2021年5月23日、15時44分。第82回優駿牝馬。
ステイゴールドとゆかりの馬たちをただひたすらに応援し続けている私。自室の片隅、PCの液晶画面にはSNSとJRAのHPを表示し、デスクの傍らに並べた応援馬ゆかりの5枚の馬券に願いを込めながら、私はもう一方の傍らに置いたスマホで競馬中継を見つめていた。83頭目(※)の樫の女王が、決まろうとしていた。
※第71回、アパパネとサンテミリオンの2頭が1着同着でオークス馬に輝いたため、施行回数よりもオークス馬の数は1頭多い
先頭は、ユーバーレーベンだ!
ユーバーレーベン、ゴールイン!!!
──ラジオNIKKEI実況より引用
ゴールの瞬間、私は我を忘れて両腕を突き上げていた。左肩は四十肩で水平より腕を上げると激痛が走っていたのだが、そんなことはどうでもよかった。
小さな小さなスマホの画面には濃紺のメンコに白地で「T」の文字が刻まれたユーバーレーベンが大きく大きく映り、赤と緑の勝負服に身を包んだ鞍上ミルコ・デムーロ騎手が何事か叫んでいた。いや、吠えていた。
左肩の痛みに気づいて慌てて下ろした左手で、並んだ5枚の馬券から、敗れた2頭、スライリーの父オルフェーヴルとスルーセブンシーズの父ドリームジャーニーの単勝馬券を「お疲れさま」とつぶやきながらそっと端に寄せると、私は残った3枚に目をやった。
足掛け20年にわたり私の財布に御守代わりに入っている、周縁部が破れかけたジャパンカップ、ステイゴールドの単勝馬券。
18年前の春、ひたすらに追いかけた馬、マイネヌーヴェルのオークスでの単勝馬券。
その時期だけインクの質が異なるのか、すっかり印字が薄くなってしまった2015年有馬記念、ゴールドシップ引退レースのがんばれ馬券。
私を競馬に引きずり込み、負けても負けてもただひたすら応援し続けていたステイゴールドを祖父に持ち、その仔にして1レースごとに忘れえぬ逸話と強烈な感動をくれたゴールドシップを父に持ち、そして2003年フラワーカップで鮮烈な末脚を私の脳に灼きつけたマイネヌーヴェルを母の母に持つユーバーレーベンが、オークスを勝った。GⅠ馬になった。脳内に積もったいくつもの夢想が、一気に現実となり、涙となって押し寄せてきた。
たちまちにじんだ視界を拭いながらPC画面を見やる。SNSのタイムラインには、私とベクトルを同じくするファンの方々の感情の爆発が迸ってきて止まることがなかった。タイムラインの過半が「あ」と「お」と「!」で占められていた。誤字と脱字にあふれていた。
私も何か書き込まねば。
そう考えて、深呼吸してキーボードに両腕を置いた、その瞬間。
突然、ふるえが、来た。
体の奥底からふるえがとめどもなく湧き出してきて、手も、足も、脳みそも、全くふるえかえってほとんど制御が効かなくなってしまった。それまでの人生、こんなにふるえ尽くしたことは、ただの一度もなかった。
ふるえながら私はSNSに何とか書き込もうとした。今のこのあふれる歓喜を、突き上げる高揚を刻みたい。私が今とんでもなくうれしいということを、伝えたい。けど、腕が、指が、言うことを聞かない。意味のある文章をタイピングできる状況ではなかった。
ふるえる左手をふるえる右手で押さえつけ、キーボードの[A]を押し続けるのが、その時の私にできる限界だった。
140文字からはみ出た分を[Back Space]キーで切り落とし、マウスをガックンガックン言わせながらやっとのことで送信ボタンを押した。本当はもっと小洒落たフレーズでも織り交ぜてつぶやきたかったが、脳みそからふるえかえって機能停止しているんだから、限界だった。もう仕方なかった。
「天に捧げる、クラシックの勝利!」
「天に向かってガッツポーズです!」
コロナ禍の観客制限のせいか残響を強めに生じた場内実況の中、スマホの画面上では一対の人馬が、東京競馬場のGⅠを制した人馬だけに許されるヴィクトリーロードに歩を進めていた。鞍上のミルコ・デムーロ騎手は盛んにユーバーレーベンの首筋を撫で、そして幾度も幾度も、喜びと哀愁が入り混じったような眼をして空をあおぎ見ながら、人差し指を天に向けていた。その意味は、いちライトファンにすぎない私にもわかった。
2歳6月のデビュー戦こそ勝利で飾り、夏の札幌2歳S2着で賞金を加算したものの、その後は乱高下する体重、定まらぬ鞍上、立ちはだかるソダシ、ままならぬローテ、そして今一歩届かぬ末脚……。ユーバーレーベンは、桜花賞に出られず、一時は樫の舞台への出走すら危ぶまれていた。
彼女は、はるか南半球、ニュージーランドの地より請われて日本の地を踏んだ曾祖母マイネプリテンダーから、フランス語由来の祖母マイネヌーヴェル、オーストリアの女帝と同じ名を持つ母マイネテレジアと、岡田繫幸さん率いるビッグレッドファームで育まれてきた母系の結晶でもある。そしてドイツ語で「生き残る」と名付けられた。
わずか2か月前に世を去った「総帥」岡田繫幸さんをはじめとする生産者の長年の積み重ねへの敬服、数々の頓挫と齟齬を乗り越えんとする陣営の不断の努力が報われたことへの称賛、そして(決して同列に扱ってはならないが)市井の一ファンにすぎない私が人生の過半にわたり想いを託し続けてきた血が大舞台で結実したことへの感動。これらが一気に押し寄せてないまぜになって、体内で何らかの化学反応を起こし、その時の私をかつてないほどふるわせたのだろうと、今、当時を振り返って思う。
ふるえがようやく8割がた治まったころ、ミルコ・デムーロ騎手が勝利騎手インタビューに現れた。
レースをひとしきり振り返り、ユーバーレーベンへの賛辞と感謝を語ったのち、
「あぁ、やっぱり、人生、難しいですね……。なかなか、うまく、いかないですし……」
ミルコ・デムーロ騎手は伏し目がちに、しみじみと、そう言った。彼自身の苦闘の日々のみならず、結果として1995年ダンスパートナー以来26年ぶりとなる「1勝馬の戴冠」となったユーバーレーベンの紆余曲折の日々も重なって、私はふたたび泣きだした。
オークス後のユーバーレーベンの競走生活も、「なかなか、うまく、いかない」状況が続いた。
左前屈腱周囲炎に見舞われるなど整わぬ脚元、「兆し」と「落胆」を繰り返す成績、そして相変わらずままならぬ体重。
それでもユーバーレーベンは果敢に第一線を駆け抜けていった。ジャパンカップ、ドバイシーマクラシック、天皇賞(秋)…相手関係よりもベストの条件を優先したのであろうか、ユーバーレーベンは牡馬に挑み続けた。
そして迎えた明け5歳、AJCC。ユーバーレーベン、3着。
オークス以来1年7か月ぶりの複勝圏入りは、AJCCに出走した牝馬としてはこれまたダンスパートナー以来27年ぶりの出来事であった。幾度目かの「兆し」が見え、今年こそ本来のユーバーレーベンの走りが見られるかと思っていた矢先、彼女の競走生活は突然終幕を迎えた。
2023年2月28日、金鯱賞に向けて調整のさなか、3歳オークス後に屈腱周囲炎を発症した左前脚に反応を認める。
同3月2日、ユーバーレーベン、引退発表、繁殖入り。
原因は左前屈腱炎。オークス後とは違い、屈腱周囲炎ではなく、屈腱炎だった。
あの日SNS上で歓喜に揺れていた、ベクトルを一にするファンの方々の呟きが、この日は落胆と諦念と涙の絵文字と三点リーダー(「…」)で埋め尽くされていた。あとで数えたら、私の呟きは中黒(「・」)が27個打たれていた……。
翌3月3日、ユーバーレーベンが次の役目を果たすべく、手塚厩舎を去る様子がSNSに流れてきた。
苦楽を共にした野島厩務員に引かれて馬運車に向かって歩を進めていたユーバーレーベンが、ふと引き手に抗い、首をもたげて立ち止まった。促されて再び歩き出すまでの4秒間のユーバーレーベンの姿に、その瞳に、何らかの深い意味を見出そうとするのは、ファンの悪い癖だろうか。
ともあれユーバーレーベンはその名の通り競走生活を「生き残った」。
AJCCでユーバーレーベンが見せた「兆し」の続きは、第2の馬生を経て、彼女の仔がきっと見せてくれるはずだ。
大舞台でその血が輝きを放ち、再び我が身をふるわせ尽くしてくれる日が、きっと来る。信じて待つ。
感動を、ありがとう、ユーバーレーベン。
末永く、健やかに、ユーバーレーベン。
叶うなら、良き母に、ユーバーレーベン。
……その日が来るまで、あの日のふるえを、わすれない。
写真:かぼす