
まだ私が小さい頃、土日は父に連れられて祖父母のところへ遊びに行っていた。
競馬好きの祖父のために父が場外馬券場へ馬券を買いに行き、その間に彼らの家で私は帰りを待つというのが毎週末のルーティン。その最中、よく私は一口馬主をやっていた祖父の出資馬のビデオテープを手に取って眺めていた。
当時社台レースホースの会員であった祖父は、私が産まれる前にも数多くの馬に出資していたが、そのなかでも最も記憶に残る馬の1頭がオトメノイノリという馬だ。
通算で3勝を挙げ、4歳時(旧齢)にはオークスにも出走して4着となった彼女。実はキタサンブラックの祖母であるオトメゴコロの妹でもある。
そんな彼女が初めてG1レースに出走したのが3歳時の阪神3歳牝馬ステークス(現:阪神ジュベナイルフィリーズ)。祖父にとっても出資馬が大舞台に駒を進めるのは初めてのことで、レースが始まる前はかなり楽しみにしていたという。
しかし、レースが終わった後は勝ち馬の強さにただただ脱帽するのみ。真に速い馬とはこういうものだと、ビデオテープを眺める私に祖父は語った。このレースを制したのはヤマニンパラダイス。外国産馬の彼女が自身の底力を遺憾なく発揮したと言える1戦で、私は走るサラブレッドの魅力に引き寄せられることとなる。
■衝撃の快速少女
ヤマニンパラダイスの父は系統種牡馬としてその血を世界各地に広めたDanzig。母のAltheaは牝馬ながらケンタッキーダービーに出走し1番人気に支持された実績を持つ。加えて、母の弟にはアメリカの快速馬トワイニングもおり、まさに世界的良血と言っていい。
この背景から当然、注目を集めていた彼女だが、デビュー前の調教で2歳馬としては水準以上の時計を叩き出すと、初戦の中京芝1200mで1分8秒2という驚異的な走破タイムを記録して1着。2年後に同条件のG1として新設された高松宮記念の走破時計と比較しても改修前に勝利した15頭中8頭のタイムを上回っており、この時点で既に2歳馬としては規格外のパフォーマンスを発揮していたと言えるだろう。
続くいちょうステークスでは同じく外国産馬のヒシワールドと「マル外対決」になったが、調教師の浅見国一師はスポーツ紙のインタビューに「きっと今回もレコードで勝つでしょう」と話していたという。
そして、そのコメント通りレースでは1分34秒7という当時の東京芝1600mの2歳レコードタイムを叩き出して勝利。しかもその時計は、同距離のニュージーランドトロフィー4歳ステークスを制覇したヒシアマゾンのタイムより1秒1も速かった。
こんな優秀な走破タイムをデビューから2戦連続で叩き出されては、ファンもその実力を認めるしかない。阪神3歳牝馬ステークス当日、彼女の単勝オッズは1.2倍とダントツの1番人気。その単勝支持率63.7%は2025年現在でも同競走の歴代最高の数字として残っているのだから、その期待は相当なものだった。
唯一、このレースで彼女以外に1ケタ台の単勝オッズ評価を受けていたのが、同じ外国産馬のエイシンバーリンである。
デビュー戦で2着のマイアミスピリッツに1秒7差、しかも2歳コースレコードの1分21秒4で大差勝ちという圧逃劇を演じ、続く京成杯3歳ステークス(現京王杯2歳ステークス)でも2着と好走。父のコジーンから受け継いだスピードを見せつけていた。
とはいえ、それでもヤマニンパラダイスからは差のある6.4倍の2番人気。3番人気のシスタータイクーンが10.7倍とそこからさらに離れていたことからも、ほぼ1強のオッズ構成といっていい。
ちなみにオトメノイノリは前走のアイビーステークスを勝利し2勝馬として出走してきたが、遠征とここまで3敗しているのもあって7番人気と伏兵の評価だった。
やはり、ファンの多くは「ヤマニンパラダイスがどんな勝ち方をするのか」という一点に興味が集中していたと言えるだろう。

■噂に違わぬ、その走り
10頭立てという小頭数。大外のオトメノイノリがゲートに収まってスタートが切られると、エイシンバーリンがスタートを決めて先手を取りに行く。
前走は好位からの競馬で伸びきれず2着だった同馬。単騎先頭で直線までにセーフティーリードを取れれば、ヤマニンパラダイスに一矢報いることも十分に可能と踏んだか、鞍上の南井克己騎手は迷わずハナを主張した。
しかし、ヤマニンパラダイスはそんなライバルの主張にも慌てずただ出たなりに好位へ取りついた。彼女の外にはややかかり気味のオトメノイノリがおり、内にはスターライトマリー。プレッシャーのかかる位置に見えるが、当のヤマニンパラダイスはそんなことを気にするどころか、2頭の間から物怖じもせずに押し上げて、楽にエイシンサンサンの外へ合わせに行った。
幼少期の私にも、跨る河内騎手に手綱を引かれるオトメノイノリと、鞍上の指示に従って自分から前へ行くヤマニンパラダイスの操縦性の差は歴然に映った。それはまだあどけない少女たちの戦いの中で、既に一、二段抜けた能力を見せつけるかのようでもある。
そのままヤマニンパラダイスは好位からエイシンバーリンを射程圏に入れ、絶好のポジションで勝負所へ。だが、前を行くエイシンバーリンはコーナーで二段ロケットを点火。後続との差を後続との差は2馬身弱まで広げて直線に向いていた。
改修前の阪神の直線は短いうえ、外に持ち出されたヤマニンパラダイスは思ったより伸びない。それどころか、映像では彼女の外から進出してくるスターライトマリーのほうの脚色が良い。それでも、2頭が逃げるエイシンバーリンに迫れるだけの末脚を繰り出しているようには見えず、セーフティーリードをつけた南井騎手の作戦勝ちとなったかのように思えた。
しかし、坂の手前で武騎手の右鞭がヤマニンパラダイスに入ると、そこから瞬時に加速。残り100mのあたりでそれまであったエイシンバーリンのリードはなくなり、かわってヤマニンパラダイスが外から一気に並びかけてきた。
その走りは、鞍上のしなやかなフォームに合わさってとても速く、それでいてスムーズな走りに映る。それはまさに人馬一体とも言える綺麗なシルエットだった。
そして残り50mでエイシンバーリンを交わしてあっさり先頭に立つと、追い込んできたスターライトマリーを寄せ付けずに勝利。世代最初のG1タイトルを見事に勝ち取った。
勝ちタイム1分34秒7はまたもレースレコードで、同年の桜花賞を勝ったオグリローマンより1秒7速い時計。しかも向こうは600mの通過タイムが35秒3と阪神3歳牝馬ステークスに比べて0秒2速い前半だったにもかかわらず、ヤマニンパラダイスの方が2秒近く上回る時計を叩き出している。
ちなみにオトメノイノリは勝ち馬から1秒5離された9着に敗れたが、それでもこの年の桜花賞の勝ち時計を0秒2上回っていた。このことからもレース全体がかなり速い決着となったことが分かる。その中で異質とも言える走破時計を記録したのだから、ヤマニンパラダイスのスピード能力は間違いなく同世代の中でも抜け出していた。
そしてこの20日後、阪神3歳牝馬ステークスから中2週でオトメノイノリとエイシンバーリン、ヤングエプロスがフェアリーステークスに出走。勝利したプライムステージには及ばなかったものの、2着から4着を独占するという結果を残した。こうなると相対的にヤマニンパラダイスの評価も上がるのが必然ではないか。
年末のJRA賞では彼女らを下したプライムステージに数票持っていかれたとはいえ、ほぼ満場一致と言える98%以上の得票数で最優秀3歳牝馬のタイトルを獲得したのも納得と言える。当時の規定で外国産馬のクラシックレースへの出走は認められなかったものの、果たして翌年、一体どこまで強くなるのかという興味を覚えたファンは少なくないだろう。
■怪物のそのあと
2歳時からこれだけの成績を残したのだから、当然、クラシックには出られなくとも活躍できると思われていたヤマニンパラダイスであったが、復帰初戦のニュージーランドトロフィー4歳ステークスは勝ったシェイクハンドから0秒5差遅れて6着でゴールイン。4歳シーズン開始直後の故障が尾を引いていたのかは分からないが、レース後に再度の怪我を発症し、再び長期休養へ。
以降は5歳の12月にオープン特別で1勝を挙げるにとどまり、6歳時に安田記念で12着に敗れた後、両前脚骨折により引退となった。
怪我をして以降は期待された成績を残せたとは言いづらいヤマニンパラダイス。だが、デビューから3連勝で世代の頂点に立ち、同年のG1レースより速い走破タイムを叩き出したその実力は間違いなく本物だったはずだ。
なぜなら阪神競馬場が改修されて外回りコースができるまで、阪神3歳牝馬ステークスとジュベナイルフィリーズで彼女のタイムを上回ったのはメジロドーベルとテイエムオーシャンだけ。多くの名馬も超えられなかった壁を作り出した彼女のスピードは、怪我なく無事だったらという「たら」「れば」を生み出してやまない。
そしてあの阪神3歳牝馬ステークスでヤマニンパラダイスが見せた走りは、1人の少年の記憶に刻み込まれ、競馬というものの魅力をさらに叩き込んだ。「馬」や「競馬のレース」を最初に好きになったのはビリーヴやサイレンススズカであるが、「サラブレッドのスピード」や「走るフォームの美しさ」をめいいっぱい感じさせられたのは、きっと彼女の走りだったのではないだろうか。
だからこそ、成長した私が好きな競馬のカテゴリーのひとつに、究極のスピード勝負である短距離戦が組み込まれているのかもしれない。馬券的にはさっぱりなこの条件を愛せるのは、根底にヤマニンパラダイスの走りがあるから。そう思うと、ちょっと罪な少女である。
写真:かず

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