
強さとは、時に儚いものである。
鮮烈な強さを見せつけ、最強のまま引退していくものもあれば、未完のままターフから退き、「果たしてあのままだったらどうなっていただろう」と、我々に妄想の限りを尽くさせるものもいる。その未完の強さは時に、完璧な戦略すらも打ち破り、後世にわたって語り継がれるレースを作ることもある。
2005年のオークスは、まさにそんなレースだった。

美しいほどの連勝劇と、悔しさ
1995年、イギリスより1頭の牝馬が日本にやって来た。名をキロフプリミエールという彼女は、2001年この日本でかつて「日本総大将」と呼ばれた競走馬、スペシャルウィークと配合された。
そんな2頭の間に産まれたのは、青毛の牝馬シーザリオ。一口価格は栗東行きの馬の中では下から数えたほうが早く、兄弟に特筆すべき活躍馬もいない。そんな彼女だったが、秘めたるその素質は本物だった。
クリスマスの日のデビュー戦、年明けすぐの寒竹賞、重賞初挑戦のフラワーCと、そのどれをも事もなげに制して、あっという間に桜の舞台の主役級として駒を進めてきたのだ。
鞍上には、当時28歳だった福永祐一騎手。今でこそ数多くの大レースを制し、騎手引退後も調教師として活躍しているが、当時はまだまだ若手。直近の大レースでの勝利はエイシンプレストンとの香港制覇で、「洋一さんの息子が遂に台頭してきた」とささやかれ始めた時期だっただけに、この出会いは間違いなく牝馬クラシックを賑わすことになると思っていた人も少なくなかった。
しかし桜花賞当日、ここまで3戦すべてで手綱を取ってきた福永祐一騎手は、もう1頭のお手馬ラインクラフトの手綱を選んだ。
「シーザリオは強いけれど、先約を優先します」と筋を通した福永祐一騎手が選んだラインクラフトもまた、この年の牝馬クラシックの主役級の1頭だった。
シーザリオには公営・愛知の吉田稔騎手が騎乗することとなり、連勝の内容が評価されて1番人気でレースへ。だが直線、ラインクラフトと福永騎手がシーザリオの末脚を封じるために早めに抜け出した。シーザリオも馬群で包まれながらもなんとか捌き、残り200m地点から猛然と追い込んだが、クビ差届かず2着。しかし、この敗戦によってシーザリオの評価は下がるどころかむしろ上がっていた。
そしてラインクラフトは、距離適性を考慮して桜花賞馬、いやクラシックホースとして初のNHKマイルCへ乗り込むことに。これによってオークスの乗鞍が空いた福永騎手へ、再びシーザリオの騎乗依頼が舞い込んだ。
二度と乗れないかもしれないという思いもあった相棒に、再び自分が乗ることができる──。福永騎手は、角居勝彦調教師にありったけの感謝の念を伝えたという。
一方、そんな激闘の桜花賞で、ひっそりと後塵を拝していた良血馬と天才がいた。
4着に敗れたその馬の名はエアメサイア。二冠馬エアシャカールの半姉であるエアデジャヴーを母に持ち、背中に当代きっての名手・武豊騎手が跨る彼女もまた、オークスでの雪辱を誓う1頭であった。
桜花賞の雪辱は、オークスで晴らす。NHKマイルCで桜花賞から参戦したラインクラフトとデアリングハートの2頭がワンツーフィニッシュを飾っていたことも、その想いに拍車をかけた。両頭陣営、リベンジへの並々ならぬ胸中を抱え、樫の女王決定戦へ駒を進めた。
樫の激闘
迎えたオークス。シーザリオのオッズは1.5倍の抜けた断然人気だった。
桜花賞で僅かに届かなかったラインクラフトはNHKマイルCで牡馬相手に圧勝し、堂々と変則二冠を達成。
加えて彼女が条件戦で負かした馬たちのうち3頭が牡馬クラシック戦線に駒を進めていたことも、圧倒的な支持を後押ししていた。
そして何より、今一番勢いに乗っている騎手、福永祐一その人に、彼女の手綱が戻ってくる。
脚を余して負けたとも見られていた桜花賞であるが、その状況を作りした馬に乗っていた本人が再び背に跨るのであれば、それは鬼に金棒といっていい。改装前だった阪神より1ハロン近く伸びる直線は、末脚の切れる彼女にうってつけの舞台ともいえる。不安な要素は見当たらないといってよかった。
しかし、競馬に絶対などない。出走する18頭すべてにチャンスがあるからこそ、競馬は面白い。時にその逆転を窺う対抗一番手が、数多の勝利を重ねてきた名手の場合──。その恐ろしさは、何重にも倍増するであろう。
2枠4番、黒い帽子を身に着けて、シーザリオはスタンド前から五分のスタートを切り、大観衆の前へ姿を現す。
隣の枠では数完歩だけ、エアメサイアがシーザリオより好スタートを切っていた。
それが、大きな数完歩だった。
秒数にして僅かスタートから数秒。エアメサイアの武豊騎手はシーザリオがやや遅れているとみるや、瞬時に2枠3番のコスモマーベラスの真横に相棒を誘導する。それは、シーザリオの作戦失敗を早々と告げるものだった。
戦前、福永騎手は「ペースが遅くなりそうなら逃げてもいい」と言っていたように、できればシーザリオを好位につけたいと考えていた。桜花賞で脚を余して負けたことと、自身が手綱を取ったレースでは好位からの抜け出しを教え込んでいたという2つからも、後ろから行く丁半博打的な展開より、確実に前につけて抜け出せばまず負けないと考えていたのだろうか。
しかし、エアメサイアがシーザリオの進路を締めたことによって、その考えはすぐに打ち砕かれた。「断然の1番人気に、好位からの楽なレースなどさせない」と、まるで武騎手が周りへ語りかけるように締めたその進路に、周囲の馬も合わせて寄って行く。これまで差し競馬が中心だったエイシンテンダーが逃げ、この流れを作り出したエアメサイアが中団絶好位に位置する中、シーザリオはポジションを下げに下げられ、後方4番手で1コーナーを回ることとなる。
桜花賞でも道中10番手程に位置していたシーザリオにとって、ここからの競馬は未知の領域に等しかった。一方エアメサイアは3月のフィリーズレビュー以降中団の競馬が続く。僚馬ディアデラノビアも最後方から鋭い切れ味を見せる馬。人気所で唯一シーザリオだけが、いつもとは違う競馬を強いられていた。
道中、エイシンテンダーが引っ張るペースは1000m通過が63.1。明らかにスローペースで先行有利。レースが始まる前の祐一騎手の見立ては何ら間違っていなかった。しかし、シーザリオの周囲には依然分厚い壁。首を上げ、明らかに前に行きたがっている彼女を外にも出せず、前にも動かせない。
片やこの位置取りを作ったエアメサイアは中団内をストレスなく進んでおり、折り合いも上々。3コーナーのカーブで武豊騎手は相棒を外に持ち出し、仕掛け所を見定めて4コーナー、エアメサイアは先行権を射程圏に見据えて捉えにかかる。一方、シーザリオは前に位置していたディアデラノビアが先に仕掛け、ぴったりとマークされていたジョウノビクトリアが依然変わらず真横にい続けていたことで、4コーナーでまた再度揉まれ、後ろから数えたほうが早い位置にいた。
525.9mの府中の直線をもってしても、超スローペースの中この差を詰めるのは不可能に近い。
そして直線、外に出したランタナの影響でエアメサイアが外に出し、進出を開始していたディアデラノビアも煽りを受けてさらに外へ。ピューマカフェとの間に一瞬できた道が、再び閉じようとしていた。
ここで進路が閉じてしまえば、もう、間に合わない。
──刹那。ここまで溜めに溜めた闘争心が、シーザリオの末脚に火を点ける。1頭分の隙間が閉じかけたその瞬間、その間を切り裂いて一気にエンジンのギアが上がった。
残り200m、粘るエイシンテンダーの脚色は鈍らずとも、後ろから迫るエアメサイアの脚色がはるかにいい。外から迫るディアデラノビアもよく伸びているが、内のエアメサイアを交わすほどの勢いはないように見えた。
しかし、そのさらに外。
それらを全て飲み込むかのように、青き稲妻となってシーザリオが突っ込んでくる。
残り50m。武騎手のエアメサイアが先頭に立った瞬間、シーザリオは大外からまとめて薙ぎ払う末脚で並ぶ間もなく交わし去った。
その上り3ハロン、33.3秒。翌週、ディープインパクトがダービーで記録した33.4秒の上りすら上回る強烈な豪脚で、不利も、桜の悔しさも、ライバルの完璧な騎乗も、全てを薙ぎ払って府中のゴール坂を駆け抜けた。

戦い終えて、その後…
鮮烈にオークスを勝ったシーザリオはその後、日本調教馬として初めてアメリカのGⅠを制する快挙を成し遂げたのち引退。2着エアメサイアも、牝馬三冠最終戦の秋華賞でラインクラフトに勝利。母が届かなかったGⅠのタイトルを見事に手にした。
そして時を経て2015年の朝日杯フューチュリティSで、エアメサイアの子、エアスピネルが中団から抜け出して2歳王者の称号を得んとするその時、母シーザリオ同様リオンディーズが後方からごぼう抜きを見せ、最後の50m付近で交わし去って先頭。まるであのオークスを再現するかのようなレースぶりだった。母との激闘の記憶は、産駒たちにも引き継がれていた。

あの年、福永祐一騎手は春の3歳GⅠを3勝したことになる。その中で最も苦戦を強いられた戦いになったのが、シーザリオと共に戦ったオークスではないだろうか。
エアメサイアと武騎手は、確かに完璧に乗った。
だが、シーザリオと福永騎手が、それを打ち破るほどの強さを見せた。
後の世代まで決して色あせない激闘の記憶は、今も新緑の府中に息づいている。

写真:Horse Memorys
![[今週の注目馬]オークスへ - 今村聖奈騎手とジュウリョクピエロが描く、「挑戦」への軌跡](https://uma-furi.com/wp-content/uploads/2026/05/0O9A0959-300x200.jpg)
![[追悼]萩原清調教師を偲んで - 静かな情熱が遺したもの](https://uma-furi.com/wp-content/uploads/2026/05/0O9A5928-2-300x200.jpg)