![[追悼]香港で天に昇った三冠牝馬リバティアイランド。心から送りたい「ありがとう」](https://uma-furi.com/wp-content/uploads/2025/04/IMG_5030.jpeg)
2025年4月27日。香港・シャティン競馬場。クイーンエリザベス2世カップ。
挑戦を続けたダービー馬タスティエーラが海外の強豪を打ち負かし、2年ぶりの快哉を叫んだ日。三冠全てを駆け、王道を歩み続けた末に再び掴んだ栄光は、偉大なダービー馬の復活劇として語り継がれていくだろう。
本来であれば、満面の笑みと共に振り返りたかったこのレース。けれど――私にとって、この日の記憶は、痛みと共に心に刻み込まれることになった。
直線、三冠牝馬リバティアイランドが脚を痛め、画面から消えていった。たくさんの思い出を、無邪気に、軽やかに届けてくれた「お嬢さん」は、二度と私たちの前に姿を現すことはなかった。
それは私にとって、消えることのない傷となった。
彼女は最初から、風のように破天荒で軽やかだった。
新潟の新馬戦。強い陽射しの下、川田騎手の僅かなアクションに鋭敏に反応し、他馬を置き去りにしたあの走り。異次元の「上がり3ハロン31秒4」は、大きな衝撃とともに、彼女の名を世に知らしめた。
2戦目のアルテミスステークスではラヴェルの前に不覚を取ったが、ファンは誰も、彼女の無限の可能性を疑わなかった。続く阪神ジュベナイルフィリーズで1番人気の期待に応え、若き才媛たちをあっさりとねじ伏せた。

3歳シーズンは、まさに圧巻だった。
桜花賞では行き脚が鈍く、後方3番手。場内はどよめくが、川田騎手の手綱捌きに焦りは見えない。絶対の自信を胸に迎えた仁川の直線470メートルをリバティアイランドは誰よりも速く、誰よりも伸びやかに駆け抜けた。先行勢が残る展開を、ただ一頭、他馬とは別次元で飲み込んでいく姿に、スタンドは大きく揺れた。
JRAで初めて導入されたジョッキーカメラで、桜の女王に輝いた彼女を川田騎手は「お嬢さん」と労った。そのシーンは大きな話題を集め、やがて彼女の代名詞となった。

配慮を呼びかけた川田騎手の声にファンが応え、一瞬の静寂とともにゲートが開いたオークスでは、一転しての好位追走を見せた。一番強い馬が、一番スムーズな競馬をして迎えた直線。残り200メートルで先頭を奪うと、そこからは突き放す一方の独壇場だった。初夏の府中を吹き抜ける薫風のように、気負いもなく、気持ちよさそうに四肢を伸ばし、後続を6馬身ちぎった。クラシックの大舞台でも、彼女は自由に、快活に、駆けていた。

秋華賞。私はスタンドを埋め尽くす群衆の一人として、その時を待っていた。ひと夏を超えて馬体を成長させたお嬢さんは、堂々たるオーラを纏っていた。本馬場に姿を現すと、無数のシャッター音と、それをかき消さんばかりの歓声が彼女に降り注いだ。単勝オッズは1.1倍。それは彼女への絶対の信頼の証。誰もが偉業の瞬間を疑わなかった。
レースはあまりに強く、美しく、あっけないものにすら思えた。
内目6番枠を飛び出した彼女を、川田騎手は好位の外にエスコートする。彼女の能力を信じ、不利を受けぬようにと細心の注意を払った立ち回り。息をぴたりと合わせた人馬は絶好位でレースを運ぶ。
迎えた4角。ここからは自由と言わんばかりに彼女は一気に進出し、勝負を決めにいく。新装なったばかりの淀のスタンドが大きく揺れる。
直線、私の目の前を駆け抜ける彼女は誰よりも躍動していた。天に与えられた才を楽しむように、勝負の苦しみの色などひと欠片も感じさせぬままに、秋の古都に大きな華を咲かせた。ゴールの瞬間、彼女を信じた本命党も、彼女を疑った穴党も、喝采を送っていた。
彼女はただ自由に、三つのティアラをいとも簡単に、その手に収めた。彼女の走りが目に焼き付いて、その日はなかなか眠れなかった。

続くジャパンカップでは、引退を控えた歴史的名馬イクイノックスに挑んだ。勝利には届かなかったが、スターズオンアースとドウデュースを退け、堂々たる2着。全力で走り、ついに敵わなかった経験は、きっと彼女をさらに強くすると思っていた。

──だが、4歳以降の彼女には苦難が続いた。
ドバイでの敗戦。種子骨靭帯炎での長期休養。復帰戦の天皇賞・秋での思わぬ大敗……歯車は少しずつ狂っているようにも見えた。

香港カップでロマンチックウォリアーの2着に入ったときでさえ、まだ完全だとは思えなかった。

そして迎えた5歳初戦のドバイターフ。直線、伸びを欠いて動けない。川田騎手の「色々と変化を感じる」というコメントに、胸が締め付けられた。
「こんなはずじゃない」
かつての自由な快活さを取り戻せない彼女にもどかしさを感じながら、それでも信じていた。またきっと、彼女は輝きを取り戻すと。
──関係者もファンも、きっと同じ願いを抱いていたことだろう。
競馬はときどき、受け入れたくない現実が目の前に訪れる。
いま、私たちにできることはなんだろう。この悲しい出来事を、どのように受け止めたらいいのだろう。
これまでも、たくさんの光の傍らで、たくさんの悲しい出来事が起きた。大きく報道される馬もいれば、ひっそりと姿を消す馬もいるけれど、突然の別れは、どれだけ技術が発達してもゼロにはならない。
私はこれまでもそれを受け止め、昇華してきた。それでも「仕方ない」「これも競馬」と、大人びた態度を取ることはできない。その悲しみに慣れることはない。
ホクトベガ、ライスシャワー、サイレンススズカ……レースの中で命を落とした名馬を思い起こすとき、悲しい最期の姿以上に、在りし日の輝いた姿が蘇る。あの日のエリザベス女王杯やエンプレス杯、あの日の菊花賞や天皇賞・春、あの日の金鯱賞や毎日王冠……胸に焼き付き、心を焦がしたその姿は、自分だけの思い出とともに、永遠に残っていく。
ならばそれと同じように、リバティアイランドの記憶を心に刻もうと思う。お嬢さんと呼ばれて一時代を築いた、名牝の可愛らしい表情と元気で自由で奔放な走りを。飛び切りの才能を持つ彼女に魅了されたスタンドの揺らぎを。彼女に勇気づけられたあの日の心を。

いつか、リバティアイランドを知らない人が競馬ファンが現れたときに、彼女の思い出を悲劇の色だけに塗りつぶしてしまわないために。
それは、私自身が心の置き処を見つけるために必要なことでもあると同時に、あの可憐で、無限のエネルギーを秘めたリバティアイランドへの、なによりの手向けなのだと思う。

また、朝は来る。競馬は続いていく。
競走馬たちが命を燃やして走ること。私たちのために走ってくれること。関係者たちが悲しみを乗り越え、明日へ向かうこと。それは奇跡的なことだと思う。
「全人馬、無事に」
その想いを胸に、前を向き、目の前で力の限り走る馬たちに声援を送りたい。
それが、競馬を愛し、愛し続けることだと思うから。
偉大なる三冠牝馬、リバティアイランドを支えたすべての関係者に、心からの敬意を。そしてリバティアイランドへの哀悼を捧げます。
ありがとう、リバティアイランド。
どうか、安らかに。

写真:はまやん、s1nihs