
1.ダートホースとしての誇り
2025年の年度代表馬に、フォーエバーヤングが選定された。JRA競走未出走馬の受賞にはエルコンドルパサーという先例があったものの、最優秀ダートホースが年度代表馬となった事例は初。ブリーダーズカップクラシックを日本馬として初めて制した優駿が、日本競馬の歴史をまた一つ塗り替えた。そしてフォーエバーヤングへの投票数が芝のチャンピオンホースたちに大差をつけるものであったという事実は、圧倒的な実績を残したダートホースが「最も優れた日本馬」に相応しい、と皆が認めた証と言えよう。芝レースを中心にして紡がれた日本競馬史に大きな変化が訪れた瞬間である。

──私が競馬ファンになったきっかけは、アニメ『みどりのマキバオー』である。しかし、私が好きだったのは主人公のミドリマキバオーではなく、ライバルたちの方だった。出産中に命を落とした母ヒロポンの血統を証明するために戦うカスケード、兄ピーターIIが果たせなかった三冠制覇の夢を受け継がんとするアマゴワクチン、そして公営船橋から地方競馬代表として中央競馬に挑むサトミアマゾン…。
『みどりのマキバオー』は、極貧の牧場で「持たざるもの」としてスタートしたマキバオーが成り上がっていくサクセスストーリーだが、私は様々なものを背負ってマキバオーに立ちはだかる馬たちを応援していた。
この『みどりのマキバオー』の続編『たいようのマキバオー』はミドリマキバオーの甥にあたるヒノデマキバオーを主人公とした物語だが、その中にはサトミアマゾン産駒・アマゾンスピリットが登場する。父と同じく船橋でデビューしたアマゾンスピリットは無敗街道を突き進み、3歳ダート戦線では敵無しの戦績を誇った。すると周囲は父サトミアマゾンのように中央に挑戦し、同世代で無敗の三冠馬となったフィールオーライとの決戦を期待する。しかしアマゾンスピリットはそうした声に苛立ちを見せた。アマゾンスピリットを管理する真里谷調教師はその理由を次のように説明している。
あいつが胸に抱いているのはダートホースとしての誇りだ
そしてそんなアイツをイラだたせるものこそこの世界に根強く残る思想
芝至上主義なんだよ
──つの丸『たいようのマキバオー8』(集英社、2009年)より引用
日本競馬は欧州・米国のどちらも範にしながら発展してきた。一方で、基本的には「最高峰のレース」の地位は欧州のように芝レースが占めており、米国で主流のダートレースの体系整備は遅れてきた。サトミアマゾンがクラシック三冠に挑戦したのも、中央3歳馬のトップと戦って地方競馬・公営船橋の力を示すには芝レースを走る必要があったからだった。菊花賞2着を最後に芝への挑戦に区切りをつけたサトミアマゾン。『たいようのマキバオー』では『みどりのマキバオー』では描かれなかった古馬となってからの戦績が明かされているが、交流GⅠに昇格した東京大賞典や帝王賞・南部杯で中央勢を打ち破っているから、サトミアマゾンは間違いなく当時の最強ダートホースであった。しかし、周囲はその血を継ぐアマゾンスピリットに芝レースへの挑戦を期待する。「芝至上主義」が固定観念になっているからだ。ダートレースへの思いを強く持つアマゾンスピリットはそれに納得できない。
一体ダートのレースは何のために存在しているんだ? 芝のレースの落伍者を救済するためか?
芝コースを休ませるためか? 観客の目を飽きさせないためのバリエーションか? そうじゃねえだろ
オレ達はオレ達で頂点決めんだろうが!?
──つの丸『たいようのマキバオー8』より引用
3歳にしてジャパンカップダートと東京大賞典を勝利してダートチャンピオンとなったアマゾンスピリットは日本代表として海外の大レースに挑むこととなるが、ドバイWCとBCクラシックは惜しい2着に終わり、「頂点」への夢は断たれた。しかし日本のダートホースの誇りを背負い、その力を世界に示す挑戦は、ヒノデマキバオーをはじめとしたライバル達に大きな影響を与えた。
引用したセリフをアマゾンスピリットが発したのが2007年の設定。「芝至上主義」が塗り替えられるまで、18年の時がかかった。
では、現実世界の競馬において「芝至上主義」に最初の一石を投じた競走馬はどの馬だったか、と考える時、私はトランセンドの名前を挙げたい。ドバイWCで2着に入り、日本のダートホースが世界に通用することを示した名馬である。
2.鬼門の「世界戦」
日本のダートホースにとって、「世界戦」は長らく鬼門であった。
芝レースでは1995年のフジヤマケンザンによるGⅡ香港国際カップの勝利を皮切りに、1998年にはシーキングザパールとタイキシャトルによるフランス短距離GⅠ連続勝利、1999年にはエルコンドルパサーによる凱旋門賞2着など20世紀末から結果を出してきた日本馬。21世紀に入っても2002〜3年のエイシンプレストンによるクイーンエリザベス2世カップ連覇、2005年のシーザリオによるアメリカンオークス制覇、2006年のデルタブルースによるメルボルンカップ制覇など各国で活躍は続いていた。
一方ダートレースを見てみると、1996年に創設されたドバイWCにはフェブラリーステークスや帝王賞などを制したライブリマウントが出走するも6着。2001年にはトゥザヴィクトリーが2着と健闘しているが、この馬は前走のフェブラリーSが初ダートであったから、例外的と言えるだろう。その後もアドマイヤドン・アジュディミツオー・カネヒキリ・ヴァーミリアンといった歴代ダート王が挑むも4着が最高着順と振るわなかった。

GⅡゴドルフィンマイルは、ユートピアが2006年に勝利しているものの、GⅠでは壁に跳ね返され続けていた。ダートの本場・米国ではより厳しく、BCクラシックでは掲示板に入ることも出来ていなかった。2010年もエスポワールシチーが挑戦して10着。日本のダートホースが世界に通用する日はいつ訪れるのか、先が見えない状況だった。
3.ダート王への道程
トランセンドが生まれたのは2006年。ブエナビスタやナカヤマフェスタと同世代になる。管理する安田隆行調教師はトウカイテイオーとのコンビで無敗二冠を達成した名手であり、調教師としてもダービーを制覇すべくトランセンドを前哨戦の京都新聞杯に出走させる。
しかしここを9着と敗れると、安田調教師は未勝利戦・条件戦で好成績を残していたダート路線への専念を決断する。すると古馬相手の麒麟山特別で8馬身差の圧勝。新設の3歳ダート重賞レパードステークスでは2歳ダート王スーニに3馬身差をつける快勝でダート界の新星として一躍名を挙げた。
しかし3歳秋以降は重賞の壁に跳ね返されることとなった。惜しいレースこそするものの重賞勝利が途絶えていた4歳秋、船橋の雄フリオーソと僅差の2着に入った日本テレビ盃から始動したトランセンドは、JCダートの前哨戦として新設されたみやこステークスで久々の重賞勝利を挙げると、本番のJCダートでも1番人気で勝利。遂にGⅠ馬の仲間入りを果たした。安田調教師にとってもこれが初のGⅠ制覇。ダートホースとして栄冠を目指す決断が功を奏したのである。
とは言えこのレースにはスマートファルコン・フリオーソ・エスポワールシチーといったダート戦線のトップランナーたちは不在。JRA賞の最優秀ダートホースもフェブラリーSとかしわ記念を制して秋には日本代表としてBCクラシックに挑んだエスポワールシチーが受賞した。翌2011年の始動戦となったフェブラリーSは、トランセンドにとって改めて「ダート王」としての地位を確立するための戦いであった。
4.「地方総大将」を倒し、いざ世界へ
中央競馬春のダート王決定戦と位置づけられるフェブラリーSだが、この年は前年覇者エスポワールシチーと東京大賞典で衝撃のレコード勝利を飾ったスマートファルコンという中央の二強が出走しないレースとなった。しかし、トランセンドにとって楽なレースとは言えなかった。公営船橋からフリオーソが中央GⅠ制覇を目指して遠征してきたのである。

2010年シーズンは帝王賞制覇に加えてGⅠレースで2着4回と中央の猛者と互角の戦いを繰り広げてきた地方総大将は、7歳となったこの年も始動戦の川崎記念(当時は1月に施行)を圧勝して健在ぶりを見せつけていた。フリオーソ陣営にとって中央挑戦は3歳時からの悲願である。全日本2歳優駿を制して2歳ダート王に輝くと、南関東三冠ではなく中央のクラシックレースを目指して共同通信杯とスプリングステークスに出走するも敗戦し、挑戦を断念。ダートレースで実績を積んだ後に3歳・4歳とJCダートに出走するが、ここでも結果を残せなかった。その後は地方でのレースに専念していたが、約2年ぶりに中央GⅠに駒を進めてきたのである。
先述したようにトランセンドは船橋競馬場で行われた日本テレビ盃でフリオーソに敗れている。
今回のメンバーの中では、去年フリオーソに日本テレビ盃で負けていますので、今回は巻き返したいですね。ファンの皆さんの声援に応えて、いい結果を残したいと思います
──「【フェブラリーS】栗東レポート~トランセンド」(『ラジオNIKKEI』、2011年2月16日)より引用
という安田調教師の言葉からは、フリオーソとの再戦への意気込みがうかがえる。一方、フリオーソを担当する波多野敬二厩務員も、
先生も言うように坂が長いのでね、そこが「どうかな?」という感じではありますけれども。トランセンドを平坦コース(船橋)の日本テレビ盃では、馬なりで負かしていますからね。
──「船橋の雄、フリオーソが中央GⅠ制覇を狙う!」(『競馬ラボ』、2011年2月13日)より引用
と、トランセンドに勝った実績に触れてフリオーソの力への信頼を見せていた。トランセンドとフリオーソ、どちらもが王者でどちらもが挑戦者という戦いだったと言えるだろう。
逃げて結果を残してきた両頭の激突だけにハナをどちらが取るのか注目されるスタートだったが、果敢に先行策を取ったトランセンドに対して、芝とダートの境目があるコースに戸惑ったフリオーソは位置を下げての競馬になってしまった。となればトランセンド有利とも思われたが、そうはさせじとマチカネニホンバレがピッタリとマーク。終始突かれる苦しい展開となった。しかしトランセンドには底力があった。凄まじい粘り腰でマチカネニホンバレの方が先頭争いから脱落、そのまま後続を突き放していく。これは圧勝かと思われたが、大外から猛然と追い込んでくるのはフリオーソ。しかし、腹を括って末脚にかけた地方総大将の気迫も1馬身半及ばなかった。
秋春中央ダートGⅠの連覇、しかも苦しい展開を凌ぎきっての快勝はこの馬の充実ぶりを示すものと言えた。トランセンドはJCダート勝利後から海外遠征を見据えており、当初フェブラリーSの後はゴドルフィンマイルへの出走を予定していた。しかし安田調教師はこの勝利を受けてドバイWCへの出走意思を表明。無事招待を受けて日本のダート王として世界最高峰の舞台に挑むこととなった。
5.世界に通用するダートホースの誕生
この年のドバイWCへ出走する日本馬は「歴代最強布陣」との呼び声もあった。ダート王トランセンドだけでなく、前年の天皇賞(秋)を勝った女王ブエナビスタとそのブエナビスタを有馬記念で破った皐月賞馬ヴィクトワールピサが出走。ダートと芝の王者が揃い踏みで世界一を目指したのである(若い競馬ファンは芝王者がドバイシーマクラシックではなくドバイWCの方に出走することに違和感を覚えるかも知れないが、当レースは2010年〜2015年の間タペタと呼ばれるオールウェザーコースで開催されており、芝ホースもチャレンジしやすい環境であった)。2010年の勝ち馬は芝GⅠのシンガポール航空インターナショナルカップ覇者のフランス馬グロリアデカンペオン。2011年も芝ホースであるヴィクトワールピサやブエナビスタの方が有利という見解が多かった。
トランセンドは異国の地でも日本と同じスタイルを貫いた。スタートから先頭に立ってレースを引っ張り、スローに落として自分のペースに持ち込む。だが、それを見たヴィクトワールピサが最後方からポジションを上げ、先頭争いに加わった。直線は2頭の壮絶な叩き合いとなったが、ヴィクトワールピサが半馬身差をつけて1着。トランセンドが2着で日本馬によるワンツーが成し遂げられた。東日本大震災の影響で多くのスポーツイベントが自粛ムードとなる中での快挙は日本競馬史に刻まれる名場面である。
2着に終わったとは言え自分の競馬に徹して最後まで粘り腰を見せたトランセンドの走りも素晴らしかった。そして「日本馬ワンツー」が強調されるこのレースだが、3着〜5着馬も見てみると興味深いことが分かる。3着モンテロッソは地元UAEの馬で翌年このレースを勝つことになるが、オールウェザーと芝の経験しか無い馬。4着ケープブランコはアイリッシュダービーとアイリッシュチャンピオンステークスを勝ったアイルランドのチャンピオンホース、5着のジオポンティは米国馬だがエクリプス賞最優秀芝ホースを受賞している芝の王者である。つまり、1着ヴィクトワールピサも含めてトランセンド以外は皆ダートホースでは無かった。その中で日本のダート王が立派に戦ったことの価値は計り知れないものがあるだろう。
6.世界へ飛躍する日本のダートホース
秋はマイルチャンピオンシップ南部杯とJCダートを勝利し、JBCクラシックではスマートファルコンと僅差の2着。2011年は出走レース全てがGⅠながら連対率100%と素晴らしい成績を収めてトランセンドはJRA賞最優秀ダートホースを受賞した。
トランセンドに続けとばかりにダートチャンピオンがドバイに遠征する流れは定着していった。ホッコータルマエ・アウォーディー・ゴールドドリームらが出走するものの中々トランセンドのような成績を残すような馬は現れなかったが、2021年、チュウワウィザードが2着に入って10年ぶりの日本馬による連対を果たすと、2023年にはウシュバテソーロが勝利。天井を打ち破った。この他UAEダービーでは2016年のラニによる勝利を皮切りに、2022年〜2025年まで日本馬が4連覇と絶好調(2026年2月現在)。2020年に創設されたサウジカップではパンサラッサとフォーエバーヤングが勝利、ウシュバテソーロが2着と実績を残しており、中東のダートGⅠはもはや遠い存在では無くなったと言えるだろう。
米国遠征も積極的に行われるようになった、2021年にBCディスタフをマルシュロレーヌが制して日本馬による米国ダートGⅠ初勝利をもたらすと、2023年にはBCクラシックに2010年のエスポワールシチーぶりとなる日本馬出走が実現。デルマソトガケが2着と初の連対を果たし、2025年のフォーエバーヤングの快挙へと続くこととなる。
トランセンドの挑戦は日本競馬史の新たな扉を開いたと言える。2011年にトランセンドがダートホースの誇りを示していなかったら、「日本馬が世界で通用するのは芝ホースだけだ」という固定観念が強くなり、「芝至上主義」はまだ続いていたかも知れない。
そして忘れてはならないのは、先述した通りこのドバイWC出走がフェブラリーS勝利によって決まったものだという点だ。地方総大将を打ち破ったレースは、日本のダート競馬の在り方に大きな影響を与えた一戦となったのである。

写真:水面、Horse Memorys
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