ばんえい競馬を除く日本の競馬で唯一行われている直線競馬のレースは、新潟の芝1000mで行われる通称「直千」競馬だ。そしてその中で、アイビスサマーダッシュは「直千」唯一の重賞競走である。
芝・ダート問わず、JRAで1000mのレースは年間100レース弱おこなわれているが、出走メンバーや唯一の重賞格付けという条件なども考慮すると、アイビスサマーダッシュが最も「足の速い馬」を決めるレースであると言っても過言ではないだろう。
傾向としては、牝馬が強いとか、外枠が有利とか、展開面でも短距離・直線のレースらしく逃げ・先行馬が有利と言われるレースだ。また、これは直千競馬全体に言えることだが、直近のレースで頭打ちになっていた馬やダートを使っていた馬が急に激走することも少なくないレースでもある。
2007年に優勝したサンアディユも、まさに近2走ダートのレースで惨敗を喫しながらも果敢にこのレースに挑戦し、一気の差し切りで見事に優勝。
一躍、この年の短距離界のスターダムへと駆け上がっていった1頭となった。
サンアディユは、2002年3月26日、名門下河辺牧場で父フレンチデピュティ、母シェリーザの間に生を受けた。結果的にバリエーションに富んだタイプの産駒を輩出することになる種牡馬フレンチデピュティだが、日本での供用初年度となったこの時点までは、日本のダート史上最強馬の呼び声高いクロフネやJBCスプリントを制したノボジャックを米国供用時代に輩出していたように、芝のマイルもこなすが基本はダート短距離の種牡馬と認識されていたように思う。
そんな父をもつサンアディユのデビューは3歳4月と遅いものだったが、例に漏れず彼女のデビュー戦にはやはりダートのレースが選ばれ、以後も一貫してダート戦に出走し続けることになる。しかし初戦を4着と健闘し2番人気と期待され臨んだデビュー2戦目は、10着に終わってしまう。その後、4ヶ月の休養を経て迎えた9月の未勝利戦。翌月には未勝利戦が終了してしまうぎりぎりの時期だったが、ここを逃げ切ってようやく初勝利を手にしたのであった。
その後の昇級初戦は8着に敗れたものの、5ヶ月超の休み明け初戦を7馬身差で逃げ切って圧勝。2勝クラスに昇級してからの2戦は壁に跳ね返されてしまうも、1勝クラスに降級した7月の新潟戦から出直すと、そこから全て逃げきりで3連勝を決め、4歳11月にして一気にオープンへと昇級した。
前述したように、ここまでの勝利は全て逃げ切り。
逃げることができたレースは、7戦5勝2着1回。着外に敗れた1戦は、明らかに距離が長かった1700m戦という、逃げることができたレースではほぼ完璧ともいえる戦績であった。
しかし、年が明け5歳となって初重賞挑戦となったガーネットステークス。これまでのスタイル通りここも果敢に逃げるが、ダート戦では破格のハイペースとなる前半3ハロン32秒7を刻む一因となってしまい、600m地点を前にずるずると後退して最下位に敗れてしまう。さらに、同じ中山ダート1200mで行われた京葉ステークスも、先行策から12着に敗れてしまい、サンアディユのレースぶりに注目していた人々の中には「頭打ち」という言葉がよぎったに違いない。
そんな中、3ヶ月の休養を挟んだ陣営が次走に選んだのはアイビスサマーダッシュだった。
ここまでの全12戦でダートを走っていたサンアディユにとって初めての芝のレースで、なおかつこれまで未経験のコーナーがない直線競馬という初物尽くしの一戦。
近2走、ダートのレースで見せ場なく二桁着順に敗れてきた彼女にとって、それは一見、苦しい条件と思える挑戦であった。
しかし陣営は、この年デビュー10年目にして初めて重賞を制し、後に「直千競馬の名人」と呼ばれる村田一誠騎手を起用。さらに、この日の馬場はダートを使ってきたパワーを持ち味とする馬にとっては有利となり得る重馬場。枠順も、18頭立ての13番枠を引き当て、サンアディユにとって好転しそうな材料がないわけではなかった。ただ、最終的にオッズ77.1倍の13番人気に甘んじたのは何ら不思議なことではなかったように思う。
スタートが切られ、1キロ先のゴール板を一直線に目指す18頭。
例によって多くの馬が先行策を試み、序盤から複数の騎手達が手綱を押していく。
内からは2年前の覇者テイエムチュラサンとクーヴェルチュールが前を伺いながらも真ん中から外に進路を取り始め、真ん中からは前年の覇者サチノスイーティーと短距離重賞2勝の古豪ギャラントアローやフサイチホクトセイが──外枠からは人気の3頭、ナカヤマパラダイス、ジョイフルハート、アイルラヴァゲインが、先行集団を形成する。
そして、そこから2馬身ほど離れた第2集団の一番前にいたのが、久々に差す競馬に徹したサンアディユだった。
あっという間にレース中盤の500mを切り、第2集団の馬たちも前との差を詰め始めるが、やはり日本一「足の速い馬」を決める究極の短距離戦。なかなか先頭集団との差が詰まらない。そんな中、先行馬の1頭ジョイフルハートが早くもバテて下がってしまい、1番人気のナカヤマパラダイスが詰まって外に出さざるを得ない状況に。言うまでもなく、直千競馬ではこうした一瞬のロスが致命傷に繋がってしまう。
その間隙を突いて先頭に立ったのはクーヴェルチュール。ここで一気に後続との差を離したいところだったが、重馬場で行われたこの日のコンディションがじわじわ影響し始めたのか、残り200mを切ってから段々と脚が鈍り始めた。
そこに、水を得た魚のごとく馬場の真ん中から勢いよく襲いかかってきたのがサンアディユだった。
残り100mを切った地点で並ぶ間もなくクーヴェルチュールを交わし先頭に躍り出ると、一目散にゴールを目指す。外からはアイルラヴァゲインと、体勢を立て直して猛然と追い込んでくるナカヤマパラダイス。しかし、ナカヤマパラダイスがクーヴェルチュールを交わしさったところで、既にサンアディユは一足先にゴール板を通過していた。
芝のレースや差す競馬といった、これまでに経験してきたレースとは真逆ともいえる条件や課題を次々に克服したサンアディユ。いや、それは克服したというよりも、むしろこれこそがサンアディユの得意とする条件、彼女の生きる道だったのだ。それを見抜いて出走を英断した陣営のあまりにも見事な逆転勝利となり、ここから彼女の快進撃が幕を開けたのである。
次走の北九州記念こそ、良馬場とはいえアイビスサマーダッシュをさらに上回るハイペースを先団で追走して7着に敗れたが、11番人気と再度人気を落として挑んだセントウルステークスでは、2番手抜け出しからスプリント戦では決定的ともいえる5馬身差の圧勝でGⅡを制覇。
見事にこの年のサマースプリントシリーズのチャンピオンとなり、ボーナスを獲得したのだ。
さらに、中2週のスプリンターズステークスでは、およそ2ヶ月半前では考えられなかった初GⅠの舞台で堂々の1番人気という立場で臨み、逃げ粘るアストンマーチャンを最後の最後まで追い詰め2着。2ヶ月の休養を挟んだ京阪杯では、牝馬ながら57kgの斤量を背負うも2番手から抜け出す横綱相撲を見せての快勝で激動のシーズンを締めくくった。
全てが変わったアイビスサマーダッシュからたった4ヶ月半の間に、実に重賞3勝、GⅠで2着1回、体重も24kg増えるという充実ぶり。明け6歳シーズンの春、サンアディユはいよいよ短距離界の頂点を極めシンデレラとなるはずだった。
しかし──。
年明け初戦となった3月のオーシャンステークスで1.7倍の断然人気に推されたサンアディユは、ゲートインして間もなく近くの馬がゲートを蹴った音に驚き、前扉に突進、頭をゲートの下まで下げてしまう。係員によって一度頭を引っ込められたように見えたが、それが影響してか大きく出遅れしまった。道中では差を詰めたものの、終始後方のまま最下位に敗れてしまった。
さらに栗東トレセンに戻ってきたレース翌日、サンアディユは馬房内で心不全により倒れ、突如としてその人生に幕を下ろしてしまったのだ。
「もし、無事なら……」
この年の高松宮記念やスプリンターズステークスで短距離界の頂点を極める可能性は十分にあっただろう。また、仮に勝利できずに引退したとしても無事繁殖に上がっていたなら、ロードカナロアやレッドファルクス、キンシャサノキセキ、ビッグアーサーといったスプリント界のチャンピオンホースや、スプリントGⅠ勝ち馬を輩出したアドマイヤムーン、フレンチデピュティ牝馬と抜群の相性を見せるディープインパクトなどとの交配によって、自らの実績を超えるような名馬すら世に送り出せていたかもしれない。
そう感じている人は、少なくないはずだ。
サンアディユが懸命に駆け抜け、自ら切り開いた馬生。
それは、決して新潟の直線のように長いものではなかった。
しかし、彼女が初物づくしの課題を克服し逆転で駆け抜けたあの夏の日の新潟の直線は、確かに彼女の馬生を大きく変えるシンデレラロードとなり、光り輝く彼女の生きる道となった。
サンアディユの馬名は、フランス語で‘Sans Adieu’。
日本語に訳すと「さよならは言わないで」という意味だそうだ。
さよならも言わず、シンデレラになる寸前で突如ファンの前から志半ばで去ってしまったサンアディユ。
彼女は今もなお、天から、新たなるシンデレラの登場を見守っているのだろう。
新たなるシンデレラの馬生が劇的に変わり、一直線のその先に待っている短距離界の頂点へと一気に上り詰めていくことを願って。
写真:tosh、Horse Memorys