──ただ強いというだけでは、GⅠ制覇はできない。
どんなに能力があっても、GⅡ・GⅢを何勝もした馬でも、GⅠレースの馬柱にその名を刻むことすら出来ぬままに競馬場を去って行く馬を何頭も見てきた。
GⅠ制覇に必要な条件とはなんだろうか?
持って生まれた丈夫な体、脚力、スピード、根性、気合……。
GⅠ馬として、秀でた資質に恵まれていることが最重要であり前提条件なのはわかる。
しかし、長く競馬を見ていると、もうひとつ重要なのは「持って生まれた“運”」かもしれないなと思うことが多々ある。
当日の天候や馬場状態、騎乗してくれる騎手、相手関係など──狙っていたレースで、自分にとって思い通りの一番良い条件で臨めるとは限らない。「持っている奴」が自分にとって最高の条件でレースに臨み、レース展開も含めてパフォーマンスを最大発揮し、GⅠ制覇につながっているように私は思う。
絶対的本命馬がGⅠのタイトルを逃すのは、レース中のちょっとした「展開のあや」でのこと。ほんのわずかな事が勝敗を左右するのは、その時の運が有るか無いかで全然違う結果になる。GⅠ馬となり賞賛されるのは、そのレースでただ1頭である。残りの者たちは「GⅠをとれなかった馬たち」のひと塊で片づけられるのが世の常。
──だが、能力とその時の「運」を味方につけてGⅠを勝ってしまう馬より、もう一歩──あとちょっとした事で勝てるのに涙を飲む2着馬、3着馬の方への思い入れが、より強くなってしまう。
なかなかGⅠを勝てない馬がようやくGⅠ制覇を果たす。何度もチャンスがありながら、その時の運の無さから結局手が届かないまま現役を去る。GⅠ制覇の難しさを自身のレース戦績で見せてくれる馬たちに拍手を贈りたくなるのは私だけではあるまい。
ステイゴールドやナイスネイチャがいつまでも愛され続けるのは、あの走るシーンを見ていると「あと少し何とかならないのか」のもどかしさでいっぱいになるからだろう。
有数の出世レース、アルゼンチン共和国杯。
11月1週はGⅠ戦線のハーフタイム。
3週続いた3歳、古馬の最強決定戦から、バラエティに富んだ後半6週連続GⅠに向けてのひと休み週とも言える。この週のメイン重賞はアルゼンチン共和国杯、2022年で60回目を迎える伝統の中距離重賞。1997年から11月1週に定着したが、昔は春の天皇賞の前哨戦として実施されていたこともあった。
このアルゼンチン共和国杯、単なるGⅠシリーズの谷間重賞ではない。
歴代優勝馬の豪華さはGⅠレースと比べても引けを取らない。近いところでは、優勝後ジャパンカップを勝つことになるスワーヴリチャード、シュヴァルグランなどだ。後の天皇賞馬になるのは2007年のアドマイヤジュピタと2010年のトーセンジョーダン。優勝後の次走でGⅠ制覇した馬としては2008年のスクリーンヒーロー(ジャパンカップ)と2015年のゴールドアクター(有馬記念)も挙げられる。さらに、GⅠレースを勝てなくとも、優勝をステップにGⅠレース出走に漕ぎ着けたフェイムゲームやパフォーマープロミスなどが続々と挙がる。
2020年、2021年と連覇したオーソリティもまた、2021年の優勝後にはあジャパンカップで2着、その後サウジアラビアに転戦しネオムターフカップ(GⅢ)優勝、ドバイでのドバイターフ(GⅠ)3着と健闘した。
未来のGⅠ馬を探す意味でも、アルゼンチン共和国杯は見逃せない重賞レースだと思う。
だが、思い出のアルゼンチン共和国杯といえば、GⅠ馬誕生のきっかけとなったレースではなく、サクラセンチュリーが優勝した2005年の雨中のレースを取り上げたい。人気薄のマーブルチーフをアタマ差で下し、サクラセンチュリー自身にとって重賞3勝目となった第43回アルゼンチン共和国杯。
サクラセンチュリーは歴代の優勝馬たちとは異なり、アルゼンチン共和国杯制覇が現役最後の勝利となった。地道に出走して勝利を積み上げオープンで活躍した、私にとって当時大好きだった馬。彼も念願だったであろうGⅠレース出走を、私もずっと待っていた。
サクラセンチュリーという馬。
サクラセンチュリーは、父サクラローレル、母サクラヒラメキという血統を持つ。
静内の谷岡牧場新和分場生産の「ピュアなサクラ血統」の馬だ。
父のサクラローレルは天皇賞、有馬記念を横山典弘騎手で制覇した名馬。初年度産駒から京成杯優勝のローマンエンパイアを出したものの、活躍馬は数えるほどで終わった。
サクラセンチュリーは、そんなサクラローレルの2年目の産駒。決して評判になった2歳馬とは言えず、2002年9月の阪神開催でひっそりとデビューした。新馬戦は4着に敗れたものの、翌年3月に4戦目で勝ち上がり、500万クラス(現1勝クラス)を3戦目で卒業する。
私が彼の存在を知ったのは、2勝目を挙げた頃。
競馬週刊誌の成績欄の優勝馬血統表で「父サクラローレル」の馬であることを知り、サクラセンチュリーという名が頭の中に刻まれた。
残念ながらサクラセンチュリーが春のクラッシック戦線に乗ることもなく、3歳時は地道に夏のローカル~秋競馬でコンスタントに出走していった。年末のオリオンステークスで4勝目をマークし、オープンクラスに昇格。因みに準オープンクラスのオリオンステークスでは、後の天皇賞馬ヘヴンリーロマンスに競り勝っている。
4歳時は休養を挟んでメトロポリタンステークス、目黒記念でオープンの壁にぶち当たったものの、暮れの鳴尾記念では、圧倒的1番人気のスズカマンボを1馬身1/4差で抑え、重賞初制覇を飾った。
迎えた2005年の5歳時は、日経新春杯から登場。
逃げ込みを図るマーブルチーフを最後の最後で捕まえて、重賞連勝を果たした。
続く阪神大賞典は直線で追い上げるも届かずの4着も、天皇賞・春の出走に向けて視界良好と思われた。ようやく念願のGⅠ出走が叶うものと思っていたら、脚部不安で残念ながら回避。その天皇賞・春を制覇したのが、鳴尾記念で競り勝ったスズカマンボ。サクラセンチュリーが出走していれば……という気持ちになったのは、私以外にも多くいたはずだ。
夏場も休養に充て、秋のGⅠ出走に向けて9月の朝日チャレンジカップに向かうも、追い込み不発の6着。続く京都大賞典も同じようなレースで5着に敗れ、天皇賞・秋を断念する。かわりに翌週のアルゼンチン共和国杯に出走することが発表された。
2005年11月6日、雨の府中競馬場。アルゼンチン共和国杯出走の18頭が返し馬に入る。
菊花賞馬デルタブルース、古豪のファストタテヤマとコイントス。
活きの良い3歳陣からはニシノドコマデモとスムースバリトンたちが参戦した。
世代、キャリアの異なる幅広いメンバーが集結した一戦。57.5キロを背負った1枠1番のサクラセンチュリーは3番人気で、最初に本馬場に登場した。ゆっくりと逆方向の雨に煙る4コーナーに向かっていく。
一斉のスタートから、内のサクラセンチュリーは意図的にポジションを下げる。1コーナーへ向かうあたりでビッグゴールドがハナを奪い、芦毛のエローグ、マイソールサウンドの人気薄が続く。人気のデルタブルース、コイントスは先頭集団の後ろで様子を伺いながら向正面に入っていった。
隊列は変わらず、サクラセンチュリーは中段の内で流れに合わせてじっとしている。雨が降り灰色の3コーナーで、マーブルチーフが仕掛気味に内からビッグゴールドに迫り、サクラセンチュリーはいつの間にか外にポジションを移して4コーナーを回った。
直線に入ってビッグゴールドが後続馬群に飲み込まれると、先頭に躍り出たのが、コイントスと内からマーブルチーフ。ただ、そのコイントスが一旦先頭に立つも、外からいつの間にかサクラセンチュリーが迫ってくる。最内のマーブルチーフがコイントスを競り落として先頭に立つ。
その外から一気にサクラセンチュリーが脚を伸ばす。ゴール板が迫ってくるタイミングで2頭の鼻面が並び、サクラセンチュリーの鼻が前に出たところがゴール板。マーブルチーフをゴール前で捉え重賞3勝目を飾った。
これで、ようやくGⅠレース出走の夢が叶う……。
私は「回復が早ければ中2週でジャパンカップ、駄目でも有馬記念出走は可能だろう」と、サクラセンチュリーの次走を勝手に計画していた。
届かなかったGⅠレース出走の夢……。
サクラセンチュリーが次に姿を見せたのは有馬記念でなく、ステイヤーズステークスだった。
今度こそGⅠへ……と思っていただけに落胆は大きかったものの、来春の天皇賞の試走としての長距離重賞でもある。ここはあ確実に勝ち上がり来年につなげるだろうと、気を取り直してサクラセンチュリーのレースぶりに注目した。
サクラセンチュリーは2番人気の支持を受け、ゆったりした流れの中での後方待機。1番人気デルタブルースを射程において4コーナーで一気に進出するもとらえきれず、勝ったデルタブルースから0.2秒遅れの3着でフィニッシュした。
年が明け、2か月の休養を挟んで登場したのは京都記念。スタートで出遅れて最後方待機から3コーナーの坂の下りで順位を上げていく。1番人気シックスセンスより先にスタートしたサクラセンチュリーは、直線先頭に躍り出たマーブルチーフを捉えにかかり、迫ってくるデルタブルースを引き離す。完全にサクラセンチュリーが先頭に立ったと思った瞬間、外から武豊騎乗のシックスセンスが追い込んできた。2頭の激しいゴール前のデットヒート。首の上げ下げから2頭の鼻面が合致したところがゴールだった。
結果は、ハナ差でシックスセンスでの勝利。
悔しいハナ差負けのサクラセンチュリーも、春の天皇賞に向けて視界良好と言えた。
春の終わりを告げる京都3200mの舞台が、シックスセンスに雪辱を果たす機会となり、更に父サクラローレルと親子2代天皇賞制覇が見られるのではと期待が膨らんだ。
しかしその楽しみは夢となり、サクラセンチュリーは屈腱炎を発症し長期休養となってしまう。
死闘を演じたシックスセンスも京都記念が最後のレースとなり競走生活にピリオドを打つことになってしまった。
サクラセンチュリーは諦めなかった。でも、結果的には諦めて欲しかったといえる悲劇が待っていた。
懸命の治療とリハビリを経て、サクラセンチュリーが競馬場に帰ってきたのが1年10か月後の鳴尾記念だった。いつの間にか7歳という馬齢を重ねたサクラセンチュリー。それでも元気そうにパドックを回る姿が、テレビの画面越しに見える。Mデムーロ騎手を背に11番人気。復帰戦のここは無事に完走してくれれば良いと、それだけを願っていたのに……。
スタート後最後方を進むサクラセンチュリーのピンクの勝負服。直線入り口でひと塊になった馬群から、突然ピンクの勝負服が弾き出されるように後退した。やがて歩様が乱れ始め、馬群から離れていく姿が見えた時、テレビの右画面から無情にも消えてしまった。
──左前繋靱帯断裂で競走中止、予後不良。
サクラセンチュリーが無事にゴール板を通過して、検量室前に戻ってくることは叶わなかった。
生涯成績24戦7勝。重賞3勝。
せめて1度だけでもGⅠレースの出走馬欄にその名を刻んで欲しかった、幻の名馬。
アルゼンチン共和国杯の週になると、雨の直線を差してくるサクラセンチュリーの雄姿を思い出す。
Photo by I.natsume