ビリーヴ〜数々の『初制覇』を運んだ名スプリンター〜

2000年11月。
京都のターフで、1頭の牝馬がデビュー戦を迎えた。
名前はビリーヴ。後のGⅠウイナーである。

新馬戦は1200mの短距離戦。サンデーサイレンスの仔だからもう少し長い距離を走らせたかったのかもしれないが、気性が荒いこともあって、この距離を選んだのであろう。単勝1.5倍の圧倒的人気に支持されたなか、期待に応えあっさり逃げ切っての快勝。
陣営もまったく危なげない勝ちっぷりで、続く2戦目の500万下(現1勝クラス)は、距離を1600mに延ばしての参戦。

──しかし、これが誤算であった。

ビリーヴはハナを切らず、道中4番手でレースを進める。
1000mの通過タイムは59.9秒と平均ペース。1600mにしては若干スローペースかもしれない。このペースなら前は止まらず、ビリーヴも勝ち負けに加われる……はずだった。
直線を向き、好位を追走した馬達が脚を伸ばす中、ビリーヴは伸びてこない。

2番手、3番手を追走したミレニアムバイオやポイントフラッグが上位に食い込む中、2番人気のビリーヴは見せ場を作ることもなく、6着に終わってしまったのだった。

続く3戦目は牝馬限定のダート1200mへの参戦。ここでも3番人気に支持される。しかし、道中2番手で追走したが直線を向いて失速。9着に敗れてしまう。

陣営も試行錯誤したのであろう。
4戦目は、勝利した新馬戦と同条件である芝1200mへの参戦を決めた。

この日は曇り空ではあったが、前日の雨の影響で馬場は不良の発表。果敢にハナを切ったが、力のいる馬場が苦手だったのだろうか、ビリーヴは直線で失速してしまい4着に敗れてしまう。

このレースが良馬場であれば、そうでなくとも、勝ち切っていれば──。
陣営は芝1200m路線への挑戦を続けていたのかもしれない。
ここで負けてしまった為か、はたまた別の理由か、ビリーヴが再びベストの舞台に辿り着くまで、数戦遠回りすることになる。

5戦目、陣営は芝1800mのフラワーカップを選択。桜花賞トライアルではないが、ここで賞金を加算できれば桜花賞への出走が可能となる。

淡い期待を抱きながら参戦したフラワーカップでも、ビリーヴは果敢にハナを切る。
1000mを60.7秒と理想的なタイムで通過し、先頭のまま最終コーナーを回る。
……が、やはり伸びない。
瞬く間に飲み込まれ、9着でレースを終えた。

6戦目は芝1600mへの参戦。ここでも3着に敗れてしまう。
2勝目をあげたのは7戦目の芝1200mであった。

続く8戦目は、この年(2001年)から名称が変更された芝1200mのGⅢファルコンステークスへの参戦。3枠6番と悪くない枠順ではあるが、1枠2番に快速馬カルストンライトオがいた。

下馬評通りカルストンライトオがハナを切る展開となった。
ビリーヴがここで2番手、3番手あたりに付けられれば良かったのだが、18頭立てのフルゲート、コンマ1秒でも後れを取ったら前には行けない。スタート直後から前を塞がれ、中段から後ろでレースを進めることになったビリーヴは、
そのまま何もできずにゴールを迎えてしまう。
ビリーヴの3歳春の挑戦はこのレースで幕を下ろし、およそ5ヵ月の休養を挟むことになる。

休養明けの秋初戦は芝1200mの1000万下(現2勝クラス)。この頃には6番人気と評価を下げていたが、蓋を開けてみると好位から抜け出しての完勝。やはり芝1200mでは強かった。

しかし、秋2戦目は距離を伸ばして芝1600mへの参戦。困ったことに……というべきかはわからないが、ビリーヴは、ここで3着と善戦してしまう。ここで大敗していたら芝1200mをずっと走り続けられたかもしれない。しかしビリーヴは、1200m戦とマイル戦の間で、まだしばらく揺れ続けることになる。

次は年を越して芝1200mへ出走し2着。
その次は芝1600mで3着。
その次は芝1200mで2着。

芝1200mと1600mを交互に使われ、14戦目の芝1200m、1600万下(現3勝クラス)を勝利し、ようやくオープン馬入りを果たす。
ここから破竹の連勝……とはいかず、重賞初制覇を賭けて挑んだ京王杯スプリングカップは3着に敗れ、圧倒的1番人気に支持されたテレビ愛知OPでは7着に敗れてしまう。

しかし、この敗戦を機にビリーヴは本格化。
1600万下を連勝し、岩田康誠騎手を背に挑んだGⅢセントウルステークス。

ビリーヴの強さもさることながら、岩田騎手の手綱捌きが冴えわたる。最終コーナーで最内にいたビリーヴを、一切減速させずに外へと持ち出した。
直線を向いてからの脚色は誰よりも素晴らしく、逃げるカルストンライトオを嘲笑うかのように交わし、4馬身突き放しての圧勝劇を披露する。
ビリーヴにとって、初めての重賞制覇であったが、実は岩田騎手にとっても、このセントウルステークスが初の中央重賞勝ちであった。

そしていよいよ、ビリーヴはGⅠに挑戦することになる。スプリンターズステークスである。

岩田騎手はスプリンターズステークスにも騎乗したかったと思うが、当時はまだ地方競馬所属の騎手であったため、ルール上、騎乗することはできない。
ビリーヴには、前の週に2000勝を達成したばかりの武豊騎手が騎乗することになった。
※地方競馬所属の馬が中央競馬で行われる特別指定交流競走に出走する場合に限り、その馬に騎乗する騎手は、その日に行われる他のレースに騎乗することが可能であるが、その日は交流競走が組まれていなかった。

この年のスプリンターズステークスには同年の高松宮記念の覇者ショウナンカンプ、安田記念の覇者アドマイヤコジーン等、名立たる名馬が参戦していた。しかし前走のセントウルステークスの内容、そして武豊騎手が騎乗することが相まって、ビリーヴは1番人気に支持されていた。

レースはショウナンカンプが逃げ、2番手にアドマイヤコジーンが付け、ビリーヴは3番手を追走する形に。そのたま淀みないペースで流れ、その3頭が先頭集団を形成したまま直線を向く。

3番手のビリーヴはショウナンカンプとアドマイヤコジーンの間に割って入ろうとしたが、進路が狭くなる。
一瞬の出来事だったが名手・武豊騎手は瞬時に最内に進路を変え、末脚を爆発させた。

しかし、ショウナンカンプも粘り、アドマイヤコジーンも脚を伸ばす。

壮絶な叩き合いはゴール前まで続いたが、ゴール板を通過した瞬間、武豊騎手が右手を握りしめ、実況の青嶋アナウンサーが叫んだ。

「亡き父サンデーサイレンスに、はじめて日本のJRAスプリントGⅠのタイトルをプレゼント! 快速娘ビリーヴ、遂に平坦左回り新潟でGⅠタイトルをもぎ取りました!」

──そう、多くのGⅠを総なめにしてきたサンデーサイレンスの仔達であるが、実はスプリントGⅠはまだ勝ったことがなかったのだ。
サンデーサイレンスが急死した年の秋に、ビリーヴが、産駒初のスプリントGⅠのタイトルホルダーになった。

春から秋にかけ休みなく走り続けたビリーヴは、年明けまで休養するかと思われたが、香港スプリトに参戦することになった。

しかし、この遠征は大きな失敗に終わる。
初の1000m戦・初の海外輸送と、不安要素が多数ある中で、ビリーヴは12着に敗れてしまう。

年明け初戦は阪急杯に出走したが、気性難を露呈し9着に敗れる。課題を残したまま高松宮記念を迎えることになるが、高松宮記念はドバイWCと日程が重なる為、武豊騎手が騎乗できない。

そこで白羽の矢が立ったのは笠松の名手、アンカツこと安藤勝己騎手。安藤騎手はこの年の2月から、中央競馬所属となっていた。
※後にドバイWCへの遠征は断念することになり、武豊騎手はディスタービングザピースで参戦。ビリーヴの馬主である前田オーナーの「一度頼んだんだから安藤騎手に任せる」という方針で、そのまま安藤騎手との参戦が決定した。

高松宮記念は、近2走で大敗していた影響もあり、単勝3番人気(10.1倍)と人気を落としていた。しかし、安藤騎手にとって、中央に移籍して早々に舞い込んだ大きなチャンスでもあった。

レースは単勝1番人気(1.5倍)のショウナンカンプがレースを引っ張る形で幕を開けた。
ビリーヴはショウナンカンプをぴったりとマークする形で最内を3番手で追走する。

前半600mの通過タイムが32.9秒。
暴走寸前のハイペースである。

さすがにこのペースで飛ばすとショウナンカンプも脚が残らない。前に行った馬が次々と脱落していく中、唯一脚を伸ばした馬が、一番最初にゴール板を走り抜けた。

実況の植木アナウンサーが叫ぶ。
「秋のスプリント王が華麗なる復活! そして安藤勝己がついにやった! 悲願のGⅠ初制覇はこの地元中京!」
ビリーヴがスプリントGⅠを連勝し、安藤騎手の夢であった中央GⅠ初制覇をもたらしたのである。

このレースを機に、安藤騎手がビリーヴの主戦騎手となる。
1400mの京王杯スプリングカップ、1600mの安田記念は着外に敗れてしまうが、1200mの函館スプリントステークスでは勝利し、セントウルステークスは2着と好走した。

1番人気で迎えたスプリンターズステークスは、スプリントGⅠ3勝目を賭けたレースであったが
デュランダルにハナ差で破れ苦汁を飲む結果となった。

そしてこのスプリンターズステークスを最後に、岩田騎手の中央重賞初制覇、サンデーサイレンス産駒のスプリントGⅠ初制覇、安藤騎手の中央GⅠ初制覇など──数々の『初制覇』を成し遂げたビリーヴの競走馬生活は、幕を閉じた。

28戦10勝、2着3回。
1着2着の全てが芝1200mという不器用な牝馬。
その牝馬が成し遂げた数々の功績は、いつまでも色褪せることなく今日も光を放ち続ける。

引退後は繫殖牝馬としてアメリカに渡ったが、その子供たちは日本で走り続けている。
最近ではビリーヴの仔であるジャンダルムが重賞を制し、GⅠホープフルステークスを2着と好走。

いつの日か、母ビリーヴの成績を超える子や孫が出てくるかもしれない。
いつになるか分からないが、その日来るのを楽しみに待ち続けたいと思う。
そこで新たなる『初制覇』を目にすることを、願いながら。

写真:かず

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