幸運の馬 - ディープボンドの引退によせて

1.「深い絆」という名の馬

2024年の有馬記念を最後に、ディープボンドが引退した。31戦5勝、主な勝ち鞍に阪神大賞典やフォア賞など。GⅠ勝ちこそならなかったが、そのひたむきな走りはファンを魅了した。父キズナ、祖父ディープインパクトの名を継いだ「ディープボンド」=「深い絆」という馬名のとおり、多くの人々と絆を結んだ競走生活だった。

私自身、キングヘイローの血を継ぐこの馬を応援していた一人である。キングヘイロー自身は短距離GⅠを勝ったが、この馬は中長距離で活躍。その血の持つポテンシャルを証明するような走りを嬉しく見守っていた。

ディープボンドの競走生活を語る上で欠かせないのが、「2着」「3着」の多さである。天皇賞(春)で2着が3回、3着が1回。有馬記念2着、京都大賞典で2着と3着が1回ずつ。ちなみに新馬戦も3着である。勝てなくても馬券圏内には食い込んでくる。そういう活躍が多い馬だった。

2.「ヒモの長さん」

こうしたディープボンドの走りについて考えるとき、私にはあるエッセイの一節が頭に浮かぶ。そのエッセイのタイトルは、寺山修司の「ヒモの長さん」。名前通り、「ヒモ」をテーマにした一編である。

若い頃に女の「ヒモ」として暮らしていた「長さん」という男は、中年に入ってから競馬の「ヒモ当て」、すなわち連勝単式で2着馬を当てる専門の予想屋になった。(なお、当時の連単は馬単ではなく枠単である)長さんが「ヒモ」にこだわるのは次の理由からである。

 長さんは、次男坊で、クラスでも成績がビリから二番目、運動会で走ってもいつも二番目で、何をやっても一番になったことがなく、そのために“ヒモ”人格化したのだ、ということであった。
 だから、いつも美空ひばりの、
 
  勝つと思うな 思えば負けよ
  負けてもともと この胸の

という唄をうたっていたが、この“もともと”というところを“もとが取れる”と解釈し、“連単二着馬”の唄だと信じ込んでいるのであった。

──寺山修司「ヒモの長さん」(『競馬への望郷』角川書店、1979年)より引用

負けても「もとが取れる」2着馬に賭けた「長さん」。どうにも勝ちきれない人生を多くの善戦馬に託してきたのであろう。寺山はこのエッセイの中で、「長さん」の「哲学」を紹介している。それは次のような一節である。

当然のことだが、長さんは一着馬には全然興味がない。「一着には強い馬がくるが、二着には運のあるのがくる」というのが長さんの哲学で、何が勝つかわからないときには、“ヒモ流し”といって二着馬から流すのだ。

──寺山修司「ヒモの長さん」より引用

「長さん」は「強い馬」よりも「運のある馬」にこそ注目し、その馬を中心とした予想を立てる。「強さ」よりも「運」を優先した予想方法は偶然性に頼り切りのようにも見えかねないが、2着馬というのは勝ち馬に劣らない実力があることが前提となり、その上で他馬を退けて馬券圏内に入り込む「幸運」を持っている必要がある。そういった意味ではどのような馬が「運のある馬」なのかを見極めることは単に「強い馬」を見極めることより難しい。それこそ予想家自身が「幸運」を持っている必要もある。

競馬ファンは馬券を買わない。
財布の底をはたいて「自分」を買っているのである。

──寺山修司「加賀武見論」(『馬敗れて草原あり』角川書店、1979)より引用

と考える寺山にとって、「ヒモの幸運」に自分を賭ける「長さん」の生き方は、一種の潔さを感じさせたのだろう。

寺山は競馬における「幸運」について次のように語っている。

「すべての競馬ファンが、運を克服しようとして科学的なレーシング・フォームを読み漁るとき、賭けが「自由」へのあこがれであることが明らかになる。誰だって運命からの脱出を夢みる。だが同時に「幸運の誘惑」から免れることはできないのである。
(中略)賭博者の真意は、どんな幸運の誘惑からものがれて、自由になりたいのではないかと思う。そうでもなかったら、血統、体重、能力、成績などから、馬を選ぶはずがない。もっと好き嫌いで馬を選ぶことになるだろう。
私は、知るために競馬をやっている。
私は運命からの自由が、世界を支配できる日のためには賭けない。私は言葉の占星学、思念の十二支の中で、ただひたすら「幸運の誘惑」に遊蕩することが願いである。」

──寺山修司「影なき馬の影」(『馬敗れて草原あり』角川書店、1979)より

寺山は「運を克服しよう」と考えて予想することを良しとせず、「幸運の誘惑」に遊蕩することこそを理想とする。つまり、「好き嫌いで馬を選ぶ」ことが望ましい「自分」の買い方だと考えるのである。「長さん」が「幸運の誘惑」に遊蕩する境地に達していたからこそ、寺山はシンパシーを感じたに違いない。

3.「幸運の馬」ディープボンド

このような寺山修司や「長さん」の競馬観の文脈でディープボンドという競走馬を捉える時、私にはこの馬が「幸運の馬」と言えるのではないかと感じる。

ディープボンドの周りには「強い馬」が綺羅星の如くいた。コントレイル・デアリングタクトという無敗三冠馬2頭に加えて、ダート王ウシュバテソーロや快速逃げ馬パンサラッサらが同世代。2着になったレースでは一つ下の世代との激闘が多く、エフフォーリアには有馬記念で、タイトルホルダーには天皇賞(春)で、シュヴァリエローズには京都大賞典で後塵を拝した。

それでもディープボンドは2着や3着に食い込む走りを7歳まで続けた。これは単に実力があるだけでは成し遂げられない活躍である。「一着には強い馬がくるが、二着には運のあるのがくる」という「長さん」の哲学を地で行く馬だったと言えるだろう。

絶対無敵の「強い馬」ではなかった。それでもディープボンドにはファンが多かった。様々なものが数値化され、激しい競争にさらされる現代社会、「何をやっても一番になったことがない」人々は多く生まれている。そうした我が身をディープボンドに託し、応援する。すると「幸運」を持つこの馬は、ひたむきに走って健闘する姿を見せてくれる。あと一歩が届かない走りをもどかしく思う一方で、そのもどかしさが応援の原動力になる。だからこそディープボンドはファンを惹きつける馬になったのだと思う。

「自分」を買う思いでディープボンドの走りを見守る時、そこには「幸運の誘惑」に遊蕩する境地があるのではないか。おそらく「長さん」が令和の競馬を観ていたら、ディープボンドを迷いなく「ヒモ」にしたに違いない。

ディープボンドが「幸運」で掴み取った生涯獲得賞金は7億5844万円にも及ぶ。GⅠ未勝利馬として史上最多の賞金額は、「負けてもともと」どころではない、偉大な記録である。「幸運の馬」ディープボンドは誘導馬として第二の馬生を歩む。彼が先導する馬の中から、競馬ファンが自分を託せるような次なる「幸運の馬」が登場することを願いたい。

写真:はまやん

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