[天皇賞・春]キタサンブラックにマヤノトップガン…。レコードタイムで淀の2マイルを駆け抜けていった名ステイヤーたち

競馬の”スポーツ”としての一面を強く感じるのが、レコードタイムが更新された際に上がる歓声を耳にした時である。電光掲示板に『レコード』の赤い4文字が表示されると、各々のギャンブルとしての当たり外れはさておき、大きな歓声が沸き上がる。 

平成になって最初の天皇賞・春となった1989年。イナリワンが、1982年にモンテプリンスのマークしたレコードタイムを0.4秒更新する3分18秒8をマークした。この時もファンから歓声があがった。ただ、当時の長距離レースはスピードや瞬発力よりもスタミナを重視されていた。 

イナリワンの天皇賞・春から4年後の1993年。スタミナに加えてスピードも加味しなければ長距離レースには勝てない時代がやって来た。 

ライスシャワー(1993年 3分17秒1) 

1992年の菊花賞でミホノブルボンの牡馬三冠を阻止したライスシャワー。菊花賞での走破タイム3分5秒0は当時の芝3000mにおける日本レコードタイムだった。そして有馬記念(8着)、目黒記念(2着)の後、日経賞を快勝して天皇賞・春に向かった。 

この年の天皇賞・春はメジロマックイーンの同レース3連覇が掛かっていた。その他にも前年の有馬記念などを制したメジロパーマーやダイヤモンドステークス(当時は東京競馬場芝3200mで開催)で日本レコード3分16秒8をマークしたマチカネタンホイザなどが出走するなど強豪が集結。それでも連覇中のメジロマックイーンが単勝オッズ1.6倍と、抜けた人気になっていた。一方のライスシャワーは離れた5.2倍の2番人気。ライスシャワーが離れた2番人気になったのは、馬体重が430Kgと日経賞と比べて馬体重が12Kgも減った事への懸念もあったことだろう。 

しかし『打倒・メジロマックイーン』に向け、ライスシャワー陣営は馬を究極の状態に仕上げるため馬に負荷を掛けていた。逆に言えば、それだけ追い込まないとメジロマックイーンには勝てないと踏んだということだろう。ライスシャワーの馬体はさながらマラソンランナーのように研ぎ澄まされていた。 

レースはメジロパーマーが逃げ、メジロマックイーンが4番手に付ける展開。的場均騎手とライスシャワーはメジロマックイーンを徹底マークするかのように直後に付ける。2周目の4コーナーを回って最後の直線でメジロマックイーンが先頭に立つと、ライスシャワーも追い出しに掛かった。そしてゴール200m手前でライスシャワーが先頭に立つと、メジロマックイーンに2馬身1/2差を付けて先頭でゴールした。 

走破タイムの3分17秒1は、イナリワンがマークしたレコードタイムを1秒7も短縮する驚異的なタイムであった。ライスシャワーの登場は、それまでスタミナ重視だった長距離レース界に『スピードもなければ勝てない』という新たなる時代が到来したことを告げるものでもあった。 

マヤノトップガン(1997年 3分14秒4) 

1997年の春の京都競馬は、天皇賞・春の前週に行われた芝1200mのシルクロードステークスでエイシンバーリンが1分6秒9のレコードタイムをマーク。天皇賞・春においても『ライスシャワーの3分17秒1をどの位更新するのか?』という声すら聞こえていた。 

1997年の天皇賞・春はサクラローレルとマヤノトップガン、それにマーベラスサンデーの3頭が抜けていて、”3強”と考えられていた。サクラローレルは有馬記念優勝後は天皇賞・春へ直行。マーベラスサンデーは産経大阪杯を制し、天皇賞・春に駒を進めた。 

対するマヤノトップガンは、阪神大賞典から始動。それまでのマヤノトップガンはスタートして好位置を付ける、あるいは逃げるなど、序盤から前につける競馬が多かった。だが、阪神大賞典で見せたマヤノトップガンは道中は最後方に待機。2周目の3コーナー辺りから進出して快勝した。 

迎えた天皇賞・春。レースはビッグシンボルが逃げる展開に。前半の1000m通過が1分2秒0と平均ペースでレースが進む。サクラローレルは馬群の中団外に待機し、それを真後ろでぴったりマークするマーベラスサンデー。マヤノトップガンは阪神大賞典と同様、後方からのレースとなった。 

レースが動いたのは2周目のバックストレッチ。サクラローレルが掛かり気味に上がって来た。これに釣られてマーベラスサンデーが上がってくる。人気馬2頭が早めに動いたことで天皇賞・春にしては珍しく馬群が乱れて出入りの激しい展開となった。マヤノトップガンは中団のインコースにいたが、前の馬が下がってきたこともあり3コーナーで外に出すが、前を行く2頭との差が開く。 

最後の直線。先に抜け出したサクラローレルとマーベラスサンデーだった。残り200mでサクラローレルが前に出た時、大外から黒い帽子の馬がやって来た。マヤノトップガンである。直線、驚異的な切れ味を見せたマヤノトップガンがサクラローレルを交わして先頭でゴール。京都競馬場の電光掲示板に『タイム 3分14秒4』が表示され、赤い文字で『レコード』と表示されると歓声が沸き上がった。これは、ライスシャワーのタイムを2秒7更新する超絶タイムであった。 

ディープインパクト(2006年 3分13秒4) 

マヤノトップガンの3分14秒4は当時の芝3200mの世界レコードであった。3200mを3分14秒台で走るのは競走馬にとっての限界点ではないか、という声もあった。しかし、それまでいくつもの衝撃を送った馬が2016年の天皇賞・春で、更なる衝撃を競馬ファンに送った。言わずと知れたディープインパクトである。 

2006年の天皇賞・春が行われた4月30日の京都競馬場。直前に行われた1600万下(現在の3勝クラス)の芝2400mのレースでは、前半1000mが1分0秒1の平均ペースで流れ、走破時計は2分25秒3とまずまずのタイムだった。しかし、レースの上がり3ハロンが33秒9とスピードとスタミナも大事だが瞬発力勝負も必要なレースとなっていた。 

レース史上最高の単勝支持率73.5%の支持を得たディープインパクト。その絶対的本命がスタートで出遅れると、観客席からはどよめきが起こる。だが、騎乗した武豊騎手は無理にポジショニングを戻そうとはせず、後方からレースを進める。 

ブルートルネードが前半1000mを1分0秒3のペースで逃げた。レースが大きく動いたのは第3コーナーの手前であった。後ろから3,4頭目にいたディープインパクトが動き出した。京都競馬場の外回りコースには高低差4.3mの坂がある。「ゆっくり上る」のが鉄則とされた坂の手前で一気にディープインパクトが動き出した。これには観客から再びどよめきが起こる。 

坂を下る途中で一気に先頭に躍り出たディープインパクト。ディープインパクトが一気に先頭に躍り出た事で2番人気のリンカーンに騎乗した横山典弘騎手が動き出すが、ディープインパクトとの差が詰まるどころか広がっていく。終わってみればリンカーンに3馬身1/2差を付けて、ゴール前では武豊騎手が手綱を抑えながら、ディープインパクトは先頭でゴールした。 

走破時計は、3分13秒4。マヤノトップガンのタイムを1秒更新すると、観客からは”ユタカコール”が起こった。この一戦は、レースの上がり3ハロンのタイムが33秒5と瞬発力も必要となったレースであった。ディープインパクトの天皇賞・春は、スピードとスタミナに加えて瞬発力も必要なステイヤーの時代が到来した象徴的な一戦でもある。

キタサンブラック(2017年 3分12秒5) 

ディープインパクト以降の天皇賞・春はビートブラックが2012年にマークした3分13秒8が最も早い時代が続いていた。ディープインパクトがマークした3分13秒3のタイムを更新する馬が果たして出てくるのだろうか…と、多くのファンが感じていたことだろう。しかしディープインパクトの衝撃から11年後の2017年、ディープインパクトの全兄ブラックタイドの子供のキタサンブラックが驚異的なタイムをマークした。 

2017年の天皇賞・春が行われた第3回京都開催は1997年のようなレコードタイムが続出する様な馬場ではなかった。しかし、天皇賞・春が行われた4月30日、芝1400m外回りで行われた1000万下(現在の2勝クラス)で1分20秒0をマークするなど好タイムで走る馬が出てきた。これを踏まえ、ディープインパクトの3分13秒3を更新するのではないかの期待は高まっていた。 

2017年の天皇賞・春は、前年にも天皇賞・春を制しているキタサンブラックと前年の有馬記念でキタサンブラックに勝利したサトノダイヤモンドとの一騎打ちのムードが漂っていた。有馬記念後、大阪杯を制したキタサンブラックと阪神大賞典を制したサトノダイヤモンド。単勝の馬券はこの2頭が売れ、3番人気のシャケトラが辛うじて10倍を切る9.9倍のオッズが示す通り、『キタサンブラックVSサトノダイヤモンド』の2強の様相であった。 

好スタートを切ったキタサンブラックだったが、事前の予想通りにヤマカツライデンが主張すると、2番手に控える。サトノダイヤモンドが中団より前目のポジションでレースを進める。前半1000mを58秒3のハイペースで逃げたヤマカツライデンに代わり、残り600m地点で先頭に立ったキタサンブラック。キタサンブラックの2馬身後方にサトノダイヤモンドが迫った。 

だが、キタサンブラックは持ち味の勝負根性を活かし、サトノダイヤモンドやシュヴァルグランなどの追撃を振り切る。2着のシュヴァルグランに1馬身1/4差を付けて先頭でゴールしたキタサンブラック。走破タイムの3分12秒5はディープインパクトがマークした3分13秒4を0.9秒更新した。このタイムは現在も芝3200mの世界レコードタイムとして残っている。 

写真:かず、Horse Memorys

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