[大阪杯]ダイワスカーレットにエアグルーヴ…。牝馬でGⅡ時代の大阪杯を制した才女たち。

大阪杯は1957年に創設されたレースである。2017年にG1レースに昇格する前の1964年から2016年まではサンケイ大阪杯(1989年より産経大阪杯とレース名変更)の名称で行われてきた。

過去の優勝馬を振り返ると、ここ2年はラッキーライラック(2020年)、レイパパレ(2021年)と牝馬が勝っているが、過去65回のレースで牝馬が勝ったのは僅か8頭しかいない。

牝馬が苦戦している背景としては、4歳以上牝馬が出走できるG1レースが1996年にエリザベス女王杯が4歳以上の牝馬に開放されるまで1レースも無かったこともあるだろう。当時、3歳牝馬クラシックで活躍した馬にとって、古馬となってからは4歳以上牡馬と戦うか、引退して繁殖牝馬になるかの2つの選択肢しかなかった。そして、天皇賞・春や安田記念、それに宝塚記念に出走する牡馬の強豪は当時から大阪杯に出走していたので、牝馬は苦戦する傾向があったのである。

そのため、牡馬達が出走してきた大阪杯を制した馬は歴史に名を残す馬ばかりである。今回はその中でも、サンケイ大阪杯(産経大阪杯)を制した強豪牝馬を振り返りたい。

※馬齢はすべて現在の表記に統一しています。

ヤマピット(1968年)

「白い巨塔」や「大地の子」などの作品で知られる作家の山崎豊子氏。その山崎豊子氏の代表作のひとつで、2007年に木村拓哉氏、北大路欣也氏が出演し連続ドラマになった作品が、「華麗なる一族」である。そして競馬界にも「華麗なる一族」と呼ばれた血統があった。

山崎豊子氏が「華麗なる一族」を小説化したのは1970年代の事である。この頃イットーという牝馬が関西の競馬界(特に芝1600m前後)を席巻した。野心的な財閥一族を描いた「華麗なる一族」とイットーの持つスピードが似ている事から、当時、関西テレビの競馬中継で解説をしていた詩人・志摩直人氏がその血統を「華麗なる一族」と表現し、競馬ファンの間に浸透させたのだ。

競馬版の「華麗なる一族」は1957年にイギリスから輸入された繁殖牝馬マイリーに由来する。マイリーを乗せた船は1956年10月にイギリスを出発し、12月に日本の牧場に到着する予定だった。ところが船がイギリスを離れてしばらく経った頃に第2次中東戦争が勃発、エジプト軍がスエズ運河を封鎖してしまう。そのためマイリーを乗せた船は南アフリカの最南端である喜望峰を回る事になり、翌1957年2月に横浜港に到着した。

そのマイリーのお腹には、ニアルーラという種牡馬の子供がいた。船上でマイリーが出産すると、生まれた子供が外国産馬の扱いとなる。当時の日本競馬界における外国産馬は、クラシックレースに出走できないなど制限が掛かってしまう。そうしたデメリットを避けたい事情を察してか、幸いマイリーは耐え続け、横浜港到着の2日後に動物検疫所で牝馬を産むことになった。なお、出産地は横浜の動物検疫所であったが、登録は所有者の所在地である北海道浦河町となっている。

動物検疫所で産まれた牝馬はキューピットと名付けられ、阪神牝馬特別(現在の阪神牝馬ステークス)を制した。引退したキューピットは繁殖牝馬になったが2頭の牝馬しか生まれなかった。そのうちの1頭が1969年のサンケイ大阪杯を制したヤマピットである。

2歳(1966年)時には最良3歳牝馬(現在の最優秀2歳牝馬)になり、翌年にもオークスを制したヤマピット。オークスと阪神4歳牝馬特別(現在のフィリーズレビュー)の勝利で、最良4歳牝馬(現在の最優秀3歳牝馬)にも輝いた。

そして古馬(1968年)になると、牡馬相手にサンケイ大阪杯に挑戦したのである。

池江泰郎騎手(後に調教師としてディープインパクトなどを管理)が跨ったヤマピットは、京都記念を制したニホンピローホマレやハリウッドターフクラブ賞(現在の京都大賞典)を制したシバフジなどの強豪牡馬相手に逃げ切り、大阪杯を制したのだった。

宝塚記念は7着に敗れたものの、続く鳴尾記念(当時は芝2400mで開催)を制したヤマピット。重賞競走2勝の実績がモノを言い、その年の最良5歳以上牝馬(現在の最優秀4歳以上牝馬)に選ばれ、史上初となる3年連続牝馬のチャンピオンになった。

ヤマピットは、5歳(1969年)の金杯・西(現在の京都金杯)で引退。引退後は繁殖牝馬になったものの、1頭の牡馬を産んだのちに腸ねん転で急死してしまう。ヤマピットの訃報を受け、マイリーが産んだもう1頭の牝馬ミスマルミチが繁殖牝馬になるために引退。そのミスマルミチは、高松宮杯を制したイットーやセントライト記念などを制したニッポーキングなど、数多くの活躍馬を送り出した。

そして、イットーは1980年の桜花賞馬ハギノトップレディや1983年の宝塚記念勝ち馬ハギノカムイオーらを送り出す。さらにそのハギノトップレディは1991年の安田記念を制したダイイチルビーなどを送り出した。しかし、次第に主流となっていった瞬発力勝負の流れに逆らう事は出来ず、2004年のJBCスプリントを制したマイネルセレクトを最後に、その後はG1ホースを送り出すことはできていない。小説と同様このまま過去の血統に埋もれてしまうのか、それとも再度復権するのか?

残されたマイリーの血を持つ繁殖牝馬から、どんな馬が出てくるのかが楽しみだ。

エアグルーヴ(1998年)

ヤマピットがサンケイ大阪杯を制してからしばらくの間、牝馬によるサンケイ大阪杯制覇はなかった。大阪杯に出走した牝馬の戦績を見ると、1987年の桜花賞・オークスを制したマックスビューティが8着(1988年)に敗れ、1983年のエリザベス女王杯や1984年の金杯・西を制したロンググレイスがカツラギエースの2着に終わる(1984年)など、実績ある牝馬たちがサンケイ大阪杯(産経大阪杯)で敗れてきた。

だが、1998年の産経大阪杯で20年ぶりに牝馬による産経大阪杯制覇を達成した馬がいる。彼女の名は、エアグルーヴ。

3歳(1996年)時にはオークスを制したエアグルーヴであったが、秋華賞のレース中に骨折が判明。4歳(1997年)のマーメイドステークスで復帰し快勝したエアグルーヴは札幌記念に出走した。ここには1995年の皐月賞などG1レースを2勝したジェニュインが出走。しかし、エアグルーヴは2着のエリモシックに2馬身1/2(0.4秒)差を付けて快勝した(ジェニュインは4着)。

札幌記念で牡馬と互角に戦える事を証明したエアグルーヴは札幌記念の後は天皇賞・秋に出走した。ここには前年の天皇賞・秋を制したバブルガムフェローやジェニュインなど牡馬の強豪が揃ったが、エアグルーヴはバブルガムフェローを交わして先頭でゴールイン。1980年のプリティキャスト以来17年ぶり、芝2000mに距離が変更されてから初めての牝馬による天皇賞・秋制覇となった。その後もジャパンカップ2着、有馬記念3着と健闘。この年の年度代表馬に輝いた。

迎えた5歳初戦の産経大阪杯。この年も豪華なメンバーが揃った。1996年の皐月賞を制したイシノサンデーや1997年のマイルチャンピオンシップで3着と健闘したトーヨーレインボーが出走したが、加えて強豪牝馬も揃っていた。それが、1997年のエリザベス女王杯を制したエリモシックと、1997年のオークス・秋華賞を制したメジロドーベルである。

そんな豪華メンバーを相手に、単勝オッズが1.2倍という圧倒的な支持を得たエアグルーヴは、道中3番手付近を追走。直線で追い込んだメジロドーベルに3/4馬身(0.1秒)差を付けて先頭でゴールした。

エアグルーヴのその後の勝利は札幌記念の1勝のみで前年の活躍から比較すると少し物足りない戦績に見えるかも知れない。しかし、産経大阪杯は57Kgのハンデ、札幌記念では58Kgのハンデを背負っての勝利である。また、G1レースでもジャパンカップやエリザベス女王杯で2着、宝塚記念3着、引退レースとなった有馬記念ではレース途中で蹄鉄を落とすアクシデントが発生しても5着に入るなど、当時はピークが短いとされていた牝馬ながらデビュー〜引退まで長期に渡ってG1レースで好走し続けた功績はあまりにも大きい。

引退後は繁殖牝馬になったエアグルーヴ。アドマイヤグルーヴ、ルーラーシップの2頭のG1ホースの母として活躍。さらにドゥラメンテの母方の祖母として、若葉ステークスを制したデシエルトの母方の曾祖母として、その血は受け継がれている。

ダイワスカーレット(2008年)

ノーザンファームや社台ファームをはじめとする社台グループの強さとして、息子や孫たちが走る繁殖牝馬を1980年代から持っている点があると、個人的には考えている。例えば、上述のエアグルーヴ。エアグルーヴの母のダイナカールの孫は高松宮記念を制したオレハマッテルゼやマイラーズカップを制したエガオヲミセテがいて、ひ孫にはアンタレスステークスを制したウォータクティスやフィリーズレビューを制したアイムユアーズなどがいる。日本を代表する一大牝系として「ダイナカール系」をとらえているファンも多いだろう。

それを考えると、2008年に産経大阪杯を制したダイワスカーレットの祖母に当たるスカーレットインクも、社台グループにおいて重要な繁殖牝馬である。スカーレットインクの孫にはダイワルージュやダイワスカーレット、ひ孫にはダートG1レース9勝を挙げたヴァーミリアンがいる。さらに、今年のフェアリーステークスを制したライラックの母方の4代母がスカーレットインクの文字が刻まれている。

アメリカで1戦0勝の競走成績だったスカーレットインク。2歳時の1973年に社台ファームが購入し、日本で繁殖牝馬となった。スカーレットインクは種牡馬ノーザンテーストとの相性が良く、父ノーザンテースト・母スカーレットインクの配合からは報知杯4歳牝馬特別(現在のフィリーズレビュー)を制したスカーレットリボンや京都牝馬特別など重賞4勝を挙げたスカーレットブーケなどが活躍した。

スカーレットブーケの競走成績も一流であったが、繁殖牝馬としては更なる成功を収めた。新潟3歳ステークス(現在の新潟2歳ステークス)を制したダイワルージュ、天皇賞・秋などG1レースを5勝挙げたダイワメジャーを送り出して明繁殖として名をあげる。そして、スカーレットブーケの10番目の子供として生まれたのが、ダイワスカーレットである。

3歳(2007年)時には桜花賞・秋華賞・エリザベス女王杯をスピードで圧倒したダイワスカーレット。しかも、桜花賞と秋華賞はライバルである日本ダービー馬ウオッカを破っての勝利であった。さらに続く有馬記念ではマツリダゴッホの2着入るなど牡馬の強豪とも互角戦ったダイワスカーレットは、64年ぶり牝馬による日本ダービー制覇を達成したウオッカを差し置いて、2007年の最優秀3歳牝馬に輝いたのである(ウオッカはJRA特別賞を受賞)。

4歳(2008年)にはドバイワールドカップもしくはドバイデューティフリーへの出走を考え、ドバイへのステップレースとしてフェブラリーステークスに登録した。ところが、ウッドチップコースで追い切ったダイワスカーレットだったが、調教中に走路から跳ね上がって来た木片が右目に入り、角膜炎を発症してしまう。そのため、フェブラリーステークス並びにドバイ遠征は中止となった。

ドバイワールドカップから1週間後。ダイワスカーレットは仕切り直しの一戦として産経大阪杯に出走した。この年の産経大阪杯のメンバーもまた、強豪揃いであった。なかでも、2016年の皐月賞・日本ダービーを制し、2017年には天皇賞の春・秋連覇を果たしたメイショウサムソン、2017年の皐月賞を制したヴィクトリー、2017年の菊花賞を制したアサクサキングスなどが難敵として挙げられる。その中で単勝1番人気に支持されたダイワスカーレットは、これらの強豪を相手に1分58秒4の好タイムで逃げ切った。

ヴィクトリアマイルは骨瘤による回避をしたため4歳春は阪神大阪杯のみであったが、秋の2戦でダイワスカーレットの凄まじさを見せつける事になる。ぶっつけ本番で挑んだ天皇賞・秋ではライバルのウオッカと2cm差の2着に入ると、続く有馬記念では前半1000mを59.6秒と2500mのレースでは比較的早い展開を自ら作り、一度も他馬を寄せ付けずに逃げ切った。これによりダイワスカーレットは、1971年のトウメイ以来37年ぶり史上4頭目となる『牝馬による有馬記念制覇』という記録を達成した。

有馬記念制覇の後、管理する松田国英調教師たちにより、5歳(2009年)時にはドバイワールドカップをはじめとしたドバイミーティング、イギリスのアスコット競馬場のロイヤルアスコット開催に行われるプリンスオブウェールズステークスに出走など海外遠征プランが立てられていた。しかし、フェブラリーステークスを翌週に控えた調教後に屈腱炎を発生してしまい、引退。12戦8勝2着4回、デビューしてからは1度も3着以下になった事がない生涯連対を達成した。これはシンザンの19戦15勝2着4回に次ぐ史上2番目の生涯連対記録だった。

引退後は繁殖牝馬になったダイワスカーレット。自身に匹敵する馬はまだ生まれてこないが、2020年に生まれたロードカナロアの子供まで全て牝馬の子供が生まれている。2021年にロードカナロアとの間に生まれた馬がダイワスカーレットにとって初めての牡馬となる。母のスカーレットブーケもダイワメジャーが7番目の子供として、ダイワスカーレットは10番目の子供として送り出しているように、そろそろ大物の子供が生まれる可能性は十分にあるだろう。

写真:Horse Memorys、かず

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