なぜ、そんなにも懸命に走れたのか。クロノジェネシスと北村友一騎手の1,212日。

なぜ、そんなにも懸命に走れたのか。

2021年、有馬記念。最後の直線で必死に追い込んでくるクロノジェネシスの姿に、そんな問いが浮かんだ。

先に抜け出したエフフォーリアの走路をトレースするように、クロノジェネシスは上がっていった。鞍上のクリストフ・ルメール騎手を、逆に引っ張っていくかのように、全身を使ったストライドで脚を伸ばす。クロノジェネシスはラスト・ランを最後まで諦めることなく、走り切った。

芦毛にしては黒く見えて、それでいて青鹿毛や黒鹿毛と呼ぶには白すぎる、不思議な毛色。肩から前腕にかけて浮き上がる、白い銭形のような小さな斑点が美しく。そして額に浮かぶ、印象的な流星。
そして、ひとたびレースに出れば、その全身を弾ませて、真っ直ぐに前を見据えて疾走する。

史上3頭目、牝馬としては初のグランプリ三連覇を成し遂げた、まぎれもない名牝だった。
渋った馬場だった秋華賞、重馬場だった京都記念、稍重発表ながらぬかるんだ馬場だった宝塚記念。
そのいずれにおいても、圧巻の勝利を飾っているように、重い馬場の鬼だった。

凱旋門賞馬である父・バゴから、重馬場への適性を受け継いでいるからだろうか。
もちろん、そうかもしれない。けれども、バゴが勝った凱旋門賞は良馬場で、当時歴代2位の好時計だった。

あるいは、もしかしたらクロノジェネシスは。
他馬が嫌がる道悪でも、脚が取られて萎えそうになる重い馬場でも、あるいは、心が折れそうになる困難においても。その強靭な意思の力で懸命に走り、それを克服していたのではないだろうか。
それは、道悪巧者と呼ぶよりも、意思と精神の力の高みにあるようにも見えた。

だからこそ、有馬記念でも、あんなにも懸命に追い込んできた。

もしも、そうだとしたら。
なぜ、そんなにも懸命に走れたのか。


なぜ、そんなにも懸命に走れたのか。
クロノジェネシスの主戦たる北村友一騎手にも、同じ問いかけをしてみたくなる。

何度、苦境に陥ろうとも、困難が立ちはだかろうとも、北村騎手は懸命に走り続けてきた。
端整な顔立ちと、細い眉毛がトレードマーク。競馬学校に入学するために、1年間高校に通いながら、牧場に住み込みで働いていたという苦労人だ。
2006年、栗東の田島良保厩舎からデビューし、順調に勝ち鞍を重ねるも、落馬による負傷で戦線を離脱。復帰して重賞を勝利するなどの活躍を見せていたが、また落馬により大怪我を負う。さらに復帰してからも、また落馬負傷に見舞われる。

これからという時期に騎乗できない苦しさや痛み、自身の才能が発揮できないもどかしさは、どれほどのものか想像することも難しい。
それでも、いつも必ず北村騎手はターフに戻ってきた。

2018年に、北村騎手はクロノジェネシスと出逢う。

これまでのバゴ産駒のイメージとは異なる、操縦性の良さと、切れ味鋭い末脚を持ったクロノジェネシスは、9月の小倉の新馬戦、アイビーステークスと連勝を飾る。だが、阪神ジュベナイルフィリーズでは出遅れてダノンファンタジーの2着、桜花賞ではグランアレグリアに届かずの3着、オークスではラヴズオンリーユーに差されての3着と、GⅠの舞台ではあと一歩届かない。負けた相手を見れば、歴史的名牝の名が並ぶのだから致し方ないとも見えるが、優勝劣敗の世界ではそうもいかない。

陰陽が表裏一体であるように、チャンスはピンチにもなりうる。
夏を越して迎えた、秋華賞。桜花賞馬、オークス馬ともに不在となったこの牝馬三冠の最終戦で、オーナーサイドからは、負ければ乗り替わりを北村騎手は告げられていたという。

サラブレッドは、聡明だ。
実際にその瞳を見つめていると、どこまでも深く澄んで、惹き込まれそうになる。言葉などなくても、人の意図や感情の多くを理解しているように感じてしまう。
クロノジェネシスもまた、その手綱を通して、北村騎手の意志を理解していたのだとしたら。春の惜敗による悔恨も、負けられないという決意も、雪辱を期す強い想いも、深く理解していたのだろうか。

オークスから、トライアルを使わずに秋華賞に臨んだクロノジェネシスだったが、その馬体はオークスから20キロも増え、夏を越した成長を感じさせた。

稍重発表ながら前日の雨により馬場は渋っていた。

クロノジェネシスは直線鮮やかに突き抜けて、最後の一冠を奪取した。

誰かのために生きるとき、その生は輝き、強さを得る。
クロノジェネシスの走りは、そんな強さを帯びたようにも見えた。

翌2020年は世界を感染症禍が襲った忘れ難い年になったが、クロノジェネシスはさらに覚醒した。ブラッシンググルームの血が持つ、恐ろしいまでの成長力そのままに、その才を解き放つ。

朝から降りしきる冷たい雨に、重馬場となった2月の京都記念。
冷たい雨と、泥跳ねのする厳しいコンディションの中でも、クロノジェネシスは懸命に駆け、カレンブーケドールに2馬身半差をつけての完勝。

4月の大阪杯ではラッキーライラックの後塵を拝したものの、白眉は6月の宝塚記念。
レース1時間前から降った強い雨によって、馬場は相当にぬかるんでいた。それでもクロノジェネシスは3コーナーからまくり気味に仕掛けていくと、サートゥルナーリア、ラッキーライラックといったGⅠ馬が直線で脚を伸ばせない中、文字通り突き抜けた。
2着のキセキに、なんとレース史上最大となる6馬身という、あきれるくらいの大差をつけての圧勝。3着のモズベッロはさらに5馬身後方にいた。
独走態勢になり北村騎手が手綱を緩めてもなお、まだ懸命に走ろうとする姿が、クロノジェネシスらしかった。

秋の天皇賞では、あのアーモンドアイに0秒1差に肉薄する3着。
そして有馬記念では、ファン投票第1位と1番人気を堂々と背負っての出走。中団やや後ろから追走しながら、徐々に押し上げていく競馬。直線で先に抜け出したフィエールマンを競り落とし、サラキアの追撃を振り切っての完勝で、見事にグランプリ連覇を飾った。

2020年に施行された、二つのグランプリ。
そのいずれも、クロノジェネシスは駆け抜け、そして突き抜けた。
それは、感染症禍に沈む世情に、希望を灯す走りだった。

翌2021年のクロノジェネシスと北村騎手は、3月にドバイシーマクラシックに遠征し2着に入り、世界の舞台でもその輝きを見せる。

しかし5月2日、それは起こった。
北村騎手は阪神競馬場で落馬し、復帰まで1年以上を要するほどの大怪我を負ったのである。それは、デビューから一貫して守り続けていた、クロノジェネシスの手綱を手放すことを意味していた。

鞍上の手綱が、いつもとは違う感触に変わったことを、当然ながらクロノジェネシスは理解していただろう。
それでも、クロノジェネシスは走り続けた。

ルメール騎手とグランプリ三連覇を達成した、宝塚記念。

オイシン・マーフィー騎手と挑んだ凱旋門賞でも、ロンシャンの極悪馬場にめげず懸命に走り7着に入った。
そして、ラスト・ランとなった、冒頭の有馬記念である。

幾多の人の夢を乗せて、異国の地の極悪馬場で死力を尽くして走り切った代償の大きさは、計り知れない。
それでもクロノジェネシスは、中山の短い直線を、懸命に追い込んできた。

なぜ、そんなにも懸命に走れたのか。

有馬記念当日のスタンドに、北村騎手の姿があった。
中山競馬場に足を運ぶまで回復していた、北村騎手。
クロノジェネシスの走りは、大きな困難に立ち向かい、懸命のリハビリを続ける主戦騎手への、この上ないエールになったことは、想像に難くない。

だからこそ、あんなにも懸命に走れたのだろうか。

有馬記念当日、最終レース後にクロノジェネシスの引退式が行われた。スタンドの照明が灯る夕闇の下、クロノジェネシスは芝コースを歩いた。
そこには、いつもの黒、赤十字襷、袖黄縦縞の勝負服に身を包んだ北村友一騎手の姿もあった。久しぶりの対面となったパートナーに、どんな言葉をかけたのだろう。

2018年9月のデビューから数えて、1,212日。
ずっと懸命に駆け抜けてきたクロノジェネシスは、その現役生活に終わりを告げた。


最後まで懸命に走り切ったクロノジェネシスは、北の大地に戻り、母としての「創世記」を刻んでいく。
その産駒もまた、母と同じように一生懸命に走るのだろうか。願わくはその背に、母の主戦騎手が跨ることを期待してしまうのだが、そんな想像もまた、競馬の魅力の一つなのだろう。

ファンの夢が走るグランプリで、無類の強さを見せたクロノジェネシス。
史上3頭目、牝馬としては初のグランプリ三連覇の偉業は、長く語り継がれることだろう。

道悪にも、困難にもめげず、いつも懸命に走っていたクロノジェネシスに、敬意と感謝を捧げるとともに。
その主戦であった北村友一騎手の、一日も早い復帰を願っている。

写真:RINOT

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