妹よ。 - レクレドール

2006年8月20日、日曜日。市中に流行り始めた新語「アラサー」の域に達しつつあった私は札幌競馬場の喧騒の中に佇んでいた。恐らく生で見るのは最後になるであろう、彼女の走る姿を、この目に焼き付けるために。

メインレース、札幌記念。

7番ゲート、前走クイーンステークス3着からの連闘。
9番人気、5歳、23戦目、牝馬。兄はステイゴールド。

彼女の名は、レクレドール。

1年で最も大きな歓声の渦が札幌競馬場を包む、札幌記念当日。
ゲートが開く。最初の直線。馬群に包まれてレクレドールが目の前を通過していく。私の眼には彼女しか見えていなかった。それまでの彼女の走りを思い出し、振り返りながら──私はただひたすらに、レクレドールだけを見つめていた。

兄の旅程をたどるように

父サンデーサイレンス、母ゴールデンサッシュ。

レクレドールが生まれたのは2001年2月24日、兄ステイゴールドが奇跡の蹄跡を刻み込む現役ラストイヤーの事であった。彼女が生まれる1か月前にようやく2つ目の重賞タイトルを獲得したステイゴールドは、この後ドバイで同年の世界王者ファンタスティックライトをとらえた。そして50戦目、ラストランの香港で雄々しく羽を広げた。

「Les Clefs d'Or」。フランス語で「金の鍵」という名前を付けられた彼女は、兄と同じ白老ファームで生まれ育ち、兄と同じ池江泰郎厩舎に所属し、デビューこそ遅れたものの明け3歳となった2004年の3月20日、兄と同じ阪神競馬場、芝2000mの新馬戦でデビュー戦を迎えた。唯一兄と違ったのはオーナー名義。当時新進、サンデーレーシングの黒地に赤十字襷の勝負服をまとった川島信二騎手に導かれ、後方追走から直線猛追しハナ差の2着と、上々の滑り出しであった。

単なる偶然なのだろうか、初勝利も兄と同じ「NHKマイルカップの週」だった。未勝利戦3着を挟んだ3戦目は5月9日、京都競馬場、芝1800m。鞍上には兄に翼を授けた武豊騎手が迎えられた。

武騎手は妹にも「行き足」という小さな羽を生やしてみせた。それまでの2戦、レクレドールはゲートこそ五分に出たものの、直後の数完歩にもたつきが見受けられた。そのためか彼女は道中の位置取りが中段~後方となり、「差して届かず」というレース展開だった。

ところがこの日のレクレドールは見違えるようなスタートダッシュを決め、向こう正面に出てくるころにはすんなり先団にとりつき、3コーナーでスーッと番手に上がる。

4コーナー、馬なりで前をかわして先頭に立つと、直線後続に影をも踏ませず、危なげなく先頭でゴール板を通過。表現は良くないが何というか、レクレドールは、「あっさりと」初勝利を手にしたのだ。

なんだかあの時は「うれしさ」と同じくらい「あっけにとられた」ことを、私は思い出していた。

──2006年札幌記念は1,2コーナー中間を通過。レクレドールは中段の内にじっと控えていた。ざわめきかえる雑踏の中、私の脳裏には2年前、この場所にポツンと佇んでいた日のことが蘇ってきた。

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