[インタビュー]川崎競馬の名伯楽・山崎尋美氏が切り拓いた調教師人生。

終わりの見えないコロナ禍。
「人口密集地」というより厳しい環境下の中にあっても、数日の開催中止で粛々と続けられている、川崎競馬の元騎手であり現調教師会長である山崎尋美氏(64歳)に、ご自身の競馬人生を振り返って頂き、地方競馬、川崎競馬の事、そして競馬ファンへの思いを語って頂きました。

名牝ホクトベガを目の当たりにして

大井競馬場の日本競馬初のナイター開催開始から9年後の1995年、川崎競馬もついにナイター開催「スパーキングナイター」が開始。また「中央・地方競馬交流元年」の年であり、地方競馬でも中央競馬との指定交流競走が盛んに行われるようになりました。山崎尋美氏も、騎手時代に同馬と対決しています。

──ホクトベガの思い出について、教えてください。

ホクトベガが地方のレースで最初に乗った(95年の)エンプレス杯で一緒に乗ったけどね、どろどろの馬場だったのに横山典(騎手)だけ雨用の服を着てなくてね。「着なくていいのか」って声をかけたんだよ。

そしたら「大丈夫だよ」って言って──で、あの逃げ切り(笑)

忘れもしない、自分の馬(マフィン、当時7連勝で重賞初挑戦)が入線していったら、もうホクトベガが折り返して戻ろうとしてた(笑)

いやー、中央の馬って強いんだなと思った。最初は全く敵わなかったよね。レースが真っ二つに分かれちゃう。
最近は交流でも勝負できる馬が出てきたね。フリオーソあたりからかな?
船橋の川島調教師の力も大きかったと思う。いろんな成果が出てると思うよ。

「転機の30代」リーディング騎手から調教師への転身

休むことなく勝星をあげていった山崎尋美氏。騎手時代に大けがを経験するのは、30代を過ぎてからのでした。特に浦和競馬での事故で腎臓破裂の重傷で半年間騎乗ができない経験は、今後の人生について考え始めた時期でもあったそうです。

──現役の騎手として活躍している中で、どうやって調教師への道を選ばれたのでしょうか?

大けがをしても、やっぱりレースに勝った時の喜びの方が勝るんだよね。だから騎手も続けていきたかった。
でも30代の頃、40歳を過ぎた時に騎手と調教師どっちの道を選ぶか決めようと考えていたんだよね。

「騎手をずっとやって、いよいよ需要が無くなってから調教師になるか」

「早めに調教師になって、自分の体が動けるうちに調教師としてのスタイルを確立するか」

そういった事は、よく考えていたよ。

それで30代の終わりに、騎手の成績が佐々木竹見さんより上に来たから「よし、調教師をやってみよう!」と決断したんだ。試験受けに行った時に、試験官に「何で受けに来たの? 冷やかしに来たの?」言われたのを覚えているよ。

「なんでリーディングなのに調教師受けるの?」って言われたなぁ……(笑)

社台F、そして美浦・栗東へ。
調教師の知識を得るため、全国を貪欲に駆け回る。

その後、現役騎手を続けながら勉強をした山崎尋美氏。
見事一発で調教師試験に合格し、平成9年には騎手を引退、調教師として歩み出します。
幼い頃から競馬の世界にいる山崎調教師ですが、騎手時代までは意外にも全く馬の世話の経験が全くなかった事で大胆な行動に出ます。その事が川崎競馬の改革や、後に地方競馬の新規調教師の中央競馬への研修制度の設立などに影響をももたらす事となりました。 

──調教師になられてから印象に残っている事や成果を教えてください。

騎手の時なんて攻め馬はしてるけど、馬に全然触ったことない。
手入れもしたことない、脚もあげたことなかったからね……。

南関東しか知らなかったから、どうせ行くなら日本一の牧場がいいと思って、誰も知り合いがいなかったんだけど社台ファームに電話して、「実は調教師になったのだけど、馬の事全然わかんないから研修させてほしい」と言ったら「まぁいいよ」ってなってね。

そこから3か月半くらいかな、北海道行って独身寮で過ごしたんだよ。カルチャーショックの連続だった(笑)

おんなじ日本でやってる事こんなに違うんだなぁ、と。
とにかく何もかもがきれい。地方競馬は、当時は馬屋なんて本当にきたなくてね(笑)

それで夏に藤沢和雄調教師や森秀行調教師が来ていたから、「社台ファームの研修が終わったらぜひ行かせてください」とお願いしたんだ。それで俺が地方競馬で初めて、栗東と美浦に調教師研修生として行ったんだよね。 その当時川崎では集団調教はしてなかったけど、藤沢厩舎が常に集団で調教していた事をお手本に川崎でも取り入れたよ。昔は全部騎手がやっていた攻め馬も、持ち乗りの調教助手制度を取り入れてやりはじめたりしてね。

とにかく当時の地方競馬の調教とは根本的にやり方が違ってたから、新しいもの取り入れるたびにバッシングの嵐だったよ(笑)

今はパドックで厩務員がネクタイをするのをよく見かけるけど、当時はうちと船橋の川島厩舎しかなかったよ。中々厩舎に来られない馬主の方々にどこでアピールするかって、競馬場のパドックしかないんだからと諭してね。当初は厩務員がはずかしがって嫌がったけどね(笑)

──2019年には700勝を達成され、現在も800勝に迫る成績をおさめられていますね。

上には上がたくさんいるからね。
俺は早生まれで64歳だけど、もう65歳の世代でワクチン優先的に受けられる世代だし(笑)
これから先は、続けられるだけやってみたいと思ってるよ。

──同じ競馬界で活躍される、裕也調教師、誠士騎手への思いをお聞かせ下さい。

ふたりとも全然順風満帆じゃなかったからね。正直、いろいろ面倒見てた時代があった。
特に裕也(調教師)は紆余曲折あったけどね。二人とも海外に武者修行に行かせてから変わったかな。
二人とも今が一番充実してるんじゃないかな。


転職組や女性の厩務員さんも多数在籍する川崎競馬場

最後に、現在川崎競馬では厩務員を募集されています。最近では男性だけでなく、女性の方の志願者も増え、現在なんと10名程が在籍されているとの事です。 現在の厩務員さん事情について、山崎調教師は「わずか10年前と比べても明らかに女性が増えていて、厩舎によっては一から教えてくれるところもあるよ。とにかく『馬が好き』という信念が大事かな。 女性の方が馬の細やかな事に気づけるから、特に繊細な牝馬は女性に担当してもらってます。馬もその方が落ち着いて生活ができてるんだよね」とコメント。

また、山崎尋美厩舎所属の青木美路子厩務員は「現在は3頭を担当しています。川崎は女性厩務員が多く、開始された年齢も20代から50代と幅広いです。全くの未経験の方から乗馬クラブのインストラクターをされていた方もいます。獣医の資格を持っているので一度は競馬から離れましたが、やはり『もう一度馬の近くで仕事をしたい』という気持ちが募り、この世界に戻ってきました。毎日馬と仕事ができて満足しています」と笑顔でした。

未経験で入られた男性厩務員さんは「全くの未経験だから最初は馬の大きさに驚いた。やらなきゃわからない事はたくさんあるけど、担当馬が先日優勝した時は大変な思いをしただけに、言葉に表せないほど本当に嬉しかった」と語ります。

お話を聞いていると、厩舎間の横のつながりがあり、相談できる場もあるようです。

興味を持たれている方は思い切ってお話を伺ってみるのもいいかもしれません!

写真:川原恵子

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