[競馬エッセイ]関東の刺客と呼ばれたライスシャワーの歩み

「俺はなあ、ライスシャワーが大好きなんだよ」。

生ビールをぐびぐびと飲み干したその男は、顔をくしゃくしゃにしながらそう言った。絵に描いたような”オジサン”の姿である。カラオケボックスと接続すれば浜田省吾の名曲がエンドレスで流れてきそうな男である。大学を卒業して早や35年、それ以来数えるほどしか会っていないのだが、ぼくはこの男とつかず離れずの距離を保ちながら付き合ってきた。初めて会ったのは大学の入学式。たまたま座った席が隣り合わせで、生来の人見知りを押し殺すように話しかけてみたらなんと出身地が隣町だった。よくできた話というかどうなのか、高千穂遙の小説が好きという共通の趣味もあって、気が付いたら友達になっており、つるんでいるうちに何の因果か同じサークルにまで入ってしまったのだった。

「ライスはいいよ、ライスは。ほら、看板に偽りなしって言うじゃないか」

その男は、抜け目なく、通りかかった店員に生ビールのお代わりを注文しながら続けた。

「看板に偽りなし? 一体何のことだ」

「ほら、クラシックレースってのは、毎年いくつかの前哨戦があって、その勝敗が本番につながっていくだろ? その前哨戦の勝ち馬どうしの力関係ってのは、これはもう一緒に走ってみなきゃわからないだろう。だから人は言うのさ。『関西の秘密兵器』とか、『関東の刺客』とか」

「ああ、確かに」

「でもまあ、普通はそんな通り名って独り歩きして看板倒れしちゃうことが多いんだよ。刺客も秘密兵器も。『関西の秘密兵器』は秘密のままでした、なんてな」

「まあな」

「でも、ライスは違う。あれは正真正銘の関東の刺客だった。そうだろう?」

──そう、ライスシャワーは違っていた。彼はまさしく、正真正銘の『関東の刺客』だったのだ。


ライスシャワーは、デビュー当初から”刺客”だったわけではない。

1991年3月、美浦の飯塚好次厩舎に入厩したライスシャワーは、牡馬にしては小さな馬体だったことから、飯塚調教師も担当厩務員も大物感に欠けて見えたと言う。7月に熱発を起こしたこともあり、デビューは8月の新潟開催まで見送られた。芝1000mの新馬戦、飯塚厩舎所属の水野貴広騎手を鞍上に、2番人気に推されたライスシャワーは先行策から逃げるダイイチリュモンを直線で競り落として初勝利を飾る。次戦で重賞である新潟3歳ステークス(芝1200m)に挑戦したライスシャワーであったが、水野騎手の騎乗停止による乗り替わりもあり、出遅れた不運もあって11着に大敗。3戦目に陣営は、格上挑戦となる中山競馬場1600mの芙容ステークスを選んだ。前走を受けた騎手からの距離延長の進言もあり、再び鞍上に水野騎手を擁したライスシャワーは、直線入り口で襲いかかってきた一番人気のアララットサンとの競り合いを制して2勝目を挙げた。しかしこのレースの後骨折が判明。3か月の療養を余儀なくされた。

翌1992年3月。復帰したライスシャワーは、ベテランの柴田政人騎手を鞍上に、中山競馬場で行われる皐月賞トライアルのスプリングステークスに出走。ここには2歳王者のミホノブルボンをはじめとして、後のスプリント王者のサクラバクシンオーなど、トライアルレースだけにさすがに役者が揃っていた。中でも最注目はミホノブルボン。血統的にはマイナーであり距離不安も囁かれたが、栗東の戸山為夫厩舎のスパルタ調教で力をつけクラシックディスタンスへと挑んできた。唯一のGⅠ馬でありながら、しかしファンの支持は二番人気。やはり語られる距離不安説が影響してのことだろう。1番人気に推されたのはノーザンコンダクト。しかしゲートが開いたら、そこからはミホノブルボンの独壇場だった。栗色の堂々たる馬体がスタートを決めてハナに立つと、そのまま影をも踏ませずゴールへ飛び込んだ。ライスシャワーは遙か後方で4着での入線だった。

続くクラシック第一弾、皐月賞。ライスシャワー陣営は鞍上に的場均騎手を迎えた。しかしファンの興味は未知の距離に立ち向かうミホノブルボンへと集中していた。当然のように1.4倍の1番人気に推されたミホノブルボンは、スタートして数完歩で先頭に立つと、そのままいつものようにひとり旅を始める。11番人気でこのレースを迎えたライスシャワーは、後方の位置取りとなっていた。4コーナーを回って直線。ミホノブルボンの逃げ脚は衰えない。逆に後続勢が苦しくなった。その差二馬身半でミホノブルボンがゴールへと飛び込む。ライスシャワーは後方、8着でレースを終えた。

ライスシャワー陣営は皐月賞後、ダービー前の更なるチャレンジとして、ダービーと同じ東京競馬場で行われるNHK杯へと出走を決めた。しかし重賞実績のないライスシャワーは完全に伏兵の扱い。結果は9番人気の8着も奮わず、勝ったのはナリタタイセイだった。

そして迎えたクラシック第二弾の日本ダービー。ここでも注目は二冠のかかるミホノブルボン。さらに未知の距離への挑戦が続き、単勝オッズは2.3倍の一番人気に支持されていた。一方のライスシャワーはと言えば114.1倍の単勝万馬券。18頭中16番人気の大穴扱いだった。ゲートが開く。当然のようにハナを奪って逃げるミホノブルボン。ライスシャワーは強気に2番手につけた。的場騎手は二回の騎乗でライスシャワーのスタミナに自信を持っていたのか、それとも先行粘り込みを狙ってなのか──。レースは4コーナーを回って直線へ。ミホノブルボンとライスシャワーの差は詰まらない。逆に3番手からマヤノペトリュースがライスシャワーに襲いかかってくる。必死で応戦するライスシャワー。それを尻目にミホノブルボンは後続に四馬身の差をつけてゴールテープを切り、無敗の二冠馬の称号を手に入れた。歓喜に包まれる東京競馬場。その中で最後の粘りを見せたライスシャワーが、競り合いからマヤノペトリュースを降して2着でゴールした。16番人気2着。これはフロックなのか、それとも隠れていた実力を発揮したのか…。


「フロックなんかじゃないぜ。父リアルシャダイに母父マルゼンスキー、どこをどう見ても1000mや1200mのスピード馬じゃない。陣営だってレースを戦っているうちにライスのスタミナに自信がついてきたんだろうと思うぜ。だからこそダービーでのあの強気の騎乗になったんだろう。競馬ファンだって馬鹿じゃない。秋初戦のセントライト記念、2戦目の京都新聞杯と連続して2番人気2着。ミホノブルボンには4連敗だけど、本番の菊花賞は京都競馬場の芝3000mが舞台、短距離血統のブルボンに対して逆転があって不思議ないと気が付いていたんだ。そう、気がついていたんだけどなぁ…」

菊花賞当日の11月8日。史上5頭目の三冠馬の称号を勝ち取るべく、ミホノブルボンの姿は京都競馬場にあった。無敗の三冠達成に期待する観客は12万人。単勝オッズ1.5倍の1番人気と圧倒的に支持されていた。一方のライスシャワーは離れた2番人気の7.3倍。しかし、秋2戦の試走でスタミナに自信を深めた陣営の表情は明るかった。

戦前の予想では展開のカギを握るとみられていたのは、もう一頭の逃げ馬ことキョウエイボーガンであった。逃げの手に出て神戸新聞杯を含む4連勝を記録した韋駄天であったが、もう一頭の逃げ馬ミホノブルボンとの初対決となった前走京都新聞杯においては、スタートで出遅れてハナを奪えずに良いところなく11着に終わっていた。今度こそは逃げたい、ミホノブルボンが逃げの手に出てももう譲らない──そう宣言するほど、キョウエイボーガン陣営の決意は固かった。その宣言通りキョウエイボーガンが逃げる時、ミホノブルボンはどう出るのか。行かせて二番手で折り合うのか? それとも、あくまでも逃げの形にこだわるのだろうか?

菊花賞のゲートが開いた。逃げようとしたミホノブルボンだったが、キョウエイボーガンが積極的に前に出る意志を見せると、小島貞博騎手は焦らずこれを行かせて2番手に控えた。ところが前に馬を置くことに慣れていないミホノブルボンは行きたがり、前を走るキョウエイボーガンを追い抜こうとして小島騎手に抑えられていた。ライスシャワーは5番手につけて、虎視眈々と出番を窺っている。レースは3000mの長丁場でありながら最初の1000mは59秒7という菊花賞史上まれに見るハイペースとなり、キョウエイボーガンを先頭とした馬群は縦長となっていた。2周目の坂の上り下りで失速したキョウエイボーガンを、満を持してミホノブルボンが交わして先頭に立ったが、これまでよりも長い距離が堪えているのかいつもの余裕がない。後ろに控えてこの瞬間を待ち構えていたライスシャワー、そしてマチカネタンホイザが襲い掛かる。最後の直線、ライスシャワーが前に出る。死力を尽くして抵抗するミホノブルボン。残り100m。ライスシャワーの脚色がいい。見る見るミホノブルボンを置き去りにする。ミホノブルボンはマチカネタンホイザにも飲み込まれそうになりながらも、最後の力を振り絞ってこれを退けた。半馬身、1馬身。ライスシャワーはもつれる2着争いを尻目に1馬身1/4差を付けてゴールへと飛び込んだ。走破タイムは3分05秒0の菊花賞レコード。初めての重賞勝利が輝かしいクラシック菊花賞制覇となった。


「でも京都競馬場はな、言わば完全アウェーなわけよ。それでなくても馴染み薄い関東馬なのに、スタンドみんなが期待していたミホノブルボンの三冠を実力をもって阻止しちまったんだから。スタンドはしーんと静まり返って、ライスのらの字も発することができないような状況だったそうだぜ。肝が縮むよな」

「そりゃあ確かに、いたたまれない気持ちにはなるかもな。だけどどのスポーツでも、ジャイアントキリングってのは多かれ少なかれ起こる話じゃないのか」

「それが出合い頭の1回ならな。ライスの場合、出会い頭の2回目があったんだよ。しかも菊花賞と同じ淀の舞台で。相手は忘れもしない、天皇賞(春)の…」

メジロマックイーン。伝統のメジロ牧場が送り出した本邦最高のステイヤー。祖父メジロアサマ、父メジロティターンに続いて、春の天皇賞を父系三代にわたって制覇。その一年後には、無敗の二冠馬にして皇帝シンボリルドルフの仔トウカイテイオーを敵に回してステイヤーの本領を発揮し、春の天皇賞二連覇を達成していた。

「ライスシャワーも有馬記念を8着と凡走した後、目黒記念を2番人気2着、日経賞を1番人気1着と順調に調子を上げてきた。しかし陣営としては、マックイーンを破るためにはまだまだ力が足りていないと考えたんだな。それはもう壮絶なトレーニングをライスに課したらしい」

「ほう」

「おかげでレース当日、元来小柄だったライスの馬体重は前走からマイナス12㎏の430㎏と、デビュー後最低体重。まさに矢吹丈戦を前にした力石徹のようなもんだ」

「その例えじゃ負けてしまうんじゃないか」

「まぜっかえすな。ともかく騎手の的場が言うには、ライスは研ぎ澄まされて馬じゃない別の猛獣みたいだったそうだ。指の一本も食いちぎられそうな、そんな気迫だったそうだぞ」

天皇賞(春)は京都競馬場の芝3200mで行われる。舞台が同じ淀であること、また同じく3000m超のレースであることから、秋に行われる菊花賞と親和性の高いレースである。前年の菊花賞馬であるライスシャワーは、メジロマックイーンの単勝オッズ1.5倍に次ぐ2番人気、5.2倍に支持された。レース前、メジロマックイーンがゲートに収まるのを嫌がり、発走が3分以上遅延するというハプニングの後、天皇賞(春)のゲートが開いた。前年の有馬記念を制したメジロパーマーが逃げ、メジロマックイーンはこれを見る一団の中に位置、さらにライスシャワーがマークするようにその直後につけた。ハイペースで逃げるメジロパーマー。三番手で追うメジロマックイーンと、そのすぐ後ろにライスシャワー。二度の坂越えを終えて最終コーナーでは完全にこの3頭が抜け出した。逃げるメジロパーマー。その外からメジロマックイーンがメジロパーマーを競り落とそうとする。しかしまだメジロパーマーも脚を残していて抵抗する。さらにその外からライスシャワーが鋭く襲いかかった。直線半ばで前を行くメジロマックイーンを捉えると、2馬身半の差を付けてゴールイン。メジロマックイーンの天皇賞(春)の三連覇を阻止した。走破タイム3分17秒1は菊花賞に続き再びのレコードタイムであった。新たな長距離王者の誕生だった。

「新たな長距離王者、といっても、どちらのGⅠ勝ちも皆に祝福されてっていう訳ではなかったよな。菊花賞はミホノブルボンの、天皇賞(春)はメジロマックイーンのそれぞれ記録達成を(ついでに武豊騎手の天皇賞(春)五連覇も)結果的に阻んじまったのだから、敵役扱いも仕方ないのかもしれん」

「少なくとも、空気は読んでいないな」

「ああ。しかしな。俺はこう思うんだ。ライスは確かに大物喰いだった。しかしライスは、敗れた大物たちと同じように傷つき、倒れ、血を流していたのではなかろうかと。自らを極限にまで研ぎ澄ませて、真正面からぶつかっていけば、当然ながら自身も無傷ではいられない。ヒールと呼ばれ、悪役扱いされたライスもまた自分の刃で自らを傷つけたのだろう。実際、ライスはこの後、長い長いスランプに陥ったからな。脚部不安も発症した。復帰した1995年の天皇賞(春)をライスは4番人気で勝ったが、もうその走りは全盛期の研ぎ澄まされた走りではなかったように思うんだ。それは最後のレースとなった宝塚記念も同じだ。ライスにとってのベストパフォーマンスとは、倒すべき強大な敵がいて、その存在に身一つで立ち向かう、いわばヒロイックな形でのレースではないかと思う」

「…ライスは幸せな競走生活だったのかな?」

「そりゃ、生涯に2度もジャイアントキリングを成し遂げたんだ。幸せだったと思いたい。いや、きっと幸せだったさ」

「『関東の刺客』と呼ばれても?」

「ああ。胸を張ってるぜ、きっと」

その男は力強く頷いた。胸を張るその姿に、小柄で生真面目なライスシャワーの姿が重なって見えた。

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