[オークス]ウメノファイバー、メイショウマンボ…桜花賞着外の悔しさから巻き返した名牝たち

桜花賞が終わったひと月後、牝馬クラシック二冠目の競走として設定されているオークス。

1600mから2400mという800mの距離延長はこの時期の牝馬にとってはかなり過酷な条件で、一冠目では惜しくも敗れた馬達が逆襲を果たす、と言うケースは非常に多く見られる。

だが、桜花賞で6着以下となりながら、オークスで復活の勝利を挙げた馬達は、グレード制導入の1984年以降は僅か7頭。とはいえ、どの馬も競馬史に名を残す個性派の牝馬たちである。

今回は桜花賞で着外となりながらも、オークスで見事にリベンジを果たした馬達を紹介していく。

■ウメノファイバー(1999年)

クイーンCの勝利から直行した桜花賞は、8番人気で6着に終わったウメノファイバー。現代ではこのローテーションで同競走に参戦する馬は多く、また本番でも上位人気となるケースが多いため、この人気のなさを不思議に思う人もいるかもしれない。

しかし、当時はまだまだ間隔を空けてクラシックに直行するというローテは少数派。基本的には3月のトライアルレースを挟んできた馬達が評価されることが多かった。

ならば、重賞を勝利している東京開催のオークスこそこの馬には絶好の舞台だろう、となるかもしれない。だが、彼女の父であるサクラユタカオーは産駒に短距離馬が多く、いくら重賞を制している東京でも、血統的に800mの距離延長へいきなり対応できるかどうかは疑問符が付いていた。ゆえにオークスでも18頭立て7番人気と、そこまで評価が上がることはなくレースを迎えている。

ファンが感じたこの疑念は、当然、鞍上の蛯名正義騎手も感じ取っていた。ウメノファイバーは素直で指示通り走ってはくれるが、恐らくこの距離は長い。ならばそれを克服するために、彼女にどのような戦法を取らせるか。

熟慮の末に蛯名騎手が取った作戦は、距離を持たせるために最初の800mをゆっくり行かせ、残り1600mからレースをさせようというものだった。

五分のスタートを切ったウメノファイバーは蛯名騎手が手綱を引くとそのまま下がり、道中は後方から3番手の位置に。思惑通り彼女をゆっくり走らせることに成功した蛯名騎手は、先団がどう動いても、道中で相棒の行く気を削がないようにじっくりと進めた。

そして直線、ここまで我慢させたウメノファイバーを解放させるかのように、蛯名騎手はパートナーを大外に持ち出すと、その瞬間、ウメノファイバーの溜め込んだ末脚が一気に爆発する。外から目にも止まらぬ速さで前の各馬を交わし、そのまま先団から抜け出したトゥザヴィクトリーを僅かにハナ差とらえてゴール坂に飛び込んでフィニッシュ。蛯名騎手の作戦は、見事にハマったのであった。

■スマイルトゥモロー(2002年)

フラワーCを勝ち、4番人気で出走した桜花賞は6着。この戦績だけを見れば、牝馬クラシックにはよくいる馬と思うかもしれない。しかしこのフラワーCは、見ている者に強烈なインパクトを与える勝ち方だった。

スタートをゆっくり出て中団から進めたかに思えたスマイルトゥモローだが、向こう正面あたりから抑え切れない感じで上がっていくと、3コーナーで先頭に。そのまま後続を突き放して勝利するという規格外の勝ち方ながら、同時に気性面の課題が見える1戦であった。

桜花賞馬が回避し、混戦模様となったこのオークスでも4番人気の支持にとどまったのには、こうした背景があったからかもしれない。このレースで同馬と3回目のコンビとなった吉田豊騎手も「どう折り合うか」というのを最大の課題に置いていたという話からも、その危うさは陣営も感じ取っていたのだろう。

スタート後もスタンド前から1コーナーまではやはり行きたがる姿勢を見せていたスマイルトゥモローだが、後方でタムロチェリーとニシノハナグルマの間に入れると落ち着きを取り戻した。1000m通過が61.8秒と、中団以降から行く馬はいかにも行きたがりそうなスローペースとなっても、スマイルトゥモローは首を上げない。ここ数戦とは違い、確実に折り合いがついていた。

そして4コーナー、ここまで彼女を取り囲んでいた各馬が一斉に外へばらける中、吉田騎手はパートナーを内へ誘導。前方に交わす目標を見つけた彼女は確実に1頭ずつとらえて行き、最後は先に抜け出して競り合いを繰り広げていたチャペルコンサートらをあっさりとらえて勝利。史上初のフラワーC優勝馬によるオークス制覇を成し遂げた。

「うまく折り合えれば、一瞬の脚は良いものを持っていることは分かっていました」

同馬の持ち味を存分に発揮した吉田豊騎手の作戦と手綱捌きに、ただただ脱帽したオークスであった。

■ダイワエルシエーロ(2004年)

5番人気に支持された桜花賞では中団から全く伸びずに7着に終わったダイワエルシエーロ。次走のオークスでは人気こそ1つしか下がらなかったが、単勝オッズは前走の9.5倍から21.4倍まで急落した。その理由には、血統面の不安があったと思われる。

この年、断然人気を集めていた桜花賞馬ダンスインザムードの兄姉はオークス馬ダンスパートナーや菊花賞馬ダンスインザダークで、中距離から長距離のGⅠで結果を残してきた馬が多数。距離の不安は全くないと言っていい血統である。

一方、ダイワエルシエーロの母は現役時代、桜花賞を2着としながらもオークスでは10着と敗れたロンドンブリッジ。距離が延びて逆転できると踏んだファンは少なかった。

だが、ダイワエルシエーロに跨る福永祐一騎手は、一発の可能性に賭け、腹を括る覚悟を決めていた。「馬場はどこを通ってもいい。勝つには逃げるしかない」と。

スタートからパートナーを2番手に誘導していった福永騎手は、向正面で逃げていたウイングレットを交わして先頭を取り切る。しかし、極端にピッチを上げることはなく、1000m通過が62秒ジャストというスローペースを作り上げると、直線でもその逃げ脚は鈍らない。桜花賞同様、中団馬群から追い込んできたダンスインザムードを逆に突き放し、後方から怒涛の勢いで迫るスイープトウショウを抑えきって優勝。ゴールの瞬間、福永騎手はガッツポーズと共に雄叫びをあげた。

これまで追い込んで好成績を残していたダイワエルシエーロを、オークスという大舞台で一転、先行させての優勝。後年、ワグネリアンのダービーでも見せたここ一番の勝負度胸は、デビュー8年目の若手から中堅へと移り変わるこのタイミングで既に福永騎手は身に着けていたと言って良いだろう。

■トールポピー(2008年)

前年の阪神ジュベナイルフィリーズを制し、堂々の本命として臨んだ桜花賞だったが、外から全く伸びずに8着。ハイペースのなか全く伸びなかったその走りに、オークスでは2歳女王ながら4番人気まで評価を落としていた。

しかし、2歳時から「この馬は中距離でこそ」と調教を積まれてきた同馬には、オークスが当初からの目標であった。レースはスタートからゆっくりと出して行き、道中はインの経済コースをぴったりと追走。順調に脚を溜め、馬群がばらけた直線、鞍上の池添謙一騎手は外に持ち出し、そのまま弾けるかと思われた。

──が、すぐ横にいたムードインディゴと福永祐一騎手は、力のある2歳女王へそう簡単に自身が行く場所を譲らない。道ができたはずが一転、進路が無くなる。万事休すと思われたその瞬間、内のハートオブクィーンとエフティマイアの間が空いた。

池添騎手はそれを見逃さず、相棒をそちらへ誘導。そのまま内へ切れ込んで一気に抜け出し、桜花賞の雪辱を見事に晴らした。

この勝利で池添騎手は牝馬の三冠レースを全制覇。これにより、牝馬限定のGⅠレースにおいて勝利がないのはヴィクトリアマイルのみとなった。だがその勝利の一方で、内に切れ込んだ際に多くの馬へ影響を与えた進路妨害に関する裁定はかなり重く、降着こそ無かったが2日間の騎乗停止に。GⅠレースで降着無しの騎乗停止という裁決が下されるのはこれが初で、ほろ苦いオークス制覇となった。

だがその一方で、内に切れ込んだ際に多くの馬へ影響を与えた進路妨害に関する裁定はかなり重く、降着こそ無かったが2日間の騎乗停止の処分を受けた。GⅠレースで降着無しの騎乗停止という裁決が下されるのはこれが初で、ほろ苦いオークス制覇となった。

しかし、この勝利で池添騎手は牝馬の三冠レースを全制覇となり、牝馬限定のGⅠレースで勝利がないのはヴィクトリアマイルを残すのみとなった。ちなみに2026年時点でもまだ同競走は未勝利。果たして、史上4人目となる偉業を達成する日は訪れるだろうか。

メイショウマンボ(2013年)

桜花賞で10着と終わった後、騎乗した武幸四郎騎手は松本好雄オーナーに「この馬でオークスに行きたいです」と直談判をしたという。メイショウマンボは元々オークスへの登録がなかったため、出走には追加登録料を払う必要があったが、オーナーはこれを快諾し参戦が決定。雪辱を誓う人馬の人気は9番人気にとどまっていたが、逆襲の機運は高まっていた。

幸四郎騎手はこの時期、あまり活躍出来ていない苦しい状況にあった。2011年には勝利数が一桁となり、乗鞍も激減。GⅠへの騎乗機会も1年に1回あるかないかという状況となっていた。そんな時期でも、愛馬の依頼を変わらず出し続けたのがこの松本オーナー。桜花賞の負けで乗り変わりを勧める声もあったと言うが、それでもオーナーは幸四郎騎手へ依頼を出した。

その心意気に応えるかのように、幸四郎騎手はしっかりと結果を出す。スタート後、すぐにインの中団へ構えると、そのままじっくり脚を溜めて行く。そして勝負所で外に持ち出すと、上り最速の末脚を繰り出して一気に先頭へ。追い込んでくるエバーブロッサム、デニムアンドルビーを抑え、見事に樫の女王の座へ就いた。

レース後、幸四郎騎手は松本オーナーと共に嬉し涙を流したと言う。そしてこの翌週には、幸四郎騎手の兄である武豊騎手がキズナで復活のダービー制覇を成し遂げ、府中のスタンドは2週連続で感動の渦に包まれた。

思えばこの年の5月、東京競馬場で開催されたGⅠでは「人と人との繋がり」や「人馬の絆」を再確認させる名レースが連続していた。そんな月が競馬界を牽引してきた武豊騎手と、その弟である幸四郎騎手の復活によって締め括られると言うのも、どこか不思議な力を感じずにはいられない。

写真:Horse Memorys、かず、win

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