世代に翻弄された『女傑』。牡馬に果敢な挑戦を続けたダンスパートナーの物語
■のちの名血から産まれし女傑

牝馬の時代と言われて久しい。女傑と呼ばれる、並みいる牡馬を向こうに回して颯爽とターフを駆け抜ける駿馬たちが、その美しい姿と類まれな能力とを最大限に発揮して牡馬と互角以上に戦う時代にぼくらは生きている。

ウオッカ、ダイワスカーレット、ブエナビスタ、ジェンティルドンナ、アーモンドアイ…。1頭がターフを去ると、また新たな女傑が生まれ来る。このような牝馬の時代が始まったのは果たしていつごろからのことだろうか?

最初に思い付くのが、牝馬として17年ぶりに天皇賞・秋を勝った女帝エアグルーヴ、という人も多いだろう。おそらく彼女が牝馬の時代の嚆矢だと主張しても納得してもらえるむきは多いはずだ。

しかしぼくには、どうしてもこの牝馬の時代の先駆者として名前を挙げたい1頭の牝馬がいる。彼女は、実は牡牝混合のGⅠの勝ち星がないのだが、その蹄跡を丹念に追っていけばおそらくは賛同がいただけるのではないかと思う。

今回はそんな牝馬の物語である。

ダンスパートナー。1992年5月25日生まれの牝馬である。父は日本競馬の在り方から変えてしまった革命的種牡馬であるサンデーサイレンスで、彼女はこのスーパーサイアーの初年度産駒になる。母は大種牡馬ニジンスキーの直仔、ダンシングキイ。半兄に青葉賞、ステイヤーズSを勝ち、ナリタブライアンの勝ったダービー2着のエアダブリン(父トニービン)がいる。生産は社台ファーム千歳。馬主は吉田勝己氏で、栗東トレーニングセンターの白井寿昭厩舎に所属していた。

初年度産駒から朝日杯3歳Sを制したフジキセキを出すなど、鳴り物入りで種牡馬デビューを果たしたサンデーサイレンス。牝馬からも札幌3歳Sを勝ったプライムステージ(母ダイナアクトレス)を出すなど、その勢いは牡馬だけにとどまらない。

当然ながらダンスパートナーもデビュー後の飛躍を期待されていたものの、待てど暮らせどデビューの報は出てこなかった。実は彼女はゲートが大の苦手であり、3歳(旧馬齢表記)の間はターフに姿を現すことができなかったのだ。

年が明けて4歳、裏開催である小倉競馬場の芝1200mの新馬戦でようやくデビューを果たしたダンスパートナー。16頭立ての1番人気に推された生涯最初のレースのゲートは、やはり出遅れた。しかし、鞍上の増井裕騎手は慌てず、中団待機から直線で抜け出し、2着に2馬身差をつける強い競馬で快勝した。また1頭サンデーサイレンス産駒の期待馬が現れたと競馬ファンは色めきたった。

ところが、レースを経験してもダンスパートナーは一向に出遅れ癖が治らない。2走目に選んだ京都競馬場芝1600mのエルフィンステークス、角田晃一騎手を鞍上に臨んだ出世レースは痛恨の出遅れが響いて2着敗退。続いて桜花賞トライアルのチューリップ賞では武豊騎手を鞍上に配し、必勝の布陣を敷いて臨んだ陣営であったが、重賞ウィナーのプライムステージに次ぐ2番人気に推したファンの期待を打ち砕くかのようにまたしても出遅れ。道中は中団に控えて末脚に賭けた武騎手の奮闘もむなしく、ユウキビバーチェの2着に惜敗。桜花賞の出走権は確保したものの、1勝馬のまま大目標に参戦することになったのである。

■地方から来た怪物牝馬に、牡馬戦線のサンデーサイレンス旋風

1995年の桜花賞戦線をリードしていた馬は、実はサンデーサイレンス産駒ではなかった。関西圏で行われた桜花賞トライアル、報知杯4歳牝馬特別(現:報知杯フィリーズレビュー)。このレースで、その馬はヴェールを脱いだ。それがライデンリーダーである。笠松所属の同馬は「地元じゃ負け知らず」の10戦10勝。とにかく、勢いが凄かった。

1995年は「交流元年」とも呼ばれる。中央競馬のGⅠが地方所属馬にも開放され、従来、中央に移籍しなければ不可能だったGⅠへの出走が地方所属のまま可能となった(指定された中央の競走で指定着順以内に入った場合に限る)。ライデンリーダー陣営はこの第一号として勇躍桜花賞トライアルに参戦。だが中央の競馬ファンもまだ半信半疑、単勝の人気も3.5倍の2番人気と様子見である。前走から14キロマイナスだったが、直線半ばで大外に出されると一気にスイッチが入り、伸びに伸びた。あっという間に1番人気のエイユーギャル以下を差し切って、2着に3馬身半差をつけて桜花賞の待つゴールへと飛び込んだ。

関西テレビで実況を担当していた杉本清氏が、「これは強い!恐れ入った…」と絶句してしまったほどのインパクト。この末脚をもってすれば、桜花賞はもうこの馬で決まりかもしれない…そう思った競馬ファンも多かったのではないだろうか。ハイセイコーやオグリキャップのように中央に移籍しなくとも、地方馬のままで中央のクラシックを勝つ。そんな笠松のファンの願いが叶うのはもはや周知の事実のように思われた、それほど衝撃的なレースであった。

1995年4月9日、京都は雨だった。この年は阪神大震災の起こった年であり、阪神競馬場も大きな被害を受けたため、春の阪神開催は全て京都競馬場で代替開催。もちろん、4月開催の桜花賞も例外ではなかった。単勝オッズ1.7倍と、圧倒的な1番人気に推されたのはライデンリーダー。続いて2番人気は5.6倍で岡部幸雄騎手鞍上のプライムステージ。1勝馬であり「ゲートが出られるか」という条件がつくダンスパートナーは、それでも、素質を評価されて7.6倍の3番人気だった。

雨が降る中ゲートが開く。ダンスパートナーは出遅れて最後方からの追走になった。ライデンリーダーは中団の馬群の中で前走同様に追走に苦労していた。その後方にプライムステージとアネモネステークス2着のワンダーパヒュームが並んで追う。4コーナーを回って直線に入ったが、ライデンリーダーはまだ伸びない。外に出したワンダーパヒュームがいい脚で伸びてくる。先行馬を交わして先頭に立つ。その内からプライムステージ。ようやくライデンリーダーにエンジンがかかる。ワンダーパヒュームと田原成貴騎手が先頭、プライムステージ2番手。大外を突いてダンスパートナーの末脚が炸裂、一気に前との距離を詰めてワンダーパヒュームに襲い掛かる。ゴール。

ワンダーパヒュームが半馬身残して1着。ダンスパートナーがプライムステージを交わして2着に上がっていた。1番人気のライデンリーダーは4着に敗れた。

一方、牡馬クラシックではサンデーサイレンス旋風が吹き荒れていた。桜花賞の翌週に行われた皐月賞は、サンデーサイレンス産駒の大将格と思われていたフジキセキが屈腱炎を発症して戦線を離脱したものの、二の矢、三の矢がすぐさま現れた。中山競馬場での若葉Sを制している3番人気のジェニュインが、4番人気に推されていたラジオたんぱ賞3歳Sの勝ち馬タヤスツヨシをクビ差しのいで戴冠。牡馬クラシックの初戦からワンツーフィニッシュを決めていた。牝馬戦線にもその勢いが飛び火するように、同じサンデーサイレンス産駒のダンスパートナーに注目する向きが増えていたように思う。

■女傑、華麗なる演舞

1995年5月21日、東京競馬場、優駿牝馬。1番人気は桜花賞1番人気だったライデンリーダー。桜花賞では1倍台だった単勝オッズも3.2倍と、やや人気を下げたものの、4歳牝馬特別の末脚を見た者にとっては「東京の長い直線であの脚が炸裂するかも…」と、なかなか評価を下げられるものではなかったことだろう。2番人気には2月に中山でフラワーCを勝利し、4月に東京のスイートピーSを連勝した新星のイブキニュースターが推されて単勝4.5倍。それに続く形でダンスパートナー、プライムステージといったサンデーサイレンス産駒が3,4番人気を占めていた。その後ろに東京得意のトニービン産駒ユウキビバーチェが5番人気、桜花賞馬ワンダーパヒュームは7番人気と意外にも伏兵評価となっていた。

天候は曇り、馬場状態は良馬場。スタンド前でのゲートインを終えて、一斉にスタート。ヤングエブロスが押して押してハナを切った。道中の行きっぷりに難のあるライデンリーダーは早めに位置を取りにいき2番手。イブキニュースター、プライムステージら人気勢は好位から。ワンダーパヒュームは後方の内目。ダンスパートナーは少し遅れ目のスタートとなったが、武騎手は折り合いを重視して後方待機を決め込んだ。

ヤングエブロスが離して逃げる展開。ライデンリーダーはこれを追いかけていく。ダンスパートナーは折り合いに専念。3コーナーを周った大欅の向こう、ヤングエブロスが急速に失速してゆき、代わってライデンリーダーが先頭に立つが4歳牝馬特別ほどの勢いがなく、後続に捉まった。4コーナーを周って直線。先頭は内々を周ってジョージビューティ、これにイブキニュースターが襲い掛かる。手ごたえを失くしたライデンリーダーの内、やや狭いところからオトメノイノリもやってきて、その外からプライムステージ。さらに大外を突いてダンスパートナーとユウキビバーチェが併せ馬で伸びてくる。

直線半ば。ダンスパートナーの末脚がいい。馬場の真ん中を堂々と先頭に立つ。ユウキビバーチェ2番手。内々を伸びてきたワンダーパヒューム3番手。大勢は決した。後続に1.3/4馬身の差をつけて歓喜のゴール、ダンスパートナーの武豊騎手の右手が高々と上がる。日本競馬界にサンデーサイレンス絶対王政の礎が築かれた瞬間であった。

ダンスパートナーは強かった。2着ユウキビバーチェ以下との力差は着差以上に圧倒的なものに感じられた。走破時計2分26秒7。優秀なタイムではあるが、これが1週間後には大きな話題となっていくことになる。1週間後の日本ダービー、サンデーサイレンス絶対王政の始まりを高らかに告げるべく、タヤスツヨシが皐月賞馬ジェニュインを下して、再びサンデーサイレンス産駒のワンツーフィニッシュを決めた。しかしその優勝タイムは2分27秒3、同条件のオークスの方が0.6秒も早かったのである。

そのタイムを根拠に、オークス馬の方がダービー馬よりも強いのではないかと疑問を投げかける人もいた。結果的にその疑問が、特にダンスパートナーのその後のローテーションに大きな影響を与えていったのかもしれない。

ダンスパートナー陣営に「日本の4歳牝馬に敵なし」という思いがあったのかなかったのか、オークスの後、フランス遠征のプランが持ち上がった。目標は9月初旬にロンシャン競馬場で行われるGⅠ、ヴェルメイユ賞。ステップレースとして8月末のノネット賞を使ってヴェルメイユ賞に挑戦するというプランであった。世界的にサンデーサイレンスの血の優秀さをアピールするべく、ダンスパートナーと武豊騎手はフランスへと渡った。だが、ノネット賞は惜しくも2着に入着したが、大目標であるヴェルメイユ賞では良いところなく6着。勝ったのは吉田照哉氏の持ち馬で、のちに日本に輸入されてローエングリンの母となるカーリングであった。

帰国したダンスパートナーについて、今度は秋のローテーションについての話題が物議を醸していた。4歳牝馬の秋のローテーションは当時、ローズS等のステップレースを使ってエリザベス女王杯を目指すのが一般的。ところが陣営はそれを目指すことを良しとしなかった。

ひとつは、エリザベス女王杯はこの翌年に古馬牝馬に開放されることが既に決定しており、翌年以降に再度挑戦することが可能であること。そしてもうひとつは、4歳牡馬の世代レベルを考えたことだった。

先にも述べた通り、日本ダービーの優勝タイムがオークスのそれよりも遅かったということから、単純な比較として、どうしてもダンスパートナー>タヤスツヨシというイメージを持つファンがいた。ダンスパートナーの進むべき道は、既に勝負付けの済んだ4歳牝馬限定のGⅠではなく、牡馬の目指すべき三冠目、淀の3000m、菊花賞となるべきではないのか──。

陣営が牝馬限定GⅠの栄誉ではなく、牡牝を束ねた4歳の頂点の座に挑戦した真意はわからない。だが、上記の想像の通りだったとして、誰が責められるだろうか。当時、牡馬の頂点に立つべきタヤスツヨシが菊花賞トライアルの神戸新聞杯を大穴タニノクリエイトの5着、京都新聞杯をナリタキングオーの7着として株を下げ、また皐月賞馬ジェニュインは距離を嫌って古馬と戦う天皇賞(秋)に向かうなど、4歳三冠路線は混迷の色を深めていた。やはり納得のいく決断ではなかろうか。

そんな中で、海外遠征帰りからぶっつけで菊花賞への参戦を決めたダンスパートナー陣営を、競馬ファンは1番人気に推して迎えることとなった。

■若馬としての演舞は終わり、古馬へ進みだす

18年ぶりに牝馬が参戦する菊花賞。勝てば48年ぶりの快挙と、いつもとは全く異なる意味で注目されたクラシック最終戦は、1995年11月5日、晴天の下に行われた。

多くの馬が問題なくスタートしたが、ただ、タヤスツヨシがゲートから出ず、大きく出遅れる。一方、セントライト記念でワンツーフィニッシュを飾ったサンデーウェルとシグナルライトが先行争いをする中、神戸新聞杯・京都新聞杯をともに2着したマヤノトップガンと田原成貴騎手が先行馬の後ろに位置していた。その後方に2番人気のナリタキングオーと藤田伸二騎手。ダンスパートナーは中団につけ、タヤスツヨシはそのさらに後方へ位置していた。

1周目のゴール板前を越えて、隊列は大きく変わらない。2周目に入ってマイネルブリッジがサンデーウェルを交わして先頭に躍り出ると、マヤノトップガンもこれに続いて先頭4頭が一団になる。3コーナー過ぎの坂の上りを越えてさらに下り。ここでマヤノトップガンが先頭に並ぶ。その後ろからナリタキングオーが迫っていった。

4コーナーを過ぎて直線に向かったところで、先頭はマヤノトップガン。ナリタキングオーが外から2番手に上がり、ダンスパートナーはさらに外に出して伸びてくる。内にイブキタモンヤグラ、トウカイパレス──タヤスツヨシはその後方。しかし馬場の真ん中、マヤノトップガンの伸び脚が良く、ダンスパートナーは伸びきれない。内から伸びるトウカイパレス。最内を突くホッカイルソーを尻目に、マヤノトップガンが先頭でゴール板を通過した。田原騎手が華麗なガッツポーズと投げキッスを見せる裏で、歴史的挑戦と言われたオークス馬ダンスパートナーは伸び負けして5着。ダービー馬タヤスツヨシは6着に終わった。

牝馬には過酷と思われる4歳夏の欧州遠征と菊花賞挑戦。ダンスパートナーは気丈にも戦い抜いたが、その体躯に受けたダメージは相当大きかったものと思われる。1995年を締めくくる最後の出走は暮れの阪神牝馬特別となったが、このレースを1番人気ながらサマニベッピンの2着と取りこぼしている。長い1年を終えて、勝ち星は新馬戦とオークスの2つ。JRA賞で最優秀4歳牝馬に選ばれたが、個人的には、意欲的な奮戦に対する慰労賞的な面も後押ししたような気もしている。菊花賞勝ち馬のマヤノトップガンが有馬記念も制して年度代表馬と最優秀4歳牡馬の称号を手に入れた。彼が頭角を現したことでダンスパートナーは世代最強という論争とやや距離を置くことができた。もしダンスパートナーが菊花賞を勝っていれば翌年以降も世代最強馬として君臨しなければならなかっただろうし、当時のぼくにとってそれは、420キロそこそこの小さな体にしょい込むにはあまりにも重い責務のように感じられていた。だからこそ、あくまで個人的な感覚だが、マヤノトップガンの台頭に一種の安心感を覚えたのである。

■さらに成長する女傑

続く1996年。5歳となったダンスパートナーは、トップクラスの古馬牝馬として牡馬との戦いを続けていた。アメリカJCC、京都記念を連続して2着。産経大阪杯をタイキブリザードの4着とした後、四位洋文騎手に手が代わっての京阪杯を勝利した。

上半期の目標としていた安田記念は6着に敗れたものの、続く宝塚記念はマヤノトップガンの3着と気を吐いた。秋は昨年の忘れ物を取り返すべく、京都大賞典4着からエリザベス女王杯を目指したが、そこには1歳上の女王ヒシアマゾンが待ち受ける。美浦と栗東の名牝対決となったこの1戦は、単勝1番人気はダンスパートナーで単勝オッズ2.4倍。2番人気はブライトサンディーで7.5倍、3番人気はフェアダンスで8.3倍と、上位勢は関西勢が占める。一方、関東勢はホクトベガが8.5倍の4番人気で、ヒシアマゾンは5番人気で9.0倍に推されていた。

ファンファーレに送られてゲートインのところでヒシアマゾンがゲート内で暴れてしまい、黄旗が振られて外枠発走へ。そこから16頭が一斉にスタートし、ハナを奪ったのは福永祐一騎手と4歳馬シーズグレイス。ブライトサンディーと横山典弘騎手が2番手につく。4番手にヒシアマゾンと中館英二騎手、ダンスパートナーと四位騎手はライバルに並んで追走し、フェアダンスと藤田伸二騎手は後方で折り合いに専念していた。

向正面、シーズグレイスが単騎で逃げる。ヒシアマゾン、ダンスパートナーの2頭の女王は4,5番手を追走し、4歳馬のエリモシックが後方からヒシアマゾンをマークする位置へ。3コーナーの坂を上って下るところで、ここまで後方定期に徹していたフェアダンスが一気に先行集団に取り付いてきた。だが、それも意に介さず、4コーナーでヒシアマゾンは外へ、ダンスパートナーは内へ進路を取った。

そして直線、先頭のシーズグレイスに、ヒシアマゾン、ブライトサンディーが外から迫る。一方、ダンスパートナーは最内を差してくる。シーズグレイス逃げる。追うヒシアマゾン、ダンスパートナー。そこに大外からフェアダンスが目の覚めるような末脚で突っ込んできた。

決勝線手前でダンスパートナーがシーズグレイスを交わして先頭に立ち、外からヒシアマゾンが追いすがる。2頭の女王の意地と意地のぶつかり合いに、さらに外からフェアダンスが伸びてきたところがゴール。先にフィニッシュラインへ飛び込んだのはダンスパートナーで、四位騎手はガッツポーズを見せた。

ヒシアマゾンが2着入線で、フェアダンスは3着。しかしこのレースには審議の青ランプが灯った。騒然とするスタンド。やがて場内アナウンスが、ヒシアマゾンの7着への降着を知らせた。

ほどなくして、確定の赤ランプ。この勝利によりダンスパートナーは、誰もが認める古馬の女王の座を自ら掴み取ったのである。そしてこの1週間前に、全弟ダンスインザダークが菊花賞を制覇していたのと併せて、この血統の優秀さをまざまざと見せつけたのだった。

■女傑としての旅路の終わり

その後はジャパンCを6番人気でシングスピールの10着、有馬記念を12番人気でサクラローレルの6着と、牡馬の最強クラスに果敢に挑戦し、跳ね返され続けたダンスパートナー。今にして思えばこの年の年度代表馬となるサクラローレルをはじめとして、マヤノトップガンやマーベラスサンデーといった牡馬の最強クラスが相手となると些か分が悪かったと言える。

しかし、だからと言って彼女の能力を疑う必要は全くない。ダンスパートナーはどのレースでも、小柄なその体全身を使って、常に能力のすべてをぶつけて全力で走ってきた。それがたとえ、長距離のGⅠであったとしても、である。全身全霊を傾けるために消耗も激しく、結果的に凡走してしまうこともあったかもしれないが、彼女のその真摯な姿勢に、ぼくらはダンスパートナーを支持せずにはいられない。この年の最優秀5歳以上牝馬に選ばれたのもごくごく当然のことのように思える。

そしてダンスパートナーは6歳、現役最後のシーズンを迎えた。香港に渡ってクイーンエリザベスⅡ世Cに参戦して8着とした後、河内洋騎手に手が替わった帰国初戦の鳴尾記念をバブルガムフェローの3着、再びのGⅠ挑戦では宝塚記念でマーベラスサンデーの3着と、最強クラスの牡馬との戦いでも好走を続けた。

秋のGⅠシーズン、ダンスパートナーは京都大賞典を4歳馬の俊英シルクジャスティスの2着とした後、連覇を狙ってエリザベス女王杯に駒を進める。レースでは1.4倍の1番人気、後方追走から直線の末脚に賭けたが、1歳下のエリモシックの鬼脚に屈して2着に終わった。

最後のレースとなったのは2回目の出走となった有馬記念。単勝5番人気に推されていたが、もう既に彼女の中に戦う力は残されてはいなかったのか、終始後方のままレースに参加できず14着に終わり、彼女の蹄跡に終止符を打った。

ダンシングキイの血脈の優秀さは折り紙付きで、ダンスパートナー、ダンスインザダークの姉弟だけでなくその下の全妹ダンスインザムードも桜花賞とヴィクトリアマイルでGⅠを2勝するなど、きょうだい3頭でGⅠを合計5勝している。ダンスパートナーはそのダンシングキイの後継の繁殖牝馬として期待されて馬産地に迎え入れられた。

エリシオ、エルコンドルパサー、キングマンボと期待の大きい種牡馬を種付けされた後、6番仔のエンパイアメーカー産駒のフェデラリストが中山記念と中山金杯を勝って、待望の重賞勝ち馬になった。また、3番仔のダンスオールナイトの孫で、ブラックタイド産駒のカムニャックが2025年のオークスを勝ち、30年ぶりにダンシングキイの血脈がオークスを制覇したことも記憶に新しい。

気性難や出遅れ癖に悩まされ、世代の荒波にもまれながら、前へ前へと駆け続けたダンスパートナー。ぼくは彼女に、連綿と続く牝馬の時代を象徴する『女傑』の称号を贈りたいと思う。牡牝混合のGⅠの勝ち鞍はないけれど、世代の期待をその小さな体一身に受けながら、異なる世代の最強レベルの牡馬と渡り合った彼女にこそ、その称号はふさわしいのではないかと思われる。

25戦4勝、2着9回。悔しい思いも人一倍した彼女のことだから、ためらいを見せながらもしっかりと受け取ってくれるに違いない。そんなぼくの一人思いを、あなたはどのように感じるのだろうか。

写真:かず

あなたにおすすめの記事