1979年に日本で初めての「白毛」ハクタイユーが登場してから40年以上が経過。まだまだ珍しい存在であることには違いないのだが、ブチコやソダシ、ハヤヤッコなどの活躍で、以前ほど好奇の目で見られることが少なくなったように思う。昔は「白毛は弱い」「白毛は走らない」などと云われた時代もあったそうだが、勿論そんな声は一切聞かれなくなった。
日本の血統史、競馬史に深く根付き、これからも枝葉を伸ばしていくであろう「白の一族」。だが、"この馬"の活躍無くして今の繁栄は無かっただろう。まだまだ白毛の活躍が乏しかった時代に重賞を勝ち、見た目だけでなく実力も兼ね備えた名馬。現在に至る白毛ブームの先駆者となった、ユキチャンのことを取り上げてみたい。
同馬は父クロフネ、母シラユキヒメという血統の牝馬。父はダート最強馬論争で必ず名前の挙がる名馬で、母は突然変異で生まれたサンデーサイレンス産駒の白毛馬である。ユキチャンも 母の愛らしい特徴を存分に受け継ぎ、一方で父からはダートでも力負けしない逞しい馬体を受け継いだ。
2007年の7月、ファンや関係者から注目を集める中でユキチャンはデビューを迎えた。同年4月には兄のホワイトベッセルが白毛初の中央競馬勝利をマーク。俄然、ユキチャンに対する注目度は増していた。周囲からの視線を反映するように、最終的には2番人気で4.5倍の支持。しかし、レースでは吉田隼人騎手が懸命に促し、自身も精一杯走ったが14着に敗れる。芝ではスピード不足に見受けられた。
父は天下のダート王クロフネ。ではダートではどうか──。休養を挟んで中山ダート1200mで初勝利を狙ったが、思惑通り砂では走りが違った。道中は7、8番手を追走し、4角出口でも先頭とは5馬身以上の差。だが、直線では父を思わせる豪快なストライドで末脚を伸ばし、最後は2馬身差を付けて各馬を完封した。迫力さえ感じる走りで15.5倍の評価に反発。見事に初白星をつかんだ。
ユキチャンはその後、次々と記録をつくっていく。年明け3月、3歳になった彼女は再び芝のレースに出走。後のオークス馬レディパステルらが制した特別戦ミモザ賞にチャレンジしたのだ。当然ここを勝てば牝馬クラシックへの視界は大きく開ける。だが、800m延長に加えて、デビュー戦大敗の内容からは厳しいように思えた。ファンも8番人気まで評価を落としたが、3番手からしぶとく脚伸ばしてクビ差押し切り優勝。白毛馬として初の芝レース勝利、そして特別戦を勝利したのだ。このあたりから、白毛という話題性だけではなく、実力的にも評価されていった。
続くフローラSは瞬発力勝負では分が悪く7着。オークスにも出走叶わず、ならばとダートの関東オークスに矛先を向けた。クラシック出走は叶わなかったが、この選択は結果的に大きな成果を生む。
ダートで2勝を挙げ、後に秋華賞でも3着に好走するプロヴィナージュ、東京プリンセス賞を制して南関牝馬二冠に挑むプライズメイトらが人気を集める中「ユキチャン専用単勝窓口」設置の効果(?)もあってユキチャンは2番人気。鞍上には、名手・武豊騎手が配された。ファンや関係者のみならず、主催者からも注目を集めた一戦で、彼女は異次元の内容を披露する。
スタートが切られると、ユキチャンも勢いよく飛び出していったが、カレイジャスミンをいかせて2番手。前述した通り芝でも勝ち星を挙げているのだが、ダートでは水を得た魚の如く行きっぷりがまるで違う。ホームストレッチに入ると馬なりのまま進出開始。抑えきれぬ……わけではなく、スピードが違うと云わんばかりに1コーナーでハナに立った。その姿はまるで父クロフネのJCダート。迫力さえ感じた。
向正面からは彼女の独壇場と言っていい。3コーナー手前、各馬の鞍上が激しく手を動かす一方でユキチャン&武豊騎手だけは地方のタフなダートを全く苦にせずスイスイ進んでいく。カクテル光線に照らされ、美しく艷やかに光り輝く白毛。ただ一頭、直線を駆け抜けていった。8馬身差。競馬界にニューヒロイン誕生を確信させる好内容で圧勝した。
同馬はその後、秋華賞で白毛初のGI出走という記録を作り、古馬になると川崎競馬へ移籍。さらに2つのダートグレード競走タイトルを獲得し、NARグランプリ最優秀牝馬にも選出された。2010年5月の川崎マイラーズを最後に現役を退き繁殖入り。ハイアムズビーチなシロインジャーなど白毛を続々送り出し、孫のメイケイエールは現在、重賞6勝を挙げる活躍だ(2023年6月現在)。
初夏、梅雨前の蒸し暑さを忘れるような走りを見せた、白雪の女王「ユキチャン」。彼女の活躍が白毛一族繁栄のきっかけとなったのである。
写真:@Daizy_Orion_77、Horse Memorys