暦の上では春を迎え、若駒誕生の報せも届き始める2月の第3土曜日。
競馬ファンの胸の内は熱気に満ちていた。実力派揃いの混戦模様となった2017年のフェブラリーステークス。

どんなレースになるのか楽しみな気持ち、勝馬を予想する悩ましい気持ち。
様々な想いをそれぞれが抱き、翌日に行われる年明け最初のG1開催を楽しみにしていた。

そこへ飛び込んできたのは、突然の訃報だった。競馬ファンの胸中は一気に真冬へと逆戻りする。
2003年フェブラリーステークス優勝馬ゴールドアリュールの死という現実が、訪れかけていた春の息吹を遠退かせた。

生涯成績16戦8勝。そのうち、地方中央含めたダートG1で4勝。
芝では勝ち切れないことも多かったが、ダート変わりをしてからは圧倒的な力を見せた。ダート界の偉大なる名馬の早すぎる急逝は、当時を知る競馬ファンに衝撃を与えた。


1999年3月3日、追分ファームにてこの世に生を受けたゴールドアリュール。
父は大種牡馬サンデーサイレンス。母はアメリカで生まれ、フランスで8戦3勝をあげたニキーヤだ。

2001年11月、京都の新馬戦でデビューを迎えたゴールドアリュールは2着と好走。
2週間後、再び同条件のレースに出走し、見事初勝利をあげた。その後も芝のレースに出ていたが、好走こそするが掲示板止まりという結果が続いた。
そんな状況を打破しようと、陣営はダート路線に転向することを決意。これが功を奏した結果となり、500万下、OP特別と連勝、賞金を加算したゴールドアリュールは東京優駿に出走できることとなった。

その世代の頂点を決める東京優駿。出走できるというだけでも素晴らしいことだが、ゴールドアリュールはそれだけでは終わらなかった。

ダートでしか勝ち星がないゴールドアリュールは当然人気がなく、13番人気。
しかし蓋を開けてみれば、そんな低評価は物ともしないレースぶりをみせてくれた。
大外枠から好スタートを切ったゴールドアリュールは、3番手につけ先行。そして最後の直線、粘りに粘って意地の5着に残ったのだ。一瞬先頭に踊り出るかと思わせるシーンもあり、見せ場は十分。その能力の高さを伺わせた。
結果的にこの東京優駿がゴールドアリュールの出走した最後の芝のレースとなるのだが、生涯において芝では掲示板を一度も外すことはなかった。
ダートだけでなく芝でも相当の能力を秘めていただろうゴールドアリュール。出来ることならば、もう少し芝での走りも見てみたかったと思ってしまう。そんな我儘も言ってみたくなるほどに、魅力たっぷりな競走馬だった。

ひとつの大きな区切りである東京優駿以降は、ダート競走に専念した。
大井で開催されたジャパンダートダービーでは、直線大きく後続を突き放し7馬身差をつけた見事な逃げ切り勝ち。続く盛岡のダービーグランプリは圧倒的1番人気に支持され、得意の逃げ戦法で3コーナーから徐々にリードを広げ10馬身差の完勝だった。
ジャパンカップダート(現在のチャンピオンズカップ)でこそ5着に敗れたが、その後も東京大賞典、フェブラリーステークスと連勝し、ダートG1成績を4勝に伸ばした。こうしてゴールドアリュールは、名実ともにダート界の王者へとのぼり詰めたのだ。

そうなると、目が向けられるのは海外だ。
優秀なダート馬の宿命とでも言うべきか、ドバイワールドカップへの出走が決定した。
破竹の快進撃を続けるゴールドアリュールなら、世界でも十分戦える。……はずだった。
結果として、夢は夢のままで終わってしまう。イラク戦争の影響により、ドバイへの渡航が不可能となってしまったのだ。ゴールドアリュールを乗せた機体が飛ぶことは、ついになかった。世界を取り巻く情勢がまた違っていたならば。ゴールドアリュールのその強さは国内のみならず、世界中に轟いていたかもしれない。
そうなったらその後の競走生活、また引退後の生活も大きく変わっていただろう。運命のいたずらとは、こういうことを言うのかもしれない。

そして、かわりに出走したアンタレスステークスでは圧勝劇を披露する。
2番手追走となったゴールドアリュールは、4コーナー手前で先頭に立つとその後は独走。2着のイーグルカフェに8馬身差をつけ、ドバイへ渡れなかった鬱憤を晴らした。その結果に誰もが、これからゴールドアリュールがダート界を牽引していくだろう姿を思い描いた。

しかし、次走となる帝王賞では1.1倍の1番人気に支持されながらも、11着大敗。検査の結果、喘鳴症、いわゆるノド鳴りを起こしていることが判明した。完治には手術と長期休養を要することから、残念ながら引退の運びとなったのだった。

……そう、現役時代も突然のお別れだった。
だからその分、長生きをしてくれるのではないかと、勝手ながらも心のどこかで信じていた。
種牡馬生活も順調で、産駒が次々と結果を出していたところだった。そんな最中、自身の勝った中央唯一のG1であるフェブラリーステークスの前日に、突然この世を去ったゴールドアリュール。
その翌日、2017年のフェブラリーステークスを勝利したのは、ゴールドアリュール産駒だった。

その馬は、ゴールドドリーム。


今の時期によく耳にする「三寒四温」とは、三日間ほど寒い日が続くと次の四日間ほどはあたたかく、これがくりかえされることを言う。
競馬も、長い時間をかけて三寒四温をくりかえしているようにわたしは思う。
強豪馬の台頭に盛り上がることもあれば、突然の別れにしんみりともする。名馬ゴールドアリュールの死を悼み、翌日にはその息子の活躍に心躍らせる。冷え切ってしまった心にも、近いうちに必ず灯はともる。

必ず、春はやってくる。
ゴールドアリュール産駒であるゴールドドリームのフェブラリーステークス勝利を受け、悲しみに暮れていた競馬ファンの心に、またほんの少し春が近づいた気がした。

写真:ウマフリ写真班

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