[追悼]幸せを運ぶ、ナイスネイチャを偲ぶ

2023年5月30日12時40分、ナイスネイチャが35歳の生涯を閉じた。

青空のもとで静かに息を引きとり、そよ風に運ばれるように魂は天国へと導かれていった。

競走馬の余生について真剣に考えるようになって久しい。競馬場を去った競走馬はどこへ行くのか。我々競馬ファンがそのことについて想像力を巡らせるのは正しい。しかし、競馬ファンが競走馬の余生のためにできることは少ない。ときに競走馬の来し方行く末について所有者を批判する場面もあるが、言うは易しということを肝に銘じないといけない。サラブレッドを養うためには経済的にも人的にも労を要するからだ。自宅で飼えるわけでもなく、どこかに放しておけばいいというものでもない。ではどんな形が理想的なのか。

ナイスネイチャはそんな一つの形を示してくれた。

余生はなにもサラブレッド特有の問題でもない。我々人間だって余生という問題はいずれのしかかる。老後2000万円問題なんて言葉が話題にもなったが、人間も余生を幸せに過ごすにはお金がかかる。もちろん、余生もそれぞれだ。のんびり穏やかに過ごす、最後まで働きぬく、みんな余生。いずれも生活資金が必要で、前もって貯めるか、最後まで労働によって資金を生み出すかの違いにすぎない。我々人間は何らかの形でお金を生むからこそ、余生を過ごせる、それとサラブレッドの余生は同じだと、ナイスネイチャは教えてくれた気がする。

競走馬として生涯獲得賞金6億円以上。ナイスネイチャと同期1988年生まれといえばトウカイテイオー、ヤマニンゼファー、フジヤマケンザンなど。日本ダービー、ジャパンC、有馬記念を勝ったトウカイテイオーの生涯獲得賞金は約6億2500万円。ナイスネイチャは約6億2300万円。その主な勝ち鞍は京都新聞杯、鳴尾記念、高松宮杯。格で言えば、一段上のタイトルを獲得したトウカイテイオーとほぼ同額を稼いだ。ナイスネイチャは現役時代、馬主孝行だった。その象徴はご存じ有馬記念3年連続3着だろう。

1999年、JRAが新券種ワイド発売キャンペーンにナイスネイチャを起用した。墨文字でワイドと書かれた布をナイスネイチャが口にくわえたポスターは競馬ファンの視線を集めた。ファンの注目を集めるという最大限の効果をもたらし、キャンペーンは大成功。それもこれも有馬記念3年連続3着のナイスネイチャだからこそだ。

1991年有馬記念の主役はメジロマックイーン。ツインターボがぶっ飛ばし、メジロマックイーンがプレクラスニー、ダイタクヘリオスとともに早めに動く活気ある競馬になり、ダイユウサクが差し切る大波乱。ナイスネイチャはダイユウサクと同位置に控え、ダイユウサクを追うように差し脚を伸ばすも、2着メジロマックイーンには届かず3着。このとき、ナイスネイチャは現表記3歳(旧表記は4歳)。小倉記念、京都新聞杯を勝ち、菊花賞4着、鳴尾記念を勝っての有馬記念参戦。来年に向けて希望を感じさせる3着だった。

1992年は骨膜炎が悪化、春を全休し、秋に復帰。毎日王冠3着、天皇賞(秋)4着、マイルCS3着と善戦。歯がゆさを感じさせながらの有馬記念だった。主役は同期でその年のジャパンCを勝ったトウカイテイオー。しかしレース中にトウカイテイオーは骨折。後方でもがくトウカイテイオーを尻目にメジロパーマーがロングスパートでダイタクヘリオスを競り落とし、勝利。春秋グランプリ制覇を達成。ナイスネイチャはメジロパーマーをゴール前で猛追したレガシーワールドと一緒に伸びて3着。前年の追い込みより前で立ち回った。

1993年は日経新春杯2着、阪神大賞典3着、産経大阪杯2着、毎日王冠3着とGⅡに出走、安定した内容。反面、有馬記念と同じくあと一歩足りない成績。なぜか勝てない。その後は天皇賞(秋)15着、ジャパンC7着とGⅠで崩れ、3年目の有馬記念は10番人気。GⅡであと一歩、GⅠで大敗という近況では仕方ない。このレースは前年有馬記念での骨折以来の出走だったトウカイテイオーの伝説の復活劇で有名だが、同期のナイスネイチャも復活を遂げた競馬でもあった。前年覇者メジロパーマーが序盤速いペースでレースを引っ張り、1番人気ビワハヤヒデが好位、その後ろにトウカイテイオー、その背後にナイスネイチャという並び。トウカイテイオーが3、4コーナーで動き、最後の直線でビワハヤヒデを捕らえたその3馬身半後ろにナイスネイチャがいた。

同一GⅠ連覇も偉業だが、同一GⅠ3年連続3着もそうそう達成できない。JRA平地GⅠではのちにナリタトップロードが天皇賞(春)で成し遂げた。3年連続出走はあっても、3年連続3着はナイスネイチャとナリタトップロードの2頭。もちろん、ナイスネイチャはGⅠタイトルこそ獲得していないが、これとて名馬に値する。

馬主孝行だったナイスネイチャは種牡馬引退後も自ら資金を稼げる馬でもあった。彼の余生はちょっとうらやましいものでもある。2017年からはじまったバースデードネーションでは年々寄付金額が増加、2021年の寄付金額は2000万円をこえた。

これはナイスネイチャが「ウマ娘 プリティダービー」に登場したことをきっかけに、ナイスネイチャを知り、現役時代を調べ、そして余生を送る姿に心響くものがあったからだ。ナイスネイチャは莫大な寄付金を集め、それが引退馬支援の長期的な資金にもなった。2023年の寄付総額は7000万円以上。これも引退競走馬の繋養費用になった。競走馬が乗用馬になるなど再就職先を見つけるにも資金は必要であり、ナイスネイチャの存在によって命を救われた馬がいる。

競走馬の余生は人間のそれと同じ。何らかの形で稼げることで幸せへとつながる。だが、競走馬が引退後に稼ぐのは容易ではない。それは現実でもある。だからこそ、ナイスネイチャのようなかつての活躍馬の存在は非常に大きい。みんながみんな寄付を募って生きていけるわけではない。だが、寄付を集められるナイスネイチャのような存在が多くの引退競走馬のためになり、これからの競走馬の余生へのヒントになるはずである。サラブレッドは経済動物。稼ぐ力はその命をつなぐためにも欠かせない。サステナブルな引退競走馬事業、その先駆けになったナイスネイチャ。それは現役時代から引退後の余生まで彼が歩み続けた人々を魅了する「幸せを運ぶ生き方」があったからにほかならない。

人が馬を幸せにし、馬が人に幸せを運ぶ。みんなが無理せずできる「共生」、ナイスネイチャが遺してくれたことを今一度、競馬ファンみんなで考えたい。

写真:かず

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