天才と太陽神を結んだ 100分の1の縁 - 歴代屈指の"淀マイスター"トーセンラー

日本近代競馬の結晶といわれるディープインパクト。
その凄さは現役時代に留まらず、引退して種牡馬となってからも数々の記録を更新してきた。

騎手に例えると、相棒だった武豊騎手と同じレジェンドと言えるだろう。

そんな"レジェンド"種牡馬ディープインパクトが生涯で残した産駒は、1800頭余り。

父子2代で無敗の三冠馬となったコントレイルや、後継種牡馬としてトップクラスの活躍を見せるキズナなどは、それこそ"ディープインパクト2世"として父に負けじと種牡馬としての期待も大きい。

──ただ、それはあくまでも競走成績や種牡馬実績の上での話である。

ディープインパクトのレースでの背中を唯一知る天才・武豊騎手が『ディープに似てる』といったのは、トーセンラーである。しかし、前述の2頭に比べると、成績や種牡馬実績は物足りないと言って良いだろう。

ただ、"容姿が似ている"トーセンラーは、武豊騎手の前人未到である『G1・100勝』というメモリアルに花を添えたG1馬である以上、記憶に残り続ける名馬となるだろう。

ディープインパクトに容姿が似ている馬と天才・武豊騎手の偉大すぎる記録達成とのコラボは奇跡に近い。そして、それこそ競馬のロマンそのものではないだろうか。

良血すぎるほどの良血馬

トーセンラーは2008年4月21日、社台ファームにて、ディープインパクトの初年度産駒として誕生した。
その血統をみると、母であるプリンセスオリビアの優秀さが光る。

プリンセスオリビアは現役引退後、アメリカで繁殖生活を送り、トラヴァーズS(米G1)など重賞を4勝したフラワーアリーを輩出。フラワーアリーは、種牡馬として2012年のケンタッキーダービーを制し、日本でも種牡馬として活躍したアイルハヴアナザーやラッキーライラックの母ライラックスアンドレースなどを輩出している。

その後、2005年に社台ファームへ売却されたプリンセスオリビアは、トーセンラーとスピルバーグのきょうだいを輩出、これで日米合わせて3頭のG1馬の母になるのである。

まさに良血すぎる良血馬として生まれたトーセンラーは庭先取引で購入され、冠名のトーセンにエジプト神話の太陽神ラーを合わせ名付けられた。

──トーセンラーは見た目もそうですが、走り方も父親のディープインパクトによく似ていましたね。

トーセンラーの主戦騎手だった武豊騎手は、数年前のファンイベントでそう語った。もしかすると、ディープインパクトの初年度産駒だっただけに、余計にそう思ったのかも知れない。

そんなトーセンラーは、デビュー戦を1番人気で勝利。そこから2つの条件戦では3着が続いたものの、4戦目となったきさらぎ賞(G3)では、あの黄金の三冠馬・オルフェーヴルを倒して重賞初制覇を飾っている。だが、迎えたクラシックでは、皐月賞(G1)7着、 日本ダービー(G1)11着、秋はセントライト記念(G2)の2着を挟み菊花賞(G1)3着と、勝利はなかった。

ただ、この年といえば、3月には日本列島を襲った未曾有の大震災があった年でもある。トーセンラーは宮城県の山元トレーニングセンターに放牧中で、少なからず精神的なダメージがあったのではないか。また、皐月賞は1週間遅れで東京開催と例年とは少し違った形で行われ、さらには同世代にオルフェーヴルという怪物がいたため、何かとイレギュラーな事象や不運に見舞われた印象にある。

翌年4歳になったトーセンラーは、休養明け初戦となった京都記念(G2)では僅差の4着。以降、日経賞(G2)や鳴尾記念(G3)など計7回を走ったが、真夏の七夕賞(G3)と小倉記念(G3)での2着が最高だった。

勝利という点において、オルフェーヴルに勝利したきさらぎ賞から、実に約1年半も勝ち星から見放されていたことになる。

淀のマイスターが掴み取った100分の1の縁

トーセンラーにようやく勝ち星が巡ってきたのは、5歳となった2度目の京都記念。
武豊騎手を背に1番人気のジャスタウェイを撃破、約2年ぶりの勝利だった。

そして、次走の天皇賞・春(G1)では、フェノーメノの2着に入る走りをみせたのである。
このあと、秋のマイルCS(G1)に勝利することを考えれば、見事な戦績である。

淀の3200mで2着に入る馬が、1600mで差し切り勝ちをする──。
トーセンラーにとって、距離適性は全く関係ないように見えた。

実はトーセンラーには『ディープと似ている』というだけはなく、もう1つの異名があった。
それは『淀のマイスター』である。

その所以は、全25戦(4-5-6-10)のうち、全4勝を京都競馬場の外回りコースでのみあげていることが1つ。それ以外にも武豊騎手からは、ディープインパクトに最も近いフットワークをしていたと称えられているように、京都の外回りコースでの下り坂で勢いをつけて脚を伸ばすと瞬発力が出たことも理由だろう。

また、京都を走破した12回は、全出走回数の約半数となるが、その成績は(4-2-4-2)と圧倒的。

そのうち馬券圏外となった2回は差のない4着だった。よって京都では、ほぼ馬券圏内に入っていたといってもがいいだろう。さらに複勝率は全成績の60%に対し、京都に限れば83%と大きく数字が跳ね上がる。

そんなトーセンラーが初の栄冠に輝いた2013年のマイルCS。

スタートから終始、最後方の競馬となったトーセンラー。最終コーナーを回ってもまだ、武豊騎手とトーセンラーは、後方集団に位置していた。よく「馬は走る距離を知らない」と言われるが、トーセンラー自身、ゴールはまだ先と思っていたのかも知れないと思うようなポジション取りだった。

しかし、武豊騎手の合図に反応したトーセンラーは、慌てふためいた様子を見せることなく馬場の真ん中から瞬時に加速する。

──その姿は、父そのものだった。

そこから前を走る1番人気のダノンシャークをとららえると、一気に突き放し、栄光のゴール板を駆け抜けた。

しかも前述の通り、距離はマイルから長距離までと距離適性も関係ない。
トーセンラーは、とにかく京都ではめっぽう強かったことがいえる。

そう考えると、やはり容姿が似ているのは伊達ではなく、偉大な父の血をしっかりと受け継いでいたのだと思われる。2013年のマイルチャンピオンSの勝利は、通常のG1初勝利ではなかった。武豊騎手が前人未到のG1 100勝目となるメモリアルレースにもなったわけである。それだけに、父同様に華を持って生まれたトーセンラーには、そんな"忘れられない"使命があったのかも知れない。

そんなトーセンラーは、2014年の有馬記念(G1)8着を最後に現役を引退し、レックススタッドで種牡馬入りした。2016年9月からはブリーダーズ・スタリオン・ステーションに移動し、以後、その2つを2年おきに移動する国内シャトル種牡馬として供用され、2024年からはエスティファームにて種牡馬生活を送ることになった。

2023年現在、約230頭もの産駒を輩出しているが、これまで2021年のエプソムカップ(G3)と2022年の京都金杯(G3)を制したザダルのみが唯一の重賞勝ち馬と、思うような結果を残せていないとも言える。

競馬の歴史上、偉大な血は代を重ねるごとに薄くなることは致し方ない。それでも、トーセンラーには間違いなく、父ディープインパクトの血が流れている。

可能性は低いかも知れないが、トーセンラーにはこの先、偉大な祖父に似た仔を輩出してくれることに期待したい。さらには、その仔が京都で武豊騎手を背に新たなメモリアルを達成する──そんなことを考えると、改めて競馬のロマンを感じずにはいられないのである。

写真:I.Natsume、Horse Memorys

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