馬とふれあい、いま改めて思うこと〜関東オークス〜

天気が良い日の午後だった。
川崎駅を降り、ぶらぶらと川崎競馬場へと向かう。今日は関東オークスの日だ。
競馬場への道を左折する時に「このあと、横断歩道あったっけ?」と不安になり、わざわざ歩道橋を渡る。
毎度のことだ。毎度のことだけど、不安になるものは仕方がない。競馬新聞を持ったおじさんや楽しげな大学生が歩道橋を見向きもしないで曲がってるんだから大丈夫なはずなのに……と自分でも思う。ただの不安症なのだ。僕は二日酔いの身体に鞭打って階段をのぼった。

それにしてもなんだろう、この、競馬場が近づいてくる高揚感というのは。
競馬場が見える前に、馬運車が僕の横を通り過ぎた。いよいよ、という気分にさせる。

僕は川崎競馬場に入場してからしばらくのあいだ、パドックでぼんやりしていた。

気候が良かったからだと思う。のんびりしていられる、丁度よい気候だった。
遠くで、引退馬協会設立20周年記念競走のファンファーレが鳴っていた。
引退馬支援の流れが最近盛り上がってきている。少しでも多くの引退馬が幸せな馬生を送れたらいいと、心から思う。あとで、特設ブースも見学しに行こう。
そろそろレースでも観ておきたいと思って、のんびりスタンド側へ向かった。

交流重賞デーだが、人が多過ぎるという事もなく、心地の良い混み具合だった。ほどなくして、空き席を発見する。しまった、ビールを買っておくべきだった……と思ったのは、競馬場の空気を吸って二日酔いが醒めてきた証拠だろうか。

川崎競馬場は、日本で1番小さな競馬場だ。馬が近い。パドックでも、レースコースでも。2階席ですら、充分過ぎるほどの臨場感がある。馬場入場も、目の前を馬が通り過ぎていく感覚が味わえるのが良い。そしていよいよ、レースが始まった。

レース写真を撮影しながら、スマートフォンの電池が残り少なくなってきている事に気がつく。
気がつくが、思わずシャッターをおろし続ける。馬が目の前にいると、とめられない。

その日僕が競馬場を訪れたのは関東オークス観戦のためだったが、二日酔いでも現地観戦を決めたのには、理由があった。今年は地方馬による関東オークス制覇が見られそうだと思っていたからだ。
2016年勝ち馬のタイニーダンサーは門別デビューの馬だったが、3歳になると美浦の伊藤圭三厩舎に移籍していた。だから、今日の結果次第では久々の地方勢の快挙ということになる。中央の馬も好きだし応援しているが、今日は地方勢を応援したい気分だ。薄い雲の間から見える青空が清々しい。
レースが終わってしばらく余韻に浸ったのちに、そろそろ一杯やろうかという気持ちになる。
やはり競馬場に来ると「あれ」が無性に食べたくなるから、そのせいもあるだろう。

のんびり歩きながらパドック側に回ると、空が少しずつ暗くなってきていた。
照明も灯り、いよいよナイターの時間帯が近づいてきたと感じさせる。

──ああ、すごく、良い。

時間の移り変わりが感じられるのがナイター開催の素敵なところだと思う。
歩いていると、引退馬協会のボランティアをされている人たちがいた。色々お話を伺いながら、競馬との関わり方というのは多種多様だなと改めて感じる。支援馬の1頭であるタイキシャトルは特に好きな馬だから、さらに感じ入るところがあったのかもしれない。

グッズの写真を撮って、微力ながらTwitterで紹介をした。

そしていよいよ「あれ」を食べる時間である。

そう、モツ煮込みだ。

競馬場に来ると、どうしてこんなにもモツ煮込みが食べたくなるのだろう。
普段は日本酒派な自分も、思わずビールか酎ハイを注文してしまう。
そしてゆっくりと箸を動かしながら、その塩味と共に、改めて幸せを噛み締めるのだ。

僕は、競馬も好きだし、競馬場という空間も好きだ。
ネットが盛んになった今でも、競馬場に足を運んで、馬を見て、場内のものを食べて、声を出して応援してしまう。
そのことが、たまらなく僕の気持ちを満たしてくれるからだ。

この日は、地方の雄・ハッピースプリントの全妹が勝利をあげていた。ハッピースプリントも非常に魅力的な馬だったと思う。ホッコータルマエやコパノリッキーと同時期にして、ダート戦線を大いに盛り上げてくれた1頭だった。
全日本2歳優駿で彼がG1級競走を初勝利した際も、川崎競馬場で応援していた。
あの時もきっと、モツ煮込みを食べていたはずだ。

思い出にひたりながら外に出ると、空が藍色に染まってきていた。

この時間帯くらいから、中央では味わえない独特な雰囲気が場内に広がりだす。
真っ暗のなか行われるメイン競走とはまた違った、心地良い雰囲気だ。

メイン競走にむけて人が集まりだすのもこのくらいの時間からだ。
人の声が、ざわざわと増え始める。好レースを期待してなのか、馬券の結果を期待してなのか、どの声も明るく高揚しているように聞こえる。

スマートフォンの電池も残り少ないのに、気にせず写真を撮り、馬の事を調べていた。
「あ、いよいよ切れるな」と思って最後にパドックの様子を撮影する。

僕は新聞も買わず、レーシングプログラムももらわず……という状態だったので、ネットで調べる事も出来なくなり、気が付けばどの馬がどの馬だかよくわからなくなってきていた。

確か10Rは南関移籍後勝ちまくっている馬が出ていたはずだけれど……名前が記憶とあっているかも自信がない。基本的に自分の記憶を信用していないので、普段ならすぐに調べるのだが、それも出来ない。
オッズと名前と馬体で、たぶんこの馬だったな……などとアタリをつける。ただ、記念に写真を撮ろうにも、カメラもない。

ふと気が抜けて、ビールを買いにスタンドへ戻った。
本場馬入場の時には、もうどの馬が有力なのかをオッズから想像することも諦めていた。
なんだか久々に、肩の力を抜いて馬が入場してくるのを眺められていたように思う。

考えてみれば僕は、競馬場に来るのが楽しいと言いつつも、その実は小難しい顔をしてスマートフォンで調べ物をしていただけなのかもしれない。ちゃんと全部の馬を肌で感じられていただろうか?

……いや、勿論その楽しみ方にも満足しているし、これからも続けていこうとは思っている。
しかし、ここまでしっかり出走馬全体を眺めていたのは結構久しぶりな気がしたのだ。

それが僕にはかえって新鮮で、とても楽しかった。
血統が大好きだし、ルーツも気になるし、データも気になる。
でも元々はやっぱり、何よりも「馬が大好き」だったということに改めて気が付かされる。

こうやって両手にお酒(その時、酎ハイをアテにビールを飲んでいた)を持ちながら、馬が目の前を走っていくのを眺める事で得られる充足感は、液晶画面からは得られないものだなと感じた。

関東オークスのパドックは、あえて見に行かなかった。
さすがに馬番が頭に入ってしまうと思ったからだ。このまま、こうして応援を続けていたい。

そうして入ってきた馬たちは、毛色や勝負服こそ違えど、中央も地方もなく、どの馬も美しかった。
「どの馬も無事で」はいつもレースが始まる前に心の中で唱える言葉だが、それをいつも以上に強く感じた。
単勝1.8倍の馬も単勝710.4倍の馬も、等しくゲートに入り、そしてスタートを切った。

13頭の牝馬が、僕の前を通り過ぎていく。
美しい光景だと思った。どの馬も、どの鞍上も真剣だった。

周りの歓声がさらに気持ちを引き締める。
結果は、地方勢が2~4着を占めたものの、1着は中央馬のなかで最低人気だったハービンマオが勝利。
地方馬の関東オークス制覇とはならなかった。

でも僕はレースが終わったとき、しっかりと走り切った13頭全てに拍手を送っていた。

改めて、競馬が好きでよかったと思う夜であった。

写真:緒方きしん

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