
阪急電車の窓越しに、暮れかけた空がゆっくりと流れていく。
レースが終わっても人の熱は冷めず、湿った梅雨の空気がべたりと肌にまとわりつく。いつもなら少し不快に感じるこの空気も、今日はどこか心地いい。車内には満足げな余韻が漂っている。
「タバル、強かったな」
「ユタカは千両役者やな」
「石橋さんも報われてよかった」
「松本オーナー、ほんま嬉しそうやったな」
「サムソン思い出すなあ。もう二十年前かあ」
ひとつ、またひとつと、想いを紡ぐ言葉がこぼれ、主役を讃える声が車内のあちこちに散らばっていく。人の縁、馬の縁が繋いだ勝利に、誰もが酔いしれ、頬を緩めている。

そのなかに、ぽつりとこんな声が聞こえた。
「ゴールドシップの仔が、宝塚に帰ってきたんやなぁ」
破天荒で、愛すべき白い怪物。その血が、再びこの舞台に帰ってきた。誰とも知れぬそのひとことが、胸の奥深くに沁み込んでくる。
いくつもの想いが交錯し、時を超えた願いが結実した、第66回宝塚記念。その中のひとつは、白い怪物がかつて見せてくれた「夢」の続きを重ねた願いだった。
明け方まで降り注いだ雨は姿を消し、かわりに、まとわりつくような湿気が競馬場を包んでいる。重く水を含んだ芝コースは、馬が駆けるたびに大きな土塊が舞い上がる。重から稍重へと、少しずつコンディションが回復する馬場状態。この馬場を味方につけられる者は誰か、とレース前のスタンドにはさまざまな予想と期待が聞こえる。
仁川の内回りならばベラジオオペラか。
グランプリホースの底力に期待してレガレイラか。
昇り竜の勢いを見せるロードデルレイか。
どこを切っても主役になりそうなメンバーを前に、ファンは思い思いの結末を描いている。
「道悪ならば、ゴールドシップ!」
そんな声が聞こえた。出走馬中、ただ一頭のゴールドシップ産駒、メイショウタバル。その単勝オッズは朝から10倍を少し切るあたりを推移している。G1馬たちが揃うなかで、彼の実績は決してとびぬけたものではない。けれどその支持の熱は、数字以上のものを感じさせた。そこにはメイショウタバルを取り巻く「人の絆」を信じたい想いと、父・ゴールドシップのかつて見せた「夢の続き」を託したい想いが、同じくらい込められているように思えた。稀代のスターホースの残影は、十年の時を経た今も、競馬ファンの心を掴んでいた。
思い返せば、かつて、仁川のグランプリはゴールドシップの独壇場だった。三強対決を制したあの年も、連覇を果たしたあの年も、競馬場が悲鳴と笑いに包まれたあの年も、白い馬体にファンの視線は吸い寄せられていた。
「なんて馬だ」と、誰かが言った。
「何をしでかすか分からない」と、別の誰かが言った。
変幻自在のステイヤーにして、豪快で奔放なスターホース。彼はファンの心を持ち上げて、落として、振り回した。捲って、ねじ伏せて、その力を誇示した。泥にまみれて魂の叫びを振りまくその姿はあまりに痛快だった。

彼がターフを去ってからずいぶん経つけれど、ファンの誰もが祈っている。彼の見せた唯一無二の衝動が、もう一度現れることを。
ゴールドシップの血を引く馬が、ほんの少しでも彼に似た所作を見せると、競馬場は俄かに色めき立つ。あの暴れん坊が返ってきたぞ、と胸を膨らませる。彼ほどの能力を持つ馬がそう簡単に現れないことをわかっていても、それでもどこかで、彼の面影を追い求めてしまう。
その血を宿すメイショウタバルは、毛色も、出で立ちも、脚質も、父とは違う。けれど、破天荒で、つかみどころがなくて、一筋縄ではいかない気性は、確かに父譲りのようにも見えた。
勝つときは圧倒的だった。重馬場の仁川を1分46秒0で駆け抜けた毎日杯と、グングンと突き進んで最後まで影を踏ませなかった神戸新聞杯では、自身に宿る圧倒的な地力と、生まれ持った力の凄みを、これでもかと見せつけた。かと思えば、次のレースでは騎手の静止を振り切って暴走し、直線で飲み込まれて、沈んだ。結果だけ見れば惨敗だけれど、その秘めた爆発力と激しすぎる気性に、彼の魅力が溢れていた。
「本当は、どれくらい強いのだろう」
気分屋で、危うくて、人を翻弄する、その姿に、父の影が重なった。
そこにあるのは、親子でありながら、まったく別の物語。
それでも──いや、それだからこそ、タバルの走りは胸を打った。
似ていたのは、姿かたちではない。心を燃やすように走る、その衝動だった。
父は気まぐれで、突拍子もなくて、どこか「俺様の競馬」に自信を持っていた。
息子は不器用で、脆さを隠せなくて、それでも「俺だけのリズム」で、ひたむきに疾走していた。
そんな彼が、父と同じ舞台に立った。
グランプリレース。宝塚記念。
ファンに選ばれ、見守られる、特別な時間に。
年に一度、この舞台のためだけのファンファーレが空に消えていく。気づけば雲は流れ、湿気を帯びた空気に夏を思わせる陽射しが差し込んでいる。
どこかで見た、記憶の奥に焼きついていた風景。直前の出走回避で空いた大外18番ゲートに、白いアイツが収まっても良さそうに思える。そして幻影をよそに、17頭がそれぞれの想いを背負ってゲートを飛び出す。
大歓声の中で、メイショウタバルは迷うことなく先頭に立つ。少し行きたがる素振りを見せるが、武豊騎手は円熟のコンタクトで宥める。鼻歌まじりの軽やかなステップでホームストレッチを駆けていく。
逃げる。振り向かない。後ろの脚音は聞かない。
その潔さに、スタンドから大きな声が上がる。
2コーナー、向正面、3コーナー。淀みの無いリズムで駆けるメイショウタバルの手綱がほんの少し緩む。ターフビジョンには、軽く頭を上げて、どこか遊んでいるような仕草が映る。その無邪気な奔放さに、白いアイツの記憶が重なる。
直線、追いすがるベラジオオペラを、彼は気にも留めていない。ただ、前へ、前へと突き進む。その脚は止まらず、景色さえ置き去りにして駆けている。
坂を上っても、大きなフットワークに乱れはない。後続は遠く、タバルに迫る影はない。悠々と駆ける姿に、歓声の熱がどんどん高まっていくのがわかる。
ゴール板を駆け抜けたその瞬間、無数の拍手と歓声が競馬場に響き渡った。気がつけば私は思わず立ち上がり、夢中で拍手しながら、何かが喉に詰まるのを感じていた。この日、この場所で結実したいろいろな夢を前に、「ああ、よかったな」と思わず独り言ちた。

レースの熱気が冷めやらぬ中、優勝レイを掲げたメイショウタバルが再び芝コースに姿を現す。
芝コースに踏み入れた瞬間、急に立ち止まり、脚を踏ん張って動こうとしない。何を嫌がったのか、駄々をこねるようなその仕草に、またしても白い影がよぎる。
「ゴルシやん」
──そんな笑い声が、あちこちから聞こえた。

あの日のゴールドシップと、この日のメイショウタバルの衝動は、似ているようでまったく違う。
予測不能な一瞬に賭けるように、熱に浮かされた大舞台。ゴールドシップはその象徴であり、勝っても、負けても、いつも主役だった。
息子が見せたのは、まったく違うかたちの物語だった。
スタートから逃げて、逃げて、逃げて──まっすぐに、気の赴くままに、燃える気性で、時にはやりすぎなほどに、前だけを見る。その走りに父のような劇的な演出はない。けれど、自身を誇るようなオーラには、やっぱり父の面影がある。

宝塚記念親子制覇。
あの暴れん坊の記憶がひとつ、父から子に受け渡されたこの日の熱とざわめき、そして胸に宿った震えは、きっと私の記憶に残り続ける。
ゴールドシップの伝説が残る仁川で、大きく羽ばたいたメイショウタバル。
彼はこれから、どんな新しい物語を描いていくのだろう。記憶の奥にあるあの白い影を、少しずつ塗り替えていくように駆ける彼を、ただ見守っていたい。
新しい時代の風をうける、そのたてがみを。
その先に続く物語を、そっと願いながら。
写真:mosan、Horse Memorys