![[連載・片目のサラブレッド福ちゃんのPERFECT DAYS]勝負を懸けた旅(シーズン2-1)](https://uma-furi.com/wp-content/uploads/2026/01/2025112701-scaled.jpg)
2024年2月29日、福ちゃんが生まれてから、僕の極夜行は始まりました。福ちゃんのお姉さん(ルリモハリモ)はセレクションセールとオータムセールで主取りになり、スパツィアーレの23(父ルーラーシップ)は廉価で落札、その後死亡。翌年生まれてきた福ちゃんの妹(ムー子)は生後3か月で虹の橋を渡り、スパツィアーレは何回種付けに行っても受胎せず、2度目の空胎の年を過ごすことに。
流産、奇形、不受胎、怪我・病気、主取り、生産をやっていると一定の確率で遭遇するであろう不運な出来ごとが、出し惜しみなく降り注がれたことにより、収入がほとんどない中、毎月、出血を垂れ流し続ける2年間を僕は過ごしてきました。途中から計算するのも辞めましたが、生産の世界に足を踏み入れてからの赤字額は2000万円を優に超えてしまいました。大げさに聞こえるかもしれませんが、僕にとっては全く光の見えない、どこまで暗闇が続くか分からない、極夜の旅を続けているのです。
福ちゃんが生まれる前から兆しはありました。創業以来10年間、多少の山や谷はありつつも順調に来ていた僕の会社(教育業)の業績が、ここ数年間で右肩下がりになってきたのです。決して手を抜いていたわけではなく、僕も先生方もスタッフも目の前のお客さんや仕事に誠実に向き合ってきたつもりですが、時代の波には抗うことができません。栄枯盛衰、奢れるものは久しからず。流れに乗り切れなかったと言われたら、そのとおりかもしれません。それは完全に僕の責任です。会社の業績が順調であれば、生産事業で多少なりとも赤字を出そうが痛くも痒くもないのですが(いや、さすがに痒いぐらいはあると思います)、そういう訳にも行かなくなってきたのです。そして、気がつくと辺りは真っ暗闇に包まれていました。
もう少しさかのぼってみると、2021年にノーザンファーム繁殖牝馬セールでダートムーアを買ってきて、わずか1カ月後に臍帯捻転のため流産してしまったことから全ては始まりました。実は流れてしまった仔は牡馬でしたから、無事に生まれていれば、2023年のセレクションセールである程度の金額で売れて、その収入を元に種付け料等に投資ができたりして、キャッシュフローは大きく違ったはずです。あの時はまだゲームは始まったばかりと楽観的に捉えていましたが、歯車は確実に逆転し始めたのでした。
もちろん、あの流産がなければ、ルリモハリモの父はニューイヤーズデイではありませんでしたし、もしかすると片目のサラブレッド福ちゃんもこの世に誕生していないかもしれません。スパツィアーレを購入することもなかったと思います。ルリモハリモや福ちゃんたちと出会えなかった世界線を想像することは寂しいのですが、それでも光に満ちた世界を心安らかに歩みたかったというのが本音です。
過去のことを愚痴ってばかりですね。何だかんだ言っても、結局はお金の話なのです。お金が際限なくあれば、僕の身に起こったことなど、全てはそういうこともあるよね、前を向いて行きましょうと笑い流せる話です。お金が尽き始めているからこそ、光の見えない極夜を生きているように僕には思えるだけです。僕はお金に無頓着な人間で、お金では買えないものがあり、お金はあくまでも道具にすぎないと綺麗ごとを唱えながら、多少の得も損も顧みずに今まで生きてきました(生きてこられました)。
ところが、こうしてお金に困ってみて始めて、お金は血液のようなものだと気づかされました。グルグルと流れているうちは良いのですが、体内から出すぎてゼロになってしまうと命を落としてしまいます。体内に血液が溜まって、淀んでしまうのは良くないと考え、生産事業に投資しようと思った結果が、血が外に出すぎて出血死を迎えようとしているのですから笑えません。
さすがの僕も、会社の口座の通帳とにらめっこして、減り続ける残高をどうにか食い止めることはできないものか、今月はやり過ごすことができそうだと数字ばかりを見るようになりました。このまま突っ走って、全てが砕け散ってしまう前に、この旅を止めて引き返す決断がどこかの時点で必要なのかもしれません。いくら右肩下がりとはいえ、多くの人たちが関わってくれている会社を畳むのは、今のところ現実的ではありません。僕が死んでしまっては元も子もないので、出血を食い止めるためには、今いる馬たちを売るか譲るかしかありません。そうすることで、ひとまず月100万円の支払いをなくすことはできます。ただそう簡単に売れるものではなく、もし売れないようであれば、処分してもらわなければいけません。自分たちが生き残るためには仕方ない選択です。僕がこんなこと書くなんて、がっかりされた読者もいるかもしれませんが、後にも先にも生産者はこうして生きてきましたし、生きていくしかないのです。
残りの食料がかぎられている以上、狩りをする期間のリミットを決めなければならない。獲物がとれず村にもどることになれば、手持ちの食料で帰還しなければならないのだ。あらためて確認すると1カ月弱の食料がのこっていた。
ただ、自分には目に見える食料以外にじつは隠れ食料があることに、私はデポが荒らされた後から気付いていた。
犬の肉である。
英国隊のデポが食い荒らされたことが分かったとき、私は絶対に犬を死なせないと誓ったが、その一方で、もし狩りに失敗して獲物がとれなかった場合は死んだ犬の肉を食って村に戻るしかない、ということも冷徹に見据えていた。獲物がとれなければ犬は必然的に途中で力尽きる。そうである以上、その肉を食わない手はなく、その時点で私の食料は自動的に増えることになる。アムンセンの南極到達行をはじめ昔の探検では犬を食料計画に組みこんでいたことは知識としては知っていたが、自分の犬の肉を食料にするなど現実として想像したことはなかった。
(中略)
実際に食う食わないは別として、獲物がとれなかったときのことを視野に、犬の肉を計算のうちに入れておかないといけない。犬の普段の体重は推定約35キロ、餓死して20キロになるとしても贓物をふくめて10キロは食える部分があるだろうから、死んだら十日分の食料として見込める。手持ち食料と犬の肉をあわせると残りの食料は35日から40日分、となると今日が1月10日だから狩りが失敗しても2月15日から20日頃まで食い物はあることになる。この時期ならもう十分明るいので氷河の入口も判別できるだろうから、最悪、自分だけは村に生還できる。ひとまずこのあたりをデッドラインにして狩りに許された期間を逆算した。
──「極夜行」角幡唯介著より引用
角幡さんがここで言う食料と僕たちとってのお金はほぼ同じです。残りの食料を冷静に計算して、ここまで行ってもダメだったら引き返すというデッドラインを決める。自分たちが生きて戻るためには、唯一のパートナーである犬さえも食べるしかありません。冷徹かもしれませんが、命のやり取りなくしては、全員が死んでしまうからです。
この先、どれぐらいの出費があるのでしょうか。大ざっぱに計算してみても、エクワインレーシングに約50万円(福ちゃんの育成費)、碧雲牧場に約30万円(ダートムーアとスパツィアーレ、スパ治郎の預託料)、ルリモハリモの預託厩舎に約20万円(半持ちなので1/2)、計100万円/月です。当面、収入の見込みがあるとすれば、ルリモハリモがレースで走ってくれた賞金(半持ちなので1/2)ぐらいでしょうか。スパ治郎がセリに出たとしても売れるのは来年(2026年)夏のことです。福ちゃんが来年(2026年)のいつデビューすることができるか分かりませんが、それまでの約1年間にわたって、毎月約100万円を払い続けなければいけません。僕にとってのデッドラインはどこなのでしょうか。馬を犠牲にすることなく、僕は生きて帰ってくることができるのでしょうか。50歳を過ぎて、もうこれ以上、自分の人生に望むものは少ないと高をくくっていた人間が命乞いをしているのですから、惨めなものです。どうぞ笑ってやってください。
人生には勝負を懸けた旅をしなければならないときがある。
勝負といっても誰かを相手にしたものではなく、自分自身を相手にしたものだ。自分を相手に勝負を懸けた旅とは、要するにそれまでの過去に決着をつける旅のことである。
それはつまり、そのときまでに得られた思考や認識をすべて注ぎ込み、それまでの自分自身を旅というかたちで問う行動のことだ。
旅は私にとって冒険でもある。冒険である以上、命の危険があるし、また勝負を懸けるにはそこに何か新しさがなければならないので、そう毎年のようにできるわけではない。しかし何年かに一度、そういうことをやらないと私は自分が腐ってしまう気がする。どこかで勝負を懸けなければ、過去の自分がただいたずらに延長され、先の読める予定調和に堕した行為を延々とくりかえすような人間になってしまうのではないかという恐れがあるのだ。だから自分を腐らせないために、表現主体としての自分を過去から脱皮させて未来にむけて更新するために、何年かに一度は勝負を懸けた旅をしなければならない。
──「極夜行」角幡唯介著より引用
(次回へ続く→)
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