2018年12月2日、チャンピオンズカップ(GⅠ)が行われました。そこでは3歳馬のルヴァンスレーヴ(美浦・萩原清厩舎)が1番人気に応え、見事優勝。3歳シーズンを終えて8戦7勝──さらにはたった一度の敗けも2着、という素晴らしい戦績はまさにチャンピオンに相応しいものでしょう。そんな若き王者が初めて挙げた重賞勝利──それが全日本2歳優駿でした。

今や2歳ダートチャンピオン決定戦としてお馴染みのこのレース。

歴史は古く、1950年に「全日本三才優駿」として、川崎競馬場で実施されたのが始まりでした。その後は1400M、1600Mと徐々に距離を延長しながら、名称も「全日本3歳優駿」(1988年~)と改めた後、さらに2001年に馬齢を国際基準に合わせ、現在の「全日本2歳優駿」へと変わりました。また、1997年には既に全国指定交流競走になっていましたが、2002年からはダートグレード競走のGⅠに格付けが上がり(現行表記はJpnⅠ)、それに従ってそれまで以上に実力馬が集う「名レース」へと進化します。

過去の優勝馬にはアベイ・ド・ロンシャン賞(仏GⅠ)を優勝したアグネスワールド(1997年)、天皇賞・秋やフェブラリーステークスを勝利したアグネスデジタル(1999年)、マイルCS南部杯を制したユートピア(2002年)、帝王賞や川崎記念を勝ったフリオーソ(2006年)、上述のルヴァンスレーヴなど、その後も大活躍した名馬が名を連ねています。

その他の優勝馬も、長く重賞戦線で好走する馬が多く、どちらかと言えば早熟傾向な馬が勝ちやすい「2歳重賞」のイメージとは少々異なる印象です。今回はその豪華多彩な優勝馬から、3歳時には南関東の唯一の四冠馬となり、フェブラリーステークスでも2着と好走したトーシンブリザードを取り上げます。

1998年5月15日。浦河の牧場でトーシンブリザードは誕生しました。父のデュラブは短距離重賞を2勝した英国馬で、シンコウウインディ(1997年フェブラリーステークス優勝)や、サカモトデュラブ(1999年東京盃優勝)など、ダートを得意とする産駒を出した種牡馬です。また母父ブレイヴェストローマンという点からも、トーシンブリザードはダートレースでこそ活きる血統と言えるでしょう。

実際、血統を裏切ることなく、トーシンブリザードは早々に頭角を現すことに。船橋競馬の佐藤賢二厩舎に入厩後、2000年9月21日にデビューを果たすと、鮮やかに勝利を飾ります。続く次走は同年11月の川崎9R・山茶花特別。ここでは父ラムタラ・皐月賞馬イシノサンデーの半弟であるロイヤルエンデバーが出走していて、トーシンブリザードの注目度はそこまで高くありませんでした。しかし、ここでもトーシンブリザードは勝利を上げ、競走馬として素晴らしい滑り出しを決めます。

当歳時のトーシンブリザード


そして3戦目。いよいよトーシンブリザードは重賞に参戦します。

──そのレースこそが、第51回全日本3歳優駿(GⅡ)。

年末に行われる全国統一レースは、ダート路線の新人王を懸けた戦いとも言え、出走馬も強豪揃い。ロイヤルエンデバー(3番人気)だけでなく、JRA勢からは函館3歳ステークス(GⅢ)を制したマイネルジャパン(4番人気)、翌年ダービーグランプリ(GⅠ)を勝つムガムチュウ(1番人気)といった好メンバーが集まっていました。

デビューから敗け無しで、ロイヤルエンデバーにも勝っていたトーシンブリザードでしたが、まだまだ実力は認められておらず、ここでは7番人気という低評価。後から思えば驚きですが、当時は「穴馬の1頭」として出走したのです。

そして、12月13日。川崎競馬場。

1600Mの良馬場。

7枠11番からスタートし、さっそく3番手の好位置を取ったトーシンブリザード。4コーナーに入る頃には逃げるロイヤルエンデバーに並び掛けます。直線は2頭の一騎打ちとなりますが、競り合いを制しトーシンブリザードは優勝。『スピードがあり追ってからの瞬発力がすごい』『芯のある馬』と、石崎騎手もべた褒めするほどの実力を披露しました。

2000年を3戦3勝と無敗で終えたトーシンブリザードは、年をあけていよいよ3歳となり、南関東の三冠ロードを進みます。2001年2月、大井競馬場で行われた前哨戦、京浜盃に出走すると、上がり36.5秒の驚異の脚でロイヤルエンデバーをかわし優勝。この頃には1番人気に推されるようになり、名実ともにクラシック路線の最有力馬として、トーシンブリザードは南関東三冠(羽田盃・東京王冠賞・東京ダービー)に挑んだのです。

そして4月16日、大井競馬場──1600Mの良馬場で行われた羽田盃。まずまずのスタートを切ったトーシンブリザードは2番手の好位置に着けます。鞍上が終始押しながら追走する様子に不安が過りますが、それはまったくの杞憂でした。直線に入ると反応も良く、逃げるフレアリングマズルを捕らえ楽勝します。実況でも『独裁政権』と謳われていたように、その強さはすでに圧倒的でした。

続く二冠目は5月10日、大井競馬場で行われた東京王冠賞です。距離は1800Mで馬場状態は重馬場。羽田盃と条件は違えど、逃げるフレアリングマズルを2番手から追う展開は同じでした。結果も同様にトーシンブリザードが優勝。騎手が手綱をほぼ持ったままゴールする、着差以上の圧勝を観客に見せつけました。こうなると次走の東京ダービーは、「トーシンブリザードがどんな勝ち方で南関東三冠馬になるか」に注目が集まります。地方競馬ファンの期待のなか、東京ダービーの幕が切って落とされました。

6月7日、大井競馬場。2000Mのコースはまるで田んぼのような不良馬場。トーシンブリザードに不良馬場でのレース経験は無く、三冠達成を前に課題を突き付けられた状況でした。ところが馬場をものともせず、やはり2番手追走からフレアリングマズルをかわし圧勝を飾ります。トーシンブリザードは盤石の強さを見せつけ、ロジータ以来となる三冠馬、それも無敗の南関東三冠馬になったのです。

危なげない勝ちっぷりで力の違いを見せつけたトーシンブリザード。三冠馬の次走は統一GⅠであるジャパンダートダービーに決定しました。南関東だけでなく全国が相手となっても、その強さは変わらないだろう。そう信じるファンの想いが、トーシンブリザードを単勝1.0倍の大本命に押し上げました。

7月12日、大井競馬場。2000Mの良馬場を舞台に、上半期の3歳ダート王決定戦がスタートしました。トーシンブリザードはハナを切る形となり、道中は常に半馬身ほどリードを取りつつ順調に脚を溜めます。直線に入るとさらに後続を突き放し、鮮やかな逃げ切り勝ちを飾りました。実況の名台詞『東京の真夏の夜に、ブリザード圧勝』も納得の、揺るぎない実力で観客を魅了したのです。この勝利でトーシンブリザードは、南関東三冠とジャパンダートダービーという、地方競馬・交流重賞を含む四冠馬となりました。また、残念ながら東京王冠賞が2001年で廃止になったため、同馬は最初で最後の四冠馬として唯一無二の存在になったのです。

ところが、飛ぶ鳥を落とす勢いのトーシンブリザードに困難が降りかかります。ジャパンダートダービーのレース後、骨折が判明したのです。休養を余儀なくされたトーシンブリザードですが、年内の東京大賞典を目指し復帰を図ります。このレースは岩手の雄トーホウエンペラーを始め、ウイングアローやノボトゥルーなどJRAの名馬も出走する大レースです。骨折休養明けの出走に不利は否めませんが、それでもファンの期待は大きく、トーシンブリザードは2番人気に推されました。

2001年12月29日、東京大賞典の当日の天候は曇り。大井競馬場2000Mのダートコースは良馬場でした。スタートを切り、いつもの先行好位置に付けたトーシンブリザードは、そのまま3番手をキープし3着で入線。ブランクがありながら実績馬を相手に上々の出来と、ファンも胸を撫でおろした年の瀬でした。

年が明け、トーシンブリザードは4歳を迎えました。古馬になった四冠馬の次走として、陣営はフェブラリーステークスを選択します。初めての中央競馬場のレースは挑戦でもあり、トーシンブリザードの力を多くの人に示す絶好の機会でもありました。

そして2002年2月17日、東京競馬場。第19回フェブラリーステークス(GⅠ)は良馬場で実施されました。ダートのマイル戦であるこのレースには、短距離を得意とする馬から中距離馬、また芝でも実績のある馬など個性豊かなメンバーが揃いました。1番人気には芝・ダート・短距離から中距離もこなす異能の馬アグネスデジタル。昨年の覇者であり、ペリエ騎手を背に迎え鬼に金棒のノボトゥルーが2番人気。エリザベス女王杯を勝つ一方、ドバイワールドカップでも2着と大健闘したトゥザヴィクトリーが3番人気と続きます。この豪華メンバーのなかトーシンブリザードは4番人気に甘んじますが、その馬体には静かな闘志が溢れていました。専門誌でも『力強い首差しと肩から胸前にかけての発達が素晴らしい』と評された通り、体調も良化していました。

スタート後、人気馬が先行する傍らでトーシンブリザードは中団を追走します。中央特有のスピードある展開に戸惑ったのではないか。観戦しながら、そう心配したファンもいたのではないでしょうか。4コーナーを回り直線に入ると、一気に有力馬が仕掛け先頭を狙います。抜け出したトゥザヴィクトリーが粘ろうとするところを、馬群の間を突き追い上げるノボトゥルー。外から強烈な差し脚を繰り出すアグネスデジタル。さらにその外、アグネスデジタルと共に一頭の馬が鋭く駆け上がりました。その馬こそが、石崎騎手を背にしたトーシンブリザードだったのです。

結局、外の二頭がそのまま先頭グループと入れ替わり、アグネスデジタルがフェブラリーステークスを制しました。トーシンブリザードは惜しくも2着。しかし敗けはしましたが、実力を発揮し中央競馬ファンに大きなインパクトを与えました。また、この2頭の上がり3ハロンは35.6秒と出走馬中最速。

さらに奇しくもアグネスデジタル・トーシンブリザードは全日本3歳優駿の優勝馬でした。

フェブラリーステークスの結果はある意味、全日本3歳優駿のレベルの高さを証明するものだったのです。

さて、その後トーシンブリザードは船橋のダイオライト記念(GⅡ)出走し5着に敗れますが、5月のかしわ記念(船橋、GⅡ)では1番人気に応え優勝します。次は6月に開催される上半期を締めくくるGⅠ、大井の帝王賞へ出走を決めます。ここでも1番人気に推され、勝利を期待されたトーシンブリザードでしたが8着に大敗。後に二度目の骨折が判明し、今度は1年半という長い休養を強いられました。

ファンは南関東の王の復活を待ちましたが、蹄も悪くしていたトーシンブリザードに以前の力は無く、復帰後も勝てないレースが続きました。しかし、かつての覇者が泥に塗れ力を振り絞り、時に好走する姿はファンに感動を与えました。2005年、JBCスプリント(GⅠ)を最後に現役を引退し、トーシンブリザードは種牡馬入りしました。船橋競馬場の引退式でファンに見送られ、激闘を終えた同馬は北海道へ旅立ったのです。現在は種牡馬を引退し、オリオンザサンクスやブライアンズロマンといった地方の雄達と共に、荒木克己育成牧場で余生を送っています。

トーシンブリザード引退式

優れた競走能力を持つだけでなく、とても賢く、レースセンスも抜群だったトーシンブリザード。

活躍馬の登竜門として「今年もまた、トーシンブリザードに続く若駒が全日本2歳優駿に現れるのか?」とワクワクさせてくれる、このレース。

『来年の事を言えば鬼が笑う』と言いますが、それでもこのレースの出走が、毎年毎年楽しみでならないのです。

写真:からじ号、かず

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