成績が抜群なわけじゃない。

なぜその馬が好きなのか──そう問われると確固たる理由を言葉には出来ず、でもどうしても心惹かれる馬が、あなたにはいないだろうか。
強いことが、あるいは速いことだけが、競走馬たちの価値ではないと、私は思う。
勝利数が多くなくても、賞金を稼げなくとも、レースに出ることがわかったら応援してしまう。
そこに理由なんて考えてしまうのはナンセンスなのかもしれない。

私にとっても、そんな馬がいる。

たった1枚の記事に載せられた写真をみて心惹かれ、10年以上たつ今もなお、産駒をチェックして応援を続けている。
たった1枚の写真……というのは、彼が3歳になったばかりの頃に挑戦した共同通信杯のインタビューのものである。

馬房の中から射抜くような目線を向ける1頭の若駒。
土日にはインターネットで競馬の記事を漁る日々を過ごしていた当時のわたしは、一瞬でその馬のファンになった。

その馬こそが父ブライアンズタイム、母ファーザ。
ハシモトファーム生産のフリオーソであった。

フリオーソは、南関東の明白楽といわれた船橋競馬場川島厩舎所属の牡馬であった。
川島調教師の「打倒中央」の夢に1番近づいた馬でもある。

その当時、フリオーソ陣営の夢の前に立ちはだかったのは帝王賞・JBCクラシックの勝ち馬ワンダーアキュートや、ジャパンカップダート・JBCスプリント・南部杯等の勝ち馬エスポワールシチー、東京大賞典・帝王賞・JBCクラシック等の勝ち馬スマートファルコン、そしてジャパンカップダート・フェブラリーの勝ち馬であり、ドバイWC2着のトランセンド……その他、挙げればキリがないほどのスターホース達だった。

誰しもがダート界のトップに君臨するために、しのぎを削るライバルだった。

そこにフリオーソ陣営は挑んでいった。

雄大な馬体と少し濃いめの栗毛の馬体に、チェック模様のメンコ。
気合を全面にだした鶴首でのパドック。
決して体つきは中央の馬たちにも劣らない。

走り出せばやる気を前に出し、果敢に逃げる。
前述したとおりの強敵たちにも屈せず、自身のスタイルを貫き続けるその姿──打倒中央を掲げる陣営の意地と気合いがあらわれたような脚質だった。

一生懸命、必死に走るフリオーソ。

陣営の願った夢はあと1歩のところまできたが、惜しくも叶わなかった。
フリオーソは体質がそれほど丈夫ではなかったため、決して順調な競走生活ではなかったと聞く。

7年間の競走生活のうち、4回もの屈腱炎を経験していたそうだ。
屈腱炎といえば、競走馬の不知の病ともよばれ、1度発症すればいつ再発するかわからず、引退という選択肢が大きくのしかかるような病である。

フリオーソはそんな病と戦いながらも、NAR年度代表馬を4度受賞。

地方競馬所属馬の中でも歴代トップの獲得賞金を誇る、精神力・競走能力に優れた馬である。

私はそんなフリオーソの諦めない姿勢にひかれ、フリオーソに引っ張られるように各地へと出向いた。

未踏の競馬場に出向き、北海道で種牡馬生活を送る彼に会いに行き、さらには彼の産駒を応援することで水沢や高知・佐賀競馬場に行く機会も得ることが出来た。

フリオーソに出会えたから、競馬場に行くことが楽しくなり、一人旅を計画し満喫することができるようになったように思う。彼自身にもたくさん楽しませてもらったし、これから先、毎年のように産まれるフリオーソ産駒にも楽しい思い出を作ってもらえるのが楽しみで仕方が無い。

競馬とは、ギャンブルであると共に、ブラッドスポーツとよばれ、競走成績や血統がよければ、娘や息子、そして孫や曾孫といった血の繋がりを楽しみにすることも出来る。

種牡馬や繁殖牝馬になることは簡単なことではないが、最短で3年後には、大好きで追いかけた馬たちの子供たちの応援ができる……というのは、競馬のひとつの魅力ではないだろうか。

競馬は結果を残さなければ淘汰されていく世界であり、競走能力が優れていても、子孫にその遺伝子が残せなければ、余生が保証される世界でもない。とても厳しい世界であるからこそ、より応援に力が入るのではないだろうか。

競走馬としての走りが見られるのは、ほとんどが3〜5年のこと。

あなたにとって心惹かれる、あなただけの名馬に会ったり、これからの出会いを楽しみに競馬場に行っている方もいるのではないだろうか。

因みに現在のわたしの心の中の名馬は、高知競馬所属のフリビオンと、大井競馬場所属のクリスタルシルバーだ。

ぜひ、あなたの名馬も教えて欲しい。

写真:s.taka

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