スターズオンアース - 世界が見上げた地上の星

優駿牝馬。言わずと知れた、三歳牝馬に一度きりだけ出走が許される、日本ダービーと並ぶ伝統のクラシックタイトルだ。三歳牝馬が2400mの芝コースを走るという、華やかな題名と相反するような過酷さを含んだ舞台。数々の名牝が樫の栄誉へと挑み、涙を飲んだ。

オークスと聞いて私が真っ先に思いつく馬の名は、スターズオンアース。彼女の走りは、亡き父ドゥラメンテを思い出させるほど鮮やかで、心奪われるものだった。魂の奥底から湧き上がる様な、反骨心が迸るような末脚は、現役を終えた今でもふと思い出してしまう。

黄、黒縦縞、袖青一本輪。伝統と名誉ある勝負服に、もう言葉は要らないだろう。府中の直線を駆け抜けた彼女のことを、私は『世界が見上げた地上の星』だと思う。

偉大なる母系血統、Sのライン

スターズオンアースの母親は、英国生まれのサザンスターズという繁殖牝馬だ。母方の祖母は欧州で芝G1を幾度も勝利したスタセリタという名血統で、いわゆる『お嬢様』である。このサザンスターズの先祖をたどってゆくと、シュヴァルツゴルトというドイツの牝馬へとたどり着く。このシュヴァルツゴルトの子孫は、頭文字にSを持つG1勝利馬が多く、その血統は『Sのライン』と称される。スターズオンアースもその伝統を受け継ぎ、星の名を頭に戴いたのであろう(全くの余談だがSのラインに、あの謎多き馬サリオスhttps://uma-furi.com/salios-2/もいる)。

日本に伝わったSのラインの牝系でいうと、ブエナビスタやエンブロイダリーを輩出したビワハイジ系統がにぎやかである。また、スターズオンアースから見て叔母にあたるソウルスターリングは、オークス馬としてその名を歴史に刻んだ。

スターズオンアースの父親はというと、謂わずと知れた早世の天才二冠馬ドゥラメンテだ。力強さと危うさが表裏一体の、目を離せない優駿であった。彼女の切れ味鋭い荒々しい末脚は、まさに父譲りと言えよう。

ドゥラメンテの母系もダイナカールから始まるエアグルーヴ系の名血統である。スターズオンアースは普段は物静かで賢いらしい。しかし彼女の一度火が付くと止められない勝気な性格や、牡馬相手に渡り合った戦歴は、どこか曾祖母エアグルーヴを思い出させるものがある。

オークスゆかりの血統を多く受け付いた彼女は、まさに樫の寵愛の元に生を受けた……と、つい書きたくなる。けれども、我々の人生が山あり谷ありなのと同じように、馬生も思い通り上手くゆかないもの。彼女は二つの重苦しい難題に立ち向かわなくてはならなかった。

星を覆い隠すモタれ癖と不運

彼女の戦績を眺めてみると、連対率が高くすばらしい。調子が優れなかった引退年を除いて、デビューから4歳有馬まで一度も馬券外になっていない。だからこそ、こうして戦歴を眺めているだけでは、彼女が何に苦しんでいたかは分かりづらい。

現役時代の彼女には、モタれ癖と不運が暗い双子の影となって付いて回ったのだ。

若い時や不調時に顕著であるが、彼女には内ラチ方向へぶつかろうとする「モタれ癖」があった。原因はファン目線でははっきりしないのだが、やはりドゥラメンテから受け継いだ気性の粗さが頭をもたげてくるのだろうか。彼女を取材した記事や新聞のアーカイブを見ても、「モタれ癖はどうなったか」という質問がよく出てくる。それに対して、陣営側も馬具を替えたり調教メニューを組み替えたりと、必死に試行錯誤されていたようだ。

また、彼女に関しては、レースの枠順でことごとく大外を引き続けた不運も有名である。騎手が様々に乗り替わろうとも、彼女のゼッケンは常に二桁で、鞍上も常にピンク帽を被っていたような気さえする。大外が著しく不利な中山2500m有馬記念でも、しっかり大外を引いていたくらいに運が悪い。

正直に書くが、私は馬券を考える際にスターズオンアースのモタれ癖と大外枠を、大きなマイナス要素として見ていた。桜花賞での七番人気も、それが響いたのではないだろうか? そんな前評判を翻して桜花賞を征した彼女であるが、オークスもとなるとどうだろうか。桜花賞とオークスは、距離も競馬場も大きく異なるのだし……と、多くの競馬ファンが考えたかどうかは分からないが、スターズオンアースはオークスでも三番人気と、一番人気ではなかった。

皆が思い出した星の名は

2022オークスを迎えた時。私は大好きなピンハイの応援馬券に加えて、二番人気アートハウスを軸にした馬単で勝負することにした。アートハウスを選んだのは、血統的に東京競馬場が合うと見込んでのことだった。『彼女の事』はあくまで紐として考えていて、存在も忘れかけていたかもしれない。釈明すると、ピンハイのことで頭がいっぱいだった。

そうして色んな情念が渦巻く中、オークスのゲートが開いた。ニシノラブウインクが想定通りに馬群を先導する形になり、アートハウスは好位置に着く。が、一番人気のサークルオブライフは大きく出遅れて最後方からとなる。彼女は中団でじっとこらえる形になった。

ピンハイを心配する私は、気が気でなかった。向こう正面へ入るまでに、馬群の順位が慌ただしく入れ替わる。どの馬が好位に居ると呼べるのか? 馬たちが、競馬にまだ慣れていないのがありありと解る展開だ。クラシックの特に牝馬戦は、計算が立たない。半分を過ぎた頃にサークルオブライフがまくる様に上がっていくと馬群が縮まり、混沌とした展開のまま彼女たちは最後のコーナーへと突入してゆく。

そのコーナーで、彼女はコースの外側をキープしていた。大外を通るつもりか? 確かにそのコース選択ならばモタれ癖は現れない。けれどスタミナが持たず、末脚が伸びないだろう。浅はかに私はそう思い、ピンハイの進路に集中力を注いだ。

最後の直線に向き、ニシノラブウインクは力を使い果たして後続馬群に呑まれてゆく。その後ろから迫りくるのは、ナミュール、スタニングローズ、ピンハイ。

そして、彼女──スターズオンアースだった。

18番のゼッケンを見た時、私は彼女の名前を思い出して、短く叫んだ。その直線に彼女が現れるまで、皆が忘れていたはずだ。その地上の星の名を。大外を回って消耗してもなお、スターズオンアースの鋭い末脚は衰えを知らず、後方から襲い掛かる。

名前に抱いた地上の星が、君自身の征く道を照らす。自らの居場所を示すように。

君は「私を見ろ」と言わんばかりに、天馬の如くターフを駆け上がってゆく。

残り二百メートル前で、このレースの勝負は決した。

君が樫の頂へ辿り着いた瞬間は、鮮やかで華やかで、荒々しかった。不運や苦悩から一瞬だけ解き放たれた君の美しさに、ただ我々はあっけにとられ見惚れるしかなかった。

くもり空を見上げていた我々の抱く、ほの暗い予想を君は打ち砕いてみせた。

君の声にならない思いが聞こえた気がした。私はどこにも消えていない。今、ここに在るのだと。

ドゥラメンテの血の行方

星は一瞬ひときわ輝いた後、その光を取り戻すには至らなかった。この後のスターズオンアースの戦績は先述した通りで連対率は素晴らしい。けれど、一着は遠いものであった。

このコラムを執筆して改めて強く思うことは、競走馬にとっての一勝は、本当に貴重なものだという事だ。彼女もまた、惜敗の多い名馬であった。

けれども、最悪の不運に彼女が出会わぬまま、無事に引退して次の使命へ進めた事は本当に歓迎すべきことだ。

この原稿の執筆中、悲報が飛び込んだ。スターズオンアースと父を同じくするリバティアイランドが、香港で予後不良のために客死してしまった。改めて心より、ご冥福をお祈りしたい。

古今東西どんなレースでも、死という事象が付いて回る。残酷な事実だ。マラソンの語源になったという、戦地マラトンから母国ギリシアまでの長距離を走破した伝令兵は息絶えた。数々のF1レーサーが、コースアウトの末に車体と運命を共にした。速さを競うという行為そのものに、死の危険性が潜んでいる。

けれども悲しいかな、人々はレースに熱狂する。私もそうだ。

私は単なる競馬ファンでしかないが、レースに命がけで関わる人馬への敬意を忘れないようにしたい。また、F1では近年、レーサーを保護する様々な保安装置が開発され、生存率の向上につながっている。そのような技術革新が競馬にも訪れる日を待ちたい。

無事に繁殖入り出来たスターズオンアースの牝系が、偉大なシュヴァルツゴルトやエアグルーヴのように確立されることを祈るばかりだ。そして、もう一度樫の花を咲かせることを期待しよう。その逞しさと気強さが、次の世代に受け継がれるならば、ドゥラメンテやリバティアイランドの面影はずっと人々の記憶に残り続けるだろうから。星の輝きに導びかれた子供たちは必ず、その使命を果たしてくれると私は信じる。それがSのラインの強さなのだから。レースへ出走する彼女の子たちの姿を、今度は忘れずに最初から見届けたいと思う。

梅雨前に急ぎ足で草花が空へ向かって背を伸ばす五月。この時期になると私は、とあるオークス馬を思い出す。伝統に裏打ちされた黄縞の勝負服を着た騎手に、美しい顔立ちの君はとても似合う。荒々しい末脚で自分の輝きを空に刻んだ、桜と樫の二冠女王。

その星の名は、スターズオンアース。

君の煌めきがどれだけ美しかったかを、私は忘れやしない。

写真:s1nihs

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