![[連載・片目のサラブレッド福ちゃんのPERFECT DAYS]福ちゃんの離乳(シーズン1-40)](https://uma-furi.com/wp-content/uploads/2025/03/2025033103-scaled.jpg)
離乳の時期がやってきました。ついに来てしまったというべきか、福ちゃんがお母さんから離れ、次の新たなステップに向かうタイミングが訪れたのです。実はサマーセールが終わった翌日に離乳をしようかと計画していたのですが、台風の影響で天気が崩れそうだということで延期した経緯があります。離乳をすると、多かれ少なかれ、仔馬たちはお母さんを探して放牧地を走り回ります。そのとき、雨によって地面がぬかるんでいると滑ったり転んだりする事故につながりかねないからです。そうでなくともあらゆる十分な危険性がある離乳のタイミングですから、できるだけリスクは減らしたいとのことで、天気が良くなるのを待つことになりました。
サマーセールの翌日であれば、僕も福ちゃんの離乳に立ち会い、動画を撮影することができたのですが、福ちゃんたちが怪我をしてしまっては元も子もありませんので納得の延期です。内心はホっとしました。なぜかというと、離乳に立ち会えるのはありがたいのですが、福ちゃんの戸惑い嘆き悲しむ姿を目のあたりにするのは辛いと思いますし、何よりも福ちゃんに恨まれる気がしてならなかったのです。普段はいない人間がいるタイミングにお母さんがいなくなってしまうと、もしかするとお母さんを僕が連れ去ったと福ちゃんが誤解してしまうと嫌だなと思いました。「お母さんを返して!」と思われながら、今後福ちゃんに会うのは勘弁です(笑)。
離乳はおよそ1週間後に決行されました。「馬主は語る」(シーズン3-11)にも書いたとおり、ここ最近で離乳の方法も大きく変わって、今は段階的に母馬を抜いていく形が主流です。碧雲牧場には今年、7組の母子がいますので、2回か3回に分けて離乳を行います。基本的には早く生まれ、精神的にも成長している馬の母から抜いていきます。第一段階として、生まれた順番の早い福ちゃん、ミーちゃん、マンちゃん、そしてツキくんが選ばれました。
実際には、福ちゃんはこの中でも最も早く生まれているにもかかわらず、まだお母さんにベッタリでお乳を飲んでいることもあり、僕たちは少し心配でした。生まれが早いから必ずしも精神的な成長も早いというわけではなく、個体差があるものですが、かといって福ちゃんを後の組に回すほど幼くもありません。仲間もいるから大丈夫だろうということで、福ちゃんも第一陣に選ばれたのでした。
昨年までと違うのは、碧雲牧場には今年から新たな放牧地ができたので、そこに母馬を連れていくことができます。少し離れているため、母馬たちをそこまで歩かせて連れていかなければならないのですが、これまでのように母子がお互いの鳴き声が聞こえないという良い面があります。昨年までは、姿こそ見えなくても嘶く声が遠くから聞こえてしまうことがあったので、互いに混乱してしまう状況がどうしてもありました。今年からは完全に母子を離すことができますので、離乳がよりスムーズになるはずです。
離乳は静かに始まりました。馬房から放牧地に出したばかりの頃は、馬たちにまだ元気が有り余っていて、大暴れしてしまう恐れがあるため、少し疲れてきて、まどろんでいるタイミングを見計らって、母馬を1頭ずつ抜いていきます。今回は、福ちゃんの母であるダートムーア、ミーちゃんの母フォーミー、マンちゃんの母マンデュラ、そしてツキくんの母ツキノサバクを引き、車道を数100メートル歩かせて、新しい厩舎のある放牧地まで連れていきます。
しばらくすると、勘の良い仔馬はお母さんがいないことに気づき始めます。あれほどお母さんにベッタリだった福ちゃんが最初に気づいて、困惑し、鳴き出すかと思いきや、その役はマンちゃんでした。YouTubeチャンネルを観てくださっている方はご存じかもしれませんが、マンちゃんの母マンデュラはドイツの良血のお嬢様ということもあってか、ある時期までは子馬には自分と一緒には飼い葉桶で食べさせないという厳格な育て方をします。あれだけ厳しく育てられたマンちゃんが、最初に母の不在を嘆くとは意外でした。お母さんがいなくなって解放され、せいせいしたと思いそうですが、そうではなかったようです。マンちゃんにとっては、どれだけ厳しい母でも大好きな母だったのです。
マンちゃんは小粒と呼ばれているように、身軽なため、普段から後ろ肢を高く蹴り上げる姿が良く見られます。今回ばかりは特に、周りに馬がいようが見境なく、何度も繰り返しそうした動きをして跳び回っています。周りの馬たちはどうしたどうした? というぐらいに落ち着いているのが幸いですが、マンちゃんの狂乱が周りの馬たちにも伝染していくと危険度が増します。福ちゃんは意外と鈍感なのか、お母さんがいなくなったことに気づいていないような素振り。ミーちゃんもツキくんも、大きな反応を見せてはおらず、ひとまず安心といったところでしょうか。
意外なことに、福ちゃんよりもムーア母の方が嘶いていました。新しい放牧地に連れていかれる途中、もう二度と会えないことを悟ったのか、ムーア母は鳴いて何度も福ちゃんを呼んだのです。「福ちゃん、元気で頑張るんよ! あなたは片目こそ不自由だけど、普通の子たちと同じように何でもできるから大丈夫だからね!」と言っているように僕には聞こえました。ムーア母はベテランの繁殖牝馬であり、何度もこうした別れを繰り返してきているにもかかわらず、子を想う気持ちはいつも変わらないのでしょう。あれだけ命懸けで産んだ子どもとわずか半年間しか一緒に暮らせないのは人間から見ると残酷ですが、馬は2頭を同時に育てられませんから仕方ないのですね。来年(2025年)の3月には今お腹の中にいる仔が生まれてきますから、それまでのどこかで子離れをしなければならないのです。
次に心配なのは、仔馬たちが馬房に戻ったときだと慈さんは言います。馬房に戻ったときに初めて、本当にお母さんがいないことを実感する仔馬が多く、馬房の中で暴れたり、泣き叫んだりを続け、飼い葉を全く食べなくなって、やせ細ってしまうこともあるそうです。離乳をどうスムーズに行うかは、馬体の維持という意味においても大切です。せっかくここまで順調に成長してきた体が、離乳に失敗すると一気に減ってしまい、再び元の体つきを取り戻すのに時間がかかってしまうからです。
そのため、離乳をした日は馬房に戻さず、夜間放牧を続けるようにしているそうです。丸2日間、母馬がいない状況にある程度慣れたあと、また肉体的にも疲れ果ててから、ようやく馬房に戻します。大暴れする体力も気力もなくなった状態なので、寂しさや悲しさがあっても、大きなアクシデントが起こるリスクを軽減できるのです。このように細心の注意を払いながら、離乳は行われます。仔馬たちにとっては必ず向き合わなければならない試練であり、できることならば心身ともにダメージ少なく乗り越えてもらいたいという牧場の思いですね。

さすがに福ちゃんも、初めて馬房に帰ったときは、母が本当にいなくなったことを悟り、馬房の中をぐるぐると駆け回ったり、馬房から首を外に出して母の姿を探したりを延々と繰り返しました。隣の馬房にいるミーちゃんも同様に、もしくは福ちゃんよりも混乱していたので、悲しみの相乗効果も生まれていました。母との突然の別れを僕自身は経験したことがないので、福ちゃんの気持ちは想像するしかありません。そして、なるべく早く落ち着いて、ご飯を食べて、強くなってもらいたいと想うことしか僕にはできないのです。
母と子が突然離されてしまい、もう二度と会うことはない事実は見た目には残酷です。もう少し一緒にいさせてあげたいと思う気持ちは山々ですが、母と離れることは仔馬にとっては成長のきっかけにもなります。福ちゃんのお姉さんもそうでしたが、離乳をしてから、精神的にしっかりして、一気に成長するのです。頼るべき存在を失ってしまったことで、悲しみに暮れつつも、自ら立ち上がる力が湧いてくるのです。福ちゃんにもそうあってもらいたいと願います。

馬は記憶力の良い動物だと言われますが、一旦、離乳した母と子はしばらくすると互いのことを忘れてしまいます。子が繁殖牝馬として牧場に戻ってきて、再び会ったとしても、お互いが母子であることを認識しないのです。実際にダートムーアも、碧雲牧場では隣の放牧地に娘(福ちゃんのお姉さん)がいたにもかかわらず、赤の他人のようになってしまいました。僕たちからすると、あっけなくて、寂しい気持ちもしますが、馬たちは忘れることができるからこそ生きていけるのかもしれません。離乳のたびに引き離される母や子のことをずっと覚えていたら、辛くて仕方ありません。 それでも馬は、母と一緒にいたときの安心感や楽しかった気持ち、母から受けた愛情の温かさは覚えていると僕は信じています。物ごとや個別の記憶はなかったとしても、感情の記憶は残るのです。痛いことや嫌だった気持ちなどを馬は決して忘れないように、楽しかったこと、嬉しかったこと、温かかったことなどもはっきりと覚えているはずです。母と子の記憶は温かさや優しさ、安心、愛といった感情の記憶なのです。それはきっと子馬たちがこれから生きていく上で、心の支えになってくれるはずです。
子供の頃に見た風景がずっと心の中に残ることがある。いつか大人になり、さまざまな人生の岐路に立った時、人の言葉ではなく、いつか見た風景に励まされたり勇気を与えられたりすることがきっとあるような気がする。
──『旅をする木』 星野道夫(文藝春秋)所収「ルース氷河」より引用
子どもの頃に見た風景が僕たちをそうすることがあるように、馬たちは母馬から受けた愛情の記憶に励まされたり、勇気を与えられたりすることがきっとあるはずです。そう思わずには離乳なんてやってられません。そして、もし馬たちが感情をずっと記憶していて、それが彼ら彼女たちを支えるのであれば、僕たち人間がどのように馬に接したか、そのとき馬たちがどのような感情を抱いたかも、馬たちの人生を大きく変えていくことになるのではないでしょうか。
碧雲牧場の福ちゃん世代の第2ステージが始まりました。
(次回へ続く→)