!」と思われた瞬間、トウカイテイオーが失速。結果はメジロマックイーンの圧勝で、春の天皇賞連覇を達成したのだった。

レース録画を何回も再生して、直線は自分で実況できるくらいレースを見て勝利を喜んだことを思い出す。

逆に「一番悔しかったレースは?」と言えば、間違いなく1991年秋の天皇賞である。

個人的には、デビュー2年目の江田照男騎乗のプレクラスニーが勝った天皇賞……というより、メジロマックイーンが1着降着となった雨の天皇賞・秋。

メジロマックイーンの先頭ゴールの後も、煌々と点灯し続ける着順掲示板の「審議」の文字。非情な結果を告げる場内アナウンスと、どよめきと怒号が入り乱れる場内。

後味の悪さとぶつけようのない悔しさを抱えて帰路に就いたことも、懐かしい思い出として残っている──。

1991年のメジロマックイーン

1990年、4歳(現3歳)シーズンのメジロマックイーンは、菊花賞を勝っている。しかしアイネスフウジンの「ナカノコール」で盛り上がったダービーの頃は4歳500万下クラス(現3歳1勝クラス)で足踏みをしていた。夏の北海道シリーズで連勝し菊花賞出走にこぎつけた、典型的な「夏のあがり馬」と言える。メジロマックイーンはここから更なる成長を遂げ、名馬の域に入り込んでいった。

年が明けて1991年、4か月の休養を挟んで登場したのが阪神大賞典。このレースから鞍上が武豊騎手に変わり、危なげないレース運びで優勝する。

そして迎えた春の天皇賞。菊花賞で上位争いしたメジロライアンにホワイトストーンも揃って参戦、今年に入り金杯、目黒記念を勝ってきた6歳馬カリブソングを含めてメジロマックイーンにどう絡めるかが焦点になった。

結果はメジロマックイーンの圧勝で、親子三代天皇賞制覇という偉業を達成。3000m以上のレースを3連勝し現役最強ステイヤーとしての地位を揺ぎ無いものにした。

続く宝塚記念は2200m。絶対王者の風格すら見せてパドックを回るメジロマックイーンは1.7倍の圧倒的人気、4.1倍でメジロライアンが続く。レースはイイデサターンの逃げで始まり、ホワイトストーン、メジロライアンが追いかける展開に。メジロマックイーンは余裕で追走も、直線手前から先頭に立ったメジロライアンを捕まえることができずに2着に敗退。天皇賞で見せたような最後の伸びが無く、瞬発力勝負に出たメジロライアンに敗れた。

「3000m以上ならメジロマックイーン絶対も距離短縮ではどうか?」

翌日のスポーツ紙にそんな記事が掲載されていた。

幻となった春秋連覇/1991年天皇賞・秋

夏を順調に過ごしたメジロマックイーンは秋初戦として京都大賞典に参戦し、59キロを背負うも単勝1.1倍の圧倒的1番人気で登場。レースはほぼ馬なり状態で追走し、直線手前で先頭に立つと差を広げ、メイショウリトビアに3馬身1/2の差をつけて秋初戦を勝利で飾る。

2400mなら大丈夫でも、更に400m距離が短縮になる天皇賞でどんなレースをするのか?

誰もがメジロマックイーン絶対と思いつつも、宝塚記念での最後の瞬発力勝負に後手を踏んだシーンを思い出して、レースが近づくにつれそんな声も聞こえ始めた。

迎えた天皇賞当日は明け方から降っている雨が更に強くなり、馬場は不良馬場。

一緒に行こうと予定していた仲間も雨で来場を断念し、ひとりでスタンド内をウロウロしながらメインレースまでの時間を潰す。

傘がいっぱいで良く見えないだろうパドック観戦は諦め、早々にゴール過ぎの柵の前を観戦ポジションとして陣取った。

15時20分を過ぎ、入場行進曲に合わせて誘導馬が本馬場に登場。雨に煙る灰色の世界に次々と出走馬が現れる。

カメラを構えてこちらにやって来る各馬を狙うも、雨に煙り薄暗い場内、ほとんど判別ができない。当時のフイルムカメラは今とは違って動く被写体への反応は遅く、ピントがなかなか合わないばかりか、薄暗い状態ではシャッタースピードが遅くなりブレ率も高い。

目の前を通過する各馬にひたすらカメラを向けてシャッターを押す。ミスタートウジンに焦点を当てていたら、内埒沿いからカミノクレッセ。プレクラスニーが近づいてくるがピントが合わない。ムービースターを狙っていたら大外からミスターシクレノン……。

ファインダーの中央にピントの合った馬体を収める作業に四苦八苦する中、目当てのメジロマックイーンが1頭でやって来た。馬場の中央を落ち着いて返し馬に入っている。カメラ越しに見える彼の姿にホッとしながら通リ過ぎる姿を見送る。

最後にホワイトストーン、ヌエボトウショウが通過し、18頭の撮影タイムが終了した。

府中競馬場にG1ファンファーレが鳴る頃、更に場内が暗くなりスタート地点は雨ますます見え辛くなってきた。場内の実況に耳を傾けスタートを待つ。

フェイムオブブラスが出遅れた以外は、ほぼ一斉のスタート。

ムービースターが飛び出したすぐ横を、大外からメジロマックイーンが鼻を奪う勢いで並びかける。団子状態になった先頭集団からプレクラスニー、ホワイトストーンが抜け出し、そこへメジロマックイーンが馬体を寄せていく。この時、アクシデントが発生しプレジデントシチーが落馬寸前の不利を被るも、スタンドからは全く見えていない。先頭集団が向正面に入る頃、審議の青ランプが灯ったことを実況で知るが、この時は気にも留めず先頭の3頭が映るターフビジョンを見ていた。

隊列は変わらずプレクラスニーを先頭にホワイトストーン、メジロマックイーンの3頭が後続を離し気味に4コーナーに向かう。

──そして直線。

実況は場内の歓声でかき消され、展開がどうなったかはカメラ越しには判別不能。

ターフビジョンに目を向けると芦毛3頭から1頭が脱落、外から黒い馬体が数頭伸びて来ている。外が有利かなとカメラの焦点を向けかけた時、真ん中から芦毛馬が大きく見えてきた。

「メジロマックイーンがプレクラスニーを振り切った!」

メジロマックイーンが、カメラのファインダーにどんどん入り込んでくる。しっかりピントを合わせるのが困難で、焦っているうちにその姿が最大になった。

「メジロマックイーン、これは楽勝。メジロマックイーン、ゴールイン!」

実況に合わせるように目の前をメジロマックイーンが通過、武豊騎手のガッツポーズも確認できた。

2着のプレクラスニーに6馬身差。これでミスターシービー、タマモクロス、スーパークリークに並ぶ「天皇賞春秋連覇」を達成、雨に濡れながら喜びが爆発した。

掲示板の審議文字が時折気になりつつも、勝者メジロマックイーンのウイニングランを待つ。

雨が降り続く中、芦毛の馬体が近づいてくる。目の前で武豊騎手は手を挙げ、メジロマックイーンの首筋を撫でながらゆっくりと通り過ぎて行く。

ただ、天皇賞馬の凱旋を見送った後も審議の文字は点灯したまま……。

「上位入線の馬が審議の対象になっていますので──」

場内アナウンスを聞いた面々は、対象の「上位入線馬」が誰なのか周辺でも詮索が始まった。メジロマックイーンはウイニングランも済ませたので対象外だと自分に言い聞かせながらも、何故か落ち着かない。

心の片隅に生まれた嫌な予感というのは、結構な頻度で的中する時がある。

衝撃の場内アナウンスの後、点滅していた着順掲示板の馬番が消え再び点灯した時、1着の馬番13は10番に置き換わり、「審」の表示は「確」に替わって赤ランプが点灯。ターフビジョンにもメジロマックイーン18着に降着の案内が表示され、場内は更に騒然となった。

この後の競馬場での記憶はほとんど無い。

気がつけば、京王線の車内で、暗くなっていく車窓をぼんやり眺めていた。

メジロマックイーンが斜行しなければ……

自宅に戻ってビデオ録画しておいた天皇賞中継を再生し、レースを確認した。

印象に残ったのは、検量室での武豊騎手の呆然としている姿と、突然優勝のレイを首に掛けられた19歳の江田照男騎手の困惑した顔。どちらも笑顔はなく、いつも見られる検量室のフィナーレ感が全くない殺伐としたムードが伝わってくる。

江田騎手の申し訳なさそうに優勝インタビューを受ける姿と、画面が変わって悔しさをかみしめるような表情のメジロマックイーンの北野オーナー。レース録画を見て、改めて大変な天皇賞になった事を実感した。

しかし、私がカメラ越しに見た天皇賞は、直線でメジロマックイーンがプレクラスニー以下を6馬身離してゴール板を通過したシーン。そして武豊騎手のどうだと言わんばかりの笑顔のウイニングラン。

メジロマックイーンは第104回天皇賞の優勝馬として完結している。

「もしも」や「たられば」で語っても事実が変わるわけでは無い。しかし、武豊騎手がメジロマックイーンの能力を信じて焦らずスタート後のペースに合わせて動いていれば、余裕で勝利していたはずだと思っている。それが、後の天皇賞3連勝の偉業につながり、勢いで天皇賞後のジャパンカップ(4着)、有馬記念(2着)の結果も違ったような気もする。

もし、時を戻してレースをやり直しできるならば、間違いなく「1991年秋の天皇賞」を選択する。そして、その現場に居ることができるなら、パドックの最前列に陣取って周回している武豊騎手とメジロマックイーンに向かって叫びたい。

「武さん! マックイーンの力を信じて、真っすぐ走ってくれ!」

Photo by I.Natsume

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