1998年11月1日、音速の逃亡者は府中の大欅の向こうで、まだ行ってはいけないもう一つのゴールを駆け抜けてしまった。栗毛の美しい馬だった。どんな馬が出てきても、そのスピードに追い付ける者など存在しないかのような強烈な走りだった。
多くの人が悲しみに暮れ、彼の残した伝説と、もし無事であったらの「たられば」談義を語るようになった。
そして、2007年、2月の東京競馬場。府中に同じ勝負服を纏い、あの時と同じ鞍上を乗せた栗毛の牡馬が来訪した。
その馬の名を、スズカフェニックスという。
飛翔準備
スズカフェニックスの母ローズオブスズカは兄弟にイギリスダービー馬ドクターデヴィアスや高松宮杯を制したシンコウキングがいる超良血馬。未出走ながら繁殖入りした彼女の第5仔として、父にサンデーサイレンスをもった栗毛の牡馬が、スズカフェニックスである。
伝説の名馬と同じ栗毛、同じ父、同じ調教師に同じ馬主。
「フェニックス」とつけられたその名前から、不死鳥のごとくサイレンススズカが蘇ったと考えるファンもいたかもしれない。だが、デビュー戦は「彼」が生涯1度も走ったことのないダート戦だった、そして1.3倍の圧倒的支持を受けながら、10頭立ての9着。不利もあったとはいえ後方のままレースを終え、勝ち馬との着差は4秒4だった。
名馬の面影は感じられない初戦だった。
しかし立て直し、3戦目で勝ち上がった後、休養を挟んだ夏の函館──。
初の芝のレースとなった陸奥湾特別で、2着を2馬身離した快勝劇を演じる。
連勝でレースのリズムを掴んだか、その後休養を挟みながらも3着以下を外すことのない走りを続け、4歳の秋、朝日チャレンジカップで初の重賞に挑戦した。阪神の代替え開催で、舞台は中京芝2000m。鞍上は武豊騎手。
同じ舞台で後続を圧倒した「彼」とは真逆の、後方待機の直線勝負だった。
前を行くトリリオンカットとコンゴウリキシオー、さらに同じ位置取りから伸びてきたケイアイガードらに届かず、4着。それでも、勝ち馬との着差は0.2秒と僅かだった。新馬戦のあの惨敗を──そして1年近い長期休養を経験したことから考えれば、この馬がいかに成長したか垣間見える1戦だった。そして自己条件に戻ると大原Sをあっさり勝利し、勇躍、今度は本命として富士Sへと向かうのだった。
レースでは、最後方から直線、前が詰まりながらも強烈な末脚で追い込んで、最後もまだ脚を伸ばし続ける3着。その非凡な末脚から繰り出されるスピードは、間違いなくもっと上に行ける馬に見えた。
そして年が明けた京都金杯を5着とした後、スズカフェニックスは再び、府中のマイル戦に戻ってきたのだった。
覚醒の府中
この年の東京新聞杯は、新旧入り混じる多彩な顔触れだった。
マイルから中距離まで幅広い活躍を続ける6歳のエアシェイディを筆頭に、ニューイヤーSで復帰し4着となった2年前のセントライト記念の覇者キングストレイル、息長い活躍を続けるグレイトジャーニーなどの古豪が参戦。
一方、クラシックには間に合わなかったもののその後短距離戦線で力をつけてきたイースター、キャピタルSで2着があるブラックバースピン、桜花賞馬キストゥヘヴン、着実に力をつけてきたホッコーソレソレーなど、新進気鋭の馬達も数多く出走していた。
スズカフェニックスはその中で、2.8倍の1番人気に支持される。
近走の充実ぶりが買われたか、前走は騎乗停止で乗れなかった武豊騎手に手綱が戻ってきたことが信頼を集めたか、それとも──9年前のバレンタインに快走した「彼」と重ね合わせる人が多くいたのだろうか。
続く2番人気に2.9倍でエアシェイディ、3番人気のブラックバースピンは8.9倍。上位2頭が抜け出した「2強態勢」の東京新聞杯となった。「1マイルは試金石」という言葉通り、上位2頭のその走りに、多くのファンが期待していた。
ゲートが開くと、好スタートを決めたシベリアンホークにキングストレイルとダイワメンフィスが並びかけ、さらにその間からグランリーオと4頭が先行争いを形成。4頭全く譲らず、ペースは緩むことなく速いまま。
若干離れてキストゥヘヴン、イースター、ホッコーソレソレーらが先行集団を見る形で構え、その後ろの中団に、スズカフェニックスと武豊騎手はいた。
じっと、自身の末脚を爆発させる瞬間を見計らうように跨る武騎手は、先頭との間合いを図っていたのか、ただひたすらに足を溜めていた。そのすぐ後ろ、マークするかのようにエアシェイディがつけ、サンバレンティン、古豪グレイトジャーニー、ロードマジェスティと続く。
勝負所の4コーナー、武騎手はスズカフェニックスを大外に持ち出した。
直線、速いペースに伸びあぐねる先行集団を尻目に、溜めに溜めた豪脚が大外から炸裂。
勿論、道中のペースから後方が有利な展開ではあった。
それでも、その末脚は次元が違った。
敵うものがいない、強靭な差し脚だった。
同じく後方から脚を伸ばしたエアシェイディも、ホッコーソレソレーもグレイトジャーニーも、着差的には僅かなところまで迫ってきていた。
しかし、実況アナウンサーに「これは2着争いだ」と言わしめてしまうほど、スズカフェニックスの差し脚は桁違いだった。
2分の1馬身、しかし表示される着差以上に決定的なその差は、今後の覚醒を予兆させるには充分すぎるほどのインパクト。2月に覚醒を始めた「彼」と同時期の勝利に、期待は否が応にも高まる勝利だった。
栄光の尾張 そして不死鳥から鳳凰へ
その後、阪急杯3着を挟んで臨んだ初挑戦のG1、高松宮記念。
中団から進み、4コーナーで前を行く馬達を射程圏に捉えると、東京新聞杯同様、一気に馬場の真ん中から弾けた。
雨水を含んだ重い馬場も関係なく、昨年の覇者オレハマッテルゼら、名うてのスプリンターを置き去りにして、一気にG1制覇を達成する。叔父シンコウキングに続く、"道悪馬場での高松宮記念"制覇だった。
ゴールの後、武騎手は握りこぶしを右手に作り、相棒の勝利をたたえる。その姿は、金鯱賞を「彼」と制した姿と、どこか被って見えた……のは、私だけだろうか。
この勝利で一気に短距離界の頂点に立ったスズカフェニックスだったが、その後は同年の阪神C勝利のみに終わってしまう。さらに翌年は大舞台で出遅れることも多く、ついに2個目のG1タイトルを掴む事はかなわぬまま、2008年のマイルCS8着を最後にターフを退いた。
ただ、数少ない子供達から、柴田大知騎手に平地G1初制覇をもたらし、大きな感動を与えてくれたマイネルホウオウを輩出。種牡馬引退後は浦河優駿ビレッジAERUにてその余生を過ごしている。
決して、音速の逃亡者であったサイレンススズカと中団から怒涛の末脚を炸裂させるスズカフェニックスのレーススタイルが被ることは無い。
だが、一人の競馬ファンとして──同じ栗毛で同じ勝負服、同じ騎手で同じ調教師の馬が、「彼」が逃げ切った中京の舞台、そして逝ってしまった府中での勝利をきっかけにして花開いたということに、数奇な運命まで感じてしまう。
そして決して多くはない産駒から、多くの人に感動を与える孝行息子を輩出したことも、「彼」の夢の続きを重ね合わせたような……そんな気がしてならないのである。
写真:Horse Memorys