入梅の報が各地から届き始め、蒸し暑さという感覚を身体が思い出し始めるこの時期になると、私はあの年の安田記念を思い出す。
「おかえりなさい」と「おめでとう」が交錯したあの勝利に、人の出会いの儚さと別れの美しさを思い、杯を傾けたくなる。


2002年6月2日、東京競馬場。
第11レース。
GⅠのファンファーレが鳴り響き、順調にゲート入りが進む。

最後にゲート入りする大外18番枠に、白い馬体と水色・青鋸歯形・白袖の勝負服が向かった。

芦毛馬は年を取るごとに馬体が灰色から白色になっていくと言われるが、6歳になったこの馬もまた、デビュー当初よりもずいぶんと白くなっていた。

アドマイヤコジーン。

1998年10月にデビューした彼は新馬戦3着のあと、3連勝でGⅠ・朝日杯3歳ステークスまで制する。
同年代の優駿たちを圧倒するその類い稀なスピードに、誰しもが翌年春の大舞台でのさらなる飛躍を期待した。

しかし、翌年1月、輝かしい未来は暗転する。

右後脚、骨折。
骨折した脚にボルトが埋め込まれるほどの大手術となった。幸い手術自体は成功して、長期の休養に入ることとなった。
ようやく復帰に向けて調整を進めようとした矢先、今度は逆の左後脚を骨折。
度重なる大怪我に都合1年7ヵ月もの長い期間雌伏の時を過ごしたが、関係者の尽力により2000年の7月にターフに復帰した。

しかし長きにわたった休養による年齢的な衰えなのか、それとも怪我の痛みによる心理的な要因なのか……復帰後は3歳時の圧倒的なスピードは鳴りを潜め、12戦して未勝利と苦しい時期が続いた。

転機は、半年の休養を明けの2002年1月。鞍上に気鋭の騎手を迎えたマイル重賞・東京新聞杯だった。
10番人気という低評価をあざ笑うかのように、番手から押し切りの横綱相撲で久々の勝利を挙げる。

続くGⅢ・阪急杯も同じように先行から抜け出し、2連勝を飾る。
次走のGⅠ・高松宮記念は、逃げるショウナンカンプを捕えきれず2着に惜敗も、十分に力を示した。

そして迎えたこの安田記念もまた、同じく新進気鋭のジョッキーが手綱を取っていた。

後藤浩輝騎手。

騎手デビュー5年目にして、単身アメリカに武者修行に出向き騎乗技術を磨いた。
帰国後に暴行による不祥事で4ヵ月もの騎乗停止に処されたが、復帰後の2000年には年間100勝を超す勝ち鞍を積み上げるまでになっていた。

そして何より「競馬の魅力を伝えたい」と競馬場でSNSで、ファンと積極的に交流してた、周りに笑顔が絶えない騎手だった。
ゲートが開き、息の合ったスタートを切った人馬はテンの速さを活かして先頭手段にとりついていく。

下り坂スタートの府中のマイル戦らしく、ペースはよどまず前半3ハロンが45.9秒と流れていく。

アドマイヤコジーンと後藤騎手は自然な形で先頭から3、4番手で折り合っている。
4コーナーを周り、ちょうど馬場の真ん中のコースを選択した後藤騎手は、長い長い府中の525.9mの直線に挑んだ。

残り200m。
先頭はまだミレニアムバイオが粘る。

それを交わしにかかるアドマイヤコジーン。
しかし、外目から猛然と追い込んで来る池添騎手の駆るダンツフレームの脚色がいい。

残り100m。

後藤騎手の魂の入った鞭に応え、
アドマイヤコジーンは二の脚を使って再び伸びる。

最後はダンツフレームとの追い比べになったが、猛追をクビ差抑え、栄光のゴールに飛び込んだ。
高々と右手を挙げ全身を震わせ、言葉にならない魂の咆哮をあげる後藤騎手の姿は、美しかった。
2着に敗れたダンツフレームの池添騎手が勝者に拳を突き出して祝福する姿も、また美しかった。

馬にとっては、実に1,267日ぶりのGⅠ勝利。
右後脚にはまだボルトが埋め込まれていた。

騎手にとっては、初騎乗から実に54回目にして初めての中央GⅠ制覇。
インタビューではとめどなく涙が頬を伝った。

そんな「おかえりなさい」と「おめでとう」が交錯した、6歳の芦毛馬と気鋭の騎手の激走。

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あの安田記念から時を重ねてみると、アドマイヤコジーンと後藤騎手はやはり出会うべくして出会ったように思える。


出会いと別れは人を変える。
「袖振り合うも他生の縁」という言葉の通り、人は日々たくさんの人に出会う。
ただ道すがらですれ違うだけの出会いもあれば、その後の人生に大きく影響を及ぼすような出会い──そして、別れもある。


そう考えると、人生の中でコントロールできる出会いと別れなど、いったいどれくらいあるのだろう。


親や家族などといった選ぶことのできない出会いもあれば、友人や師といった自らの意思で選ぶことのできる出会いもある。
一方で私自身が選ぶことのできる別れもあれば、死に別れのように否応なく起きてしまう今生の別離というものもある。
どれだけ強く望んでも愛するパートナーと巡り会えないという話は、それこそそこらじゅうの居酒屋やバーのツマミになっているし、人生最悪のクスブリの時期に人生最高のメンターと出会うといったことも、よく耳にする話である。


あの安田記念から多くの時が流れたが、私自身も自らの世界が引きちぎられるような今生の別離を経験した。

それでも、その引きちぎられたと思った空間には気付けば新たな出会いが入り、今日もまた私は時を重ねている。


出会いも、別れもコントロールなどできない。


だとするならば。

私にできることは、起きている出会いと別れすべてを信頼し肯定することかもしれない。


今生ではもうその笑顔を見ることが叶わぬ、あの人馬が遺してくれた珠玉の1分33秒3の走りを想うと、私はまた杯を重ねたくなる。


安田記念。

東京競馬場・芝1,600m。


東京マイルは、スピードだけでは乗り切れない。

求められるのは底力か、血の力か、それとも信念か。

文・大嵜 直人

写真・ウマフリ写真班

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