きみがいない未来と、パンサラッサのこと - 2022年・天皇賞(秋)

2022年の天皇賞・秋、パンサラッサは見事な大逃げを打った。ハイペースを刻んで1000メートル通過は57秒4。ずっと先頭を守って、守って、最後は差された。あふれんばかりの生命力をもって、元気よく走り切った。

私は「パンサラッサ本命なら、残り100メートルまでは絶対に楽しめるからね、アハハ」という職場のおやじを思い出していた。このおやじ、馬券はろくに当たらないが純粋に競馬が面白くてたまらないとみえる。秋の天皇賞では35年前のニッポーテイオーから逃げ馬の戴冠はお預けで、東京での逃げは一苦労であろうが、このおやじにそんなことは知ったこっちゃないようだ。それが嬉しくて、パンサラッサ好きに悪い人はいないね、と言ったら、おやじはまんざらでもなさそうに皺くちゃになってはにかんだ。

実におやじの目論み通りだった。100メートルどころか、最後まで夢を見た。35年の沈黙を押し破るあと一歩のところまできていた。後続との差を視野角に収めたくて、スタンドの上から仰反って見た。かろうじて後ろが見えた。それほど大きく離していた。あそこまでいったら、勝ってほしかったとも思った。そうはさせないイクイノックスも本当に立派な馬だ。あの距離をつめてくるのだから。

そしてパンサラッサが元気に完走したことが嬉しかった。24年前、パンサラッサと同じように57秒4で逃げたサイレンススズカ。大欅を過ぎたところで最終コーナーを迎えることなく散った。

ふたたび刻まれた57秒4は、思っていたよりもずっと明るくて、希望そのものだった。

スズカが旅立った日からずっと、天皇賞の秋に誰が逃げるかっていうのは一大事で、豊さんで一枠一番だったエイシンヒカリにも期待をかけてきたし、栗毛のジャックドールの連勝に思い出を重ねてみた。ずっとスズカの再来を探し続けてきたのだ。

だからパンサラッサが遠く後続を背に最終コーナーを曲がってきたとき、見るはずのない幻を見たのだ。後続を大きく突き放して帰ってくるスズカが、今まででいちばんありありと浮かび上がった。スズカを知った日から、書き終わることのない手紙を紡ぐみたいにスズカのことを思い続けた。幻は、そんなふうに気丈に生きてきた私たちへのスズカからの贈り物のようにも思えた。

あの日のスズカの前にイクイノックスみたいな強敵が現れたかについて、考えなかったといえば嘘になる。今なら敗れる方の結末を想像できる気もした。スズカのことを誰かと話すのは好きだけど、幻の先のことは心の中にしまっておこうと思った。

同時に、今を生きるパンサラッサにまっすぐに釘付けになる自分にも気付いた。大地を蹴り上げ前進する、命の躍動があった。35年の重い扉をこじ開ける力があると心の底から信じた。それを見て、薄々勘づいてはいたけれど、きっとこの先サイレンススズカの再来には出会えないのだと確信した。でもそれはそれでいい。スズカとまったく同じ馬が現れなくてもいいのだ。それぐらい今を生きる馬たちが鮮やかだった。
そろそろスズカを探す旅を終える時がきたのかもしれない。何度も繰り返してきたスズカへのさようならを、心の中でふたたび呟いたような気がした。

競馬場の大画面に、スローモーションでパンサラッサの鼻先がゴールラインに重なる瞬間が映し出されると、たちまち割れんばかりの拍手が沸いた。それは熱となりひとかたまりとなり、スタンドを駆け上がって、パンサラッサ目掛けて降り注いだ。本当によく頑張った。元気に帰ってきてくれてありがとうと思った。きっとみんな同じ気持ちだったんじゃないか。
想像力はますます豊かになったようだ。あの日に送られるはずだった拍手も、こんな感じだと思った。この拍手が、みんなの心の中にいたであろうスズカの幻にもたくさん降り注いでほしいと祈った。この世界の人たちは勝っても負けても素晴らしいレースをした馬を心の底から祝福してくれる。
時計の針が動き出したみたいだ。スズカのいない未来が眼前に広がっていく。24年越しに迎えたもうひとつの未来をあたたかく受け止めていた。

写真:手塚瞳、キミドリサン、匿名希望

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