196,570人の「ナカノコール」。アイネスフウジンが制した1990年東京優駿。

私の夢は「東京優駿を“現地観戦”すること」だった。

「東京優駿」「とうきょうゆうしゅん」「トウキョーユウシュン」。

私は、耳触りの良いこのフレーズが大好きだ。

5月の最終、もしくは6月の最初の日曜日。梅雨明け前の晴れた日に開催される2分30秒足らずのドラマを、「1年で一番熱い日」として毎年心待ちにしている。

 

私が初めて府中競馬場で東京優駿をナマ観戦したのは1990年。

春の天皇賞が終わると関西圏は宝塚記念までビッグレースはひと休み。5月はオークスとダービーをテレビ観戦するというのが、子供のころからの習慣だった。

小学生の時に「今、一番行きたい所はどこですか?」の先生の質問に対し、手を挙げて答えた私の回答は「日本ダービーの日の東京競馬場」というものだった……。

先生が困惑しながら何かフォローしてくれたように思うが、今から思えばとんでもない小学生である。それでも、子供のころから抱いていた「東京優駿を競馬場で観る」という夢は、色褪せることなかった。そして首都圏居住が実現した1990年、ようやく叶うこととなったのである。

以降30年余、猛暑の炎天下であろうが頭の地肌が雨に濡れて透けて見えようが、ダービーデーは超満員のスタンドのどこかで、3歳馬の頂点に立つ勝者を欠かさず追っている。「コロナ禍」という世界の全ての生活時間がストップした「あの年」を除いては…。

1990年クラッシック戦線のツワモノたち。

1990年のクラッシック戦線は群雄割拠。4歳(現3歳)になってからの重賞勝ち馬は次々と変わり、続々と「ダービー候補」が登場する様相を見せていた。

3歳(現2歳)時点での東西チャンピオンは、朝日杯3歳Sが未勝利勝ちから連勝中の快速牝馬サクラサエズリを差し切ったアイネスフウジン(5番人気)と、3勝馬で1番人気のツルマルミマタオー(3着)を撃破したコガネタイフウ(7番人気)。東西とも伏兵馬の勝利で翌年の牡馬戦線が混とんとする中、平成元年は暮れていく。

4歳になると、きさらぎ賞で未勝利から4連勝中のハクタイセイが須貝尚介騎手に導かれて5連勝を飾り、西のクラッシック候補として名を上げる。その5分前に発走した府中の共同通信杯4歳Sでは、アイネスフウジンが3馬身差で逃げ切り、朝日杯3歳Sからの連勝で東の大将格としての地位を確立させたように見えた。

ところが、続く弥生賞に登場したアイネスフウジンは、単勝1.9倍の人気を背負いながら直線で失速。横山典弘騎乗の2番人気メジロライアンが、後方から一気の差し切りで優勝。阪神3歳Sは3着に敗れたグリーングラスの仔、ツルマルミマタオーが2着。朝日杯3歳S5着、京成杯2着と常に健闘していたシービークロスの仔、ホワイトストーンが3着に追い込み、アイネスフウジンに先着した追い込み馬3頭が、当時5着までに与えられる皐月賞の優先出走権を獲得した。

迎えた牡馬クラッシック第1弾、皐月賞は曇天の良馬場。1番人気は辛うじてアイネスフウジン(4.1倍)、差なくメジロライアン(5.0倍)ハクタイセイ(5.6倍)と続く。

ハクタイセイは須貝騎手からタマモクロス、オグリキャップでG1レース騎乗の経験豊富な南井騎手にスイッチ。メジロライアンは、デビュー5年目で確実に勝鞍を増やしている横山典弘騎手が継続騎乗。一方のアイネスフウジンは中野栄治騎手が新馬戦より続けて騎乗していた。

中野栄治騎手──。

1971年デビューで20年目を迎え、ベテランと呼ばれるようになった37歳。アイネスフウジンでの朝日杯3歳Sが初G1制覇となったものの、前年の勝利数は9勝止まり。ここ数年は騎手リーディング順位も50位以下を推移していた。

それでも大レース騎乗経験も少ない中野栄治騎手に巡って来た、初のビッグチャンス。クラッシック制覇へのプレッシャーは存分にあっただろう。それでも逃げ馬が1枠2番の好枠なら一気に押し切れると、アイネスフウジンを1番人気に押し上げた。

好事魔多し……。スタート直後で事件が勃発する。好スタートを切ったアイネスフウジンが先頭に立とうとした矢先、隣の3番枠にいたホワイトストーンが内に縒れ、接触してしまう。弾き飛ばされバランスを崩したアイネスフウジンは立て直して再び先頭を目指すが、外からフタバアサカゼがハナを奪った。アイネスフウジンは2番手につけるものの接触した影響か、折り合いを欠いているようにも見える。それでも、4コーナー手前で外を確認した中野栄治騎手は、フタバアサカゼを競り落として先頭に立つ。軽快に脚を伸ばしこのまま押し切れると思ったその時、南井騎手の剛腕がハクタイセイを弾けさせた。ゴール手前でのクビ差逆転、皐月賞のタイトルは中野栄治騎手の手からスルリとすり抜けていった。メジロライアンは追い込むも、2頭を捕まえきれず3着まで。

ハイセイコー産駒の芦毛馬ハクタイセイが、親子二代皐月賞制覇を成し遂げた。

念願叶った「2分30秒の夢時間」。

1990年5月27日、府中競馬場、メインレースは第57回東京優駿。

小学生のころから一番行きたかった場所、「日本ダービーの日の東京競馬場」に私がいる。

始発で自宅を出発し、駅近くまで続いている入口への列に並び7時30分の開門を待つ。

初めて経験するダービーデーでの開門ダッシュ。隣から皐月賞の再現よろしくホワイトストーンが斜行してこないよう気をつけながら、アイネスフウジンの気持ちになってスタートダッシュで目的地を目指す。オグリキャップが勝った安田記念の日も、エイシンサニーがアグネスフローラを差し切ったオークスの日も観戦した、ゴール過ぎの芝生エリアの観戦ポジション。子供のころからの夢を実現する最高の場所を確保した私は、約8時間後に訪れる「2分30秒の夢時間」を待っていた。

いつもなら午前中はレジャーシートの枚数も少ないゴール過ぎの芝生エリアも、朝から続々と埋まって芝生の緑色が見えなくなって行く。昼過ぎになると、レースが終わってすぐに窓口に並ばないと次のレースの馬券が買えないような混雑になって来た。各馬が直線を向いてから起こる歓声も普段とは全く違い、午前中のレースからメインレースのゴール前のようになっている。

「これが"ダービーデー"の雰囲気なのか……」

東京に引っ越して来て競馬場に毎週通っている中で、絶対に感じることのない非日常感に浸りながら、人込みをかき分けて馬券窓口に並んでいる自分が嬉しかった。

東京優駿の人気は、皐月賞で追い込んできたハクタイセイとメジロライアンの一騎打ちムード。

誰もが2400mの距離を考えているのか、天皇賞馬アンバーシャダイの仔メジロライアンが1番人気の3.5倍。前走の勢いと馬も鞍上もまだまだ「伸びしろ」が有ることに期待しての支持もあるのだろうか。皐月賞馬ハクタイセイは、父ハイセイコーが同じ舞台で3着に敗れていることも影響しているのか、武豊騎手に乗り替わったというアピールポイントがあっても3.9倍の僅差2番人気。

アイネスフウジンの父は長距離血統のシーホーク。母の父もテスコボーイで2400mへの不安は無いはずだ。前走もスタート直後のアクシデントさえ無ければ、クビ差を逆転していたかもしれない。しかしながら、アイネスフウジンは2頭とはやや離れた5倍台の単勝で、今年になって続いていた1番人気の座を明け渡し、3番人気に甘んじた。

場内に本馬場入場曲が流れると、場内のざわめきが大きくなる。各馬の返し馬が始まった。

1頭1頭が名前を紹介されるたび、拍手と歓声が湧き立ち、フェスでバンドが登場した時のような盛り上がりを見せる。南井騎手を乗せたロングアーチを先頭に、各馬が1コーナーを目指し走り出す。黄色い帽子の中野栄治騎手とアイネスフウジンも抜群の気合で、目の前を通り過ぎていく。

今では考えられない22頭のゲートイン。コースのスタンド寄りまでゲートが伸びている。

地響きのような、唸るような場内のどよめき。最後に大外22番枠へハシノケンシロウが入り、瞬間的に静寂が訪れた。

ゲートの開く音、場内の歓声、各馬がターフを踏みしめる蹄音……。

子供の頃からの念願だった、「2分30秒の夢時間」が叶う瞬間。

私に近づいてくる馬たちを五感で感じながら、府中競馬場に居ることに酔っていた。

ゲートから飛び出したのはハクタイセイ。アイネスフウジンはやや後手を踏んだのか先行馬群に埋もれたようにも見える。好スタートのハクタイセイが控えようとする中、ビッグマウス、サハリンバレーを追ってアイネスフウジンがハナを奪い返し、先頭で1周目のゴール板を通過して行った。

ゴール過ぎの最前列に立っている私は、アイネスフウジンを追うメジロライアンやツルマルミマタオー、ユートジョージなどの位置をカメラで追いながら、通過する22頭の迫力に圧倒されている。

向正面に入り、アイネスフウジンが快調に飛ばす。二番手との差は徐々に広がり、4馬身程度の差をつけたアイネスフウジンと中野栄治騎手が行く。メジロライアンは中段より後方ポジションの馬群の中、ホワイトストーン、コガネタイフウも虎視眈々。

3~4コーナーの中間まで1頭離れて先頭だったアイネスフウジンとの差を詰めてきたのはカムイフジとハクタイセイ。その差はどんどん詰まり、4コーナー入口ではハクタイセイが外から並びかけようとする。

中野栄治騎手の引きつける作戦か、ハイペースで飛ばしたツケが回って来たのか……。

直線に入って仕掛けたのは郷原騎手のカムイフジ。ハクタイセイを振り切り、一瞬先頭に躍り出たようにも見える。離れた第2集団の外側にメジロライアン、その内にホワイトストーンの姿。

中野栄治騎手の手が動き始めた。アイネスフウジンにもう一度闘志を吹き込むように、鞍上の動きが激しくなる。外から何頭か先頭に迫って来る姿も確認できる。

やがて「アイネスフウジン先頭」の場内アナウンスは歓声でかき消され、聞こえてくるのは「ウォー」というどよめきのみ。

決着を見守るしかない私は、最内の黄色い帽子の動きだけをファインダーで覗いていた。

外から赤い帽子と白×緑の勝負服、アイネスフウジンを挟んで芦毛の2頭の姿も伺える。

一完歩毎に近づいてくるアイネスフウジン。周りにいたライバルたちを置き去りにし、大外のメジロライアンの追撃も振り切って、堂々と2400mを逃げ切った。

鞍上の中野栄治騎手は派手なガッツポーズも無く、私の目の前を通り過ぎる時、一度だけ右手の鞭を持ち上げた。

第57回東京優駿優勝はアイネスフウジン。走破タイムは2分25秒3のダービーレコード。

子供の頃にはテレビ観戦しかできなかった東京優駿。テレビ画面の中のカブラヤオーの逃げ切りシーンとダブらせながら、初めて府中競馬場で観戦できた東京優駿の余韻に浸っていた。

東京優駿初観戦を締めくくる、最高のフィナーレ。

東京優駿優勝馬のウイニングランが始まる。ターフを後に検量室に戻っていく各馬たちの最後から、アイネスフウジンと中野栄治騎手がゆっくりと帰って来る。スタンドに目を向けると、唸るような響きと新聞を丸めて振り上げた白い波。アイネスフウジンがスタンドに近づくにつれ、歓声が集約されたどよめきは大きな塊となって、右から左へゆっくりと流れて行った。

 戻ってきた中野栄治騎手が、スタンドに向かって照れくさそうに右手を挙げた瞬間、場内のどよめきが突然、リズムを持った。

 「ナカノ、ナカノ、ナカノ……!」

発生源はどこだろう。もしかしたらあちらこちらでほぼ同時に湧き上がったのかも知れない。

どよめきの中の小さなリズムは、どんどん集約され大きくなっていく。

「ナカノ、ナカノ、ナカノ……!」

やがてスタンド全体に響き渡り、大合唱となって初夏の青空にこだまする。

20万人近い観客が、2400mを逃げ切ってみせたアイネスフウジンと、それを見事に御した中野栄治騎手へ贈った祝福の「ナカノコール」だった。

皐月賞で、スタートのアクシデント以外パーフェクトな騎乗をしても手に入らなかったG1タイトル。若手騎手の台頭を背中でひしひしと感じながら迎えた20年目の春。中野栄治騎手にとって、すべてが吹っ切れた勝利だったに違いない。その喜びをスタンドに居て、感じ取った者たちが祝福した「ナカノコール」は、今までの「競馬観戦の概念」を完全に打ち破った。

私も、夢中で声の続く限り「ナカノ」の3文字を叫び続け、ウイナーズサークルから消えていくまで、中野栄治騎手とアイネスフウジンを見送っていた。


──今でも、ゴール過ぎの芝生エリアへ行くと、初めて競馬場で観たアイネスフウジンの東京優駿を思い出す。

近年の東京優駿は、スタンドで座って観戦することが多くなってしまったが、ダービーデーの全レースが終了した後には、必ずゴール過ぎの芝生エリアへ足を運ぶ。特にそこで何かをするわけでは無い。ゴール板に続く直線コースを正面から見て、数時間前に勝者が駆け抜けたシーンを回想する。そして過去へ過去へと東京優駿のゴールシーンを遡っていくと、1990年の東京優駿にたどり着く。

快調に逃げるアイネスフウジンと御する中野栄治騎手、そして196,570人の「ナカノコール」。

アイネスフウジンと中野栄治騎手がその名を刻んだ1990年こそ、私の東京優駿の「原点」だ。

Photo by I.Natsume

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