「水を得て」一変した、アジサイの花のような馬~トーホウシャイン

こんな梅雨の時期に観たくなる映画がある。私が好きなのは『いま、会いにゆきます』という映画だ。小説が原作で2004年に公開された作品。亡くなったはずの妻が、梅雨の時期の6週間だけ現世に戻ってきて夫と子供と3人の共同生活を送るというストーリーだ。けれど、梅雨が明けてしまうと、また“あちらの世界”に帰ってしまうので、6歳の息子は雨が降り続けるよう「逆・てるてる坊主」を作って雨を願うシーンがある。
梅雨というと湿気も高く、体調を崩すという人も多いかもしれないが、母と離れたくない息子がその「逆・てるてる坊主」を作って、雨や梅雨を願う場面はとても印象に残っている。

競走馬も雨を願うことがあるのかは分からないけれど、この時期の前線がもたらした雨によって、重賞レースで好成績を残した馬がいた。重馬場が巧いだけでなく、ハンデ戦での軽量をも味方につけて今もなお、そのインパクトを強く残しているのが2008年のマーメイドステークスを制したトーホウシャイン。その時の鞍上だった高野容輔騎手(現、調教助手)に話を伺いながら、そのレースを振り返りたい。


この年のマーメイドステークスには12頭の牝馬がエントリーをしていた。1番人気は、前年のオークスでローブデコルテにハナ差の2着だったベッラレイア。休み明けだったヴィクトリアマイル8着からの巻き返しを狙っての出走だった。芝2000mはオークス前のフローラステークスで勝利、秋華賞でもコンマ5秒差の4着と善戦していたことからマイルからの距離延長は歓迎材料とされ、支持を集めていた。
2番人気はザレマ。こちらは前年のオークスの前哨戦に選んで勝利した忘れな草賞は、今回と同じ阪神競馬場の芝2000m戦。再びこの舞台での勝利を期待されていた。
3番人気は武豊騎手騎乗のブリトマルティス。こちらは1000万下(現、2勝クラス)と準オープンのパールステークスと連勝中で、その勢いが買われていた。

単勝の上位人気3頭の共通点は全て4歳馬。若く勢いのある馬であればハンデも克服できるだろう、というのが大方の予想だった。
ベッラレイア56キロ、ザレマ54キロ、ブリトマルティス53キロというハンデが割り振られていた。

5歳だったトーホウシャインの前走は東京競馬場での1000万下(現、2勝クラス)の平場戦で9着。勝ち馬とは1.4秒離されていた。これまでの2勝は全て小倉競馬場の芝1800mということから平坦コースが得意な馬と見立てられ、軽ハンデ・牝馬限定でも重賞競走で上位に食い込むのは難しいのではないか、というのが大方の予想だった。

また、鞍上の高野騎手は6月の段階でこの年の初勝利をまだ挙げられていなかった。けれど、このマーメイドステークスの1週間前、中京競馬場で行われた3歳未勝利戦でカシノマルスという16番人気の馬を2着に導く好騎乗。さらにマーメイドステークスの前日にも連闘で出走したこのカシノマルスを再度2着にさせていて、流れは向いていたと言える。ちなみに、このカシノマルスは奇しくもトーホウシャインの弟。どちらも母はホークズフォーチュンで、高野騎手は連日、この母の子でレースに臨むこととなった。

この日の阪神競馬場の天候は曇からスタート。昼過ぎに小雨が降り、その後、一時的に雨は止んだものの、マーメイドステークスの1つ前のレースから雨が再び降りはじめ、メインレースの直前には土砂降りの雨となっていた。関西テレビの競馬中継でもレース開始前、カメラが切り替わったアナウンサーの第一声が
「今は雨が止みかけていますが、車軸を流すような大雨でした」
というもの。芝コースは重馬場、水気をたっぷり含んだ状態でゲートが開いた。


“ハナを切ろうと思ったのに前に行けなかった……”

スタンド前からの発走で、1周目のゴール前を通過した際、トーホウシャインに騎乗していた高野騎手は心の中でそんなことを考えていたという。48キロという軽ハンデでの出走だったのでそれを活かしてスタートダッシュを効かせるつもりだったが、馬の持っている癖で右にササってしまったのだ。当初思い描いていたプランとはほど遠いものだった。

“前に行けないのなら仕方がない、少しでも距離をロスしない内ラチ沿いを走ろう”

想定とは違う、後方の位置取りになったが、高野騎手はすぐに作戦を切り替えてトーホウシャインを内ラチ沿いに寄せて馬を折り合わせた。

レースは福永祐一騎手騎乗のピースオブラヴが先頭に立ち、1000mの通過が61秒1というペースを刻んで逃げていた。2番手にはブローオブサンダー、その後ろの好位グループには単勝人気で上位に推されていた馬がひしめき合う。
最後の4コーナーから直線に向くところでは、馬場の良い外目を回る馬が多い中、トーホウシャインは内ラチ沿いのまま。

“みんな馬場のいいところを狙って外に行ってるから、これなら内をすくって掲示板を期待できるかな”

──そう考えた最後の直線、人気を背負った馬たちは軒並み伸びあぐねている。高野騎手は武豊騎手の横に並び、目の前にはピースオブラヴ一頭だけ。この馬をかわせば……。

「ん? 確かこのレース……重賞だったよな?」と、一瞬戸惑いを覚える。重賞制覇がすぐ手の届くところまできていることに気が付いて、驚きの感情も混ざっていた。


“ひょっとしたら、勝てるかも!”
“え? 勝ったの? 本当に!?”

高野騎手の鞭が入るとトーホウシャインはさらに伸びて、ピースオブラヴを一気に交わして、1馬身と4分の1差をつけて先頭でゴール。12頭立ての12番人気、単勝は万馬券の払戻しとなった。波乱を演出した高野騎手はその当時を、こう振り返る。

「直前にものすごい雨が降って、水がはけ切らない状況でのレースでした。重馬場が上手な馬を『水かきがついている』とよく例えますが、トーホウシャインもまさにそれでした。パンパンの良馬場だったら、こういう結果にはなっていなかったと思います」

「ゴールした瞬間の僕の顔が『?』ってなっていたようです(笑) 後ろに居た(福永)祐一さんの顔を見て自分が勝った事を確認しました。 祐一さんは振り返った僕に『おまえか〜い』と言って爆笑していたので、思わず僕も笑ってしまいました」

このマーメイドステークスに出走するまでのトーホウシャインは21戦2勝の成績。当時の1000万下のレースに7回出走していたが、そのクラスで4着というのがベストパフォーマンスだった馬。それを格上挑戦で重賞に挑戦させたのは陣営の素晴らしい判断だったといえる。また、2クラス下からの格上挑戦ということで、ハンデも下限とされている48キロで出走となったが、これも好走の大きな要因となったことは想像に難くない。

「トーホウシャインには本当は別の騎手が騎乗予定だったのですが、ハンデが発表されると48キロ。その騎手がそこまで体重を調整できないということだったので、私から『48キロでも乗れます!』と厩舎関係者に売り込みました。メインレース、しかも重賞競走でしたし、ぜひ乗りたいと思いました」

そして3.8キロという短期間での過酷な減量に関して、こんな裏話を披露してくれた。

「減量は……大変でした(苦笑) あの当時、体重は50キロを維持していました。なぜそこでキープしていたかというと、障害戦にも乗っていたのですが自分が50キロより軽い体重になると、障害戦のときに使う鞍が重くなってしまうからです。当初の予定は3キロ減量して『体重で47キロ、鞍で1キロ』と考えていました。でも結果として自分の体重をもっと落としました。それはこの馬に合う鞍を使うためです。トーホウシャインは右にササる癖がある馬だったので、想定以上の減量をしてでもあの馬に合う鞍を使いたかったのです。鞍ズレをして追えなくなる、なんてことは絶対に避けたかったので、予定を超える減量をしました」

「2キロまでは簡単に落ちましたが、そこからは……なかなか落ちなかったです。初めて短期間での減量をしてみて気づいたのですが、私自身には最初から余裕をもって落とせるところがありませんでした。サウナで減量する騎手もいますが私は苦手なので、ランニングしたり野菜や豆腐を食べて減量に努めました。レース前日は調整ルームで先輩の騎手に『あしたのジョーの力石みたいになってるぞ』と言われました。夜は布団に入っても体を真っ直ぐにして寝る事ができず何度も目が覚めてしまいました」

それほどまで大変な思いをした先に掴んだ、重賞勝利。このマーメイドステークスの勝利は高野騎手のこの年の初勝利でもあり、3年ぶりの平地レースの勝利が重賞初制覇となった。

「もう二度と48キロでは乗りたくない、とレースの前は思っていました。でも勝てたのでこの後48キロで騎乗依頼が来たら断れないな、とも思いました(笑)」

そう当時を振り返って高野騎手は笑う。そんな高野騎手はこの2年後、J・G1の中山グランドジャンプでメルシーモンサンに騎乗し63.5キロで勝利することになる。その斤量差、15.5キロというのは平地と障害の二刀流だからこその、珍しい記録となった。

インタビューの最後、高野さんにこんな質問をしてみた。
「武豊騎手は自分の手首を触ると今の体重が分かるというエピソードが有名ですが、高野さんもご自身の体重が分かる目安、何かあるのですか?」

「はい。お腹の周りを触ればほぼ自分の体重は分かりますね。お腹の張りや掴んだ際の感触で、だいたい把握できます」

筆者が自分のお腹を触ってみると、怠惰な生活を送ったことによって長年蓄積した、分厚い脂肪が存在感を示していた。週単位で体重を調整し、減量をしたうえでさらに馬の背の上で御さなければいけない騎手の人たちは、我々一般人とは鍛え方が違うと改めて感じた。

トーホウシャインはこのマーメイドステークスの後は1戦だけ使われて引退となった。出走を予定していたレースの直前に肺の疾患が見つかったためだった。繁殖牝馬となったトーホウシャインは重賞戦線を賑わせるような活躍馬はまだ出していないものの、今でも種付けされており2020年と2021年は立て続けにパイロの子供を出産している。

冒頭で書いた映画、『いま、会いにゆきます』の主人公が掛かりつけの医師に、梅雨の期間だけ亡くなった妻が戻ってきた、とを告げるシーンがある。すると医師は
「まるで、アジサイのような人だね」
と答えるのだけれど、私の中ではトーホウシャインもそんな存在に感じる。
雨が多い季節は洗濯物が乾きにくかったり、そもそも外出が面倒になってしまうこともある。けれどそんな気が滅入りそうな時は、このマーメイドステークスを思い出してレースのVTRを観て欲しい。青いアジサイの花言葉は『我慢強い愛』。

雨によってまさに「水を得た」トーホウシャインの走りや、我慢強く減量に耐えた高野騎手の手綱さばきは、何度観てもいつ観ても、この時期に咲き誇るアジサイの花のように鮮やかだ。

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