サリオスの大きな夢、大きな希望

出会いのきっかけは都内のバー

「サリオス」という馬名を初めて耳にしたのは同馬がデビューする3か月ほど前、2019年の3月だった。
当時、都内に「ギャン中が集まるバー」(オーナー談)が存在していたが、たまたまそこで横に座った私と同年代の男性が見たこともないガラス細工の記念品をテーブル上に飾っていた。どうやら一口馬主で命名すると手に入る貴重な品らしい。

そこに刻まれていたのは
「命名記念 サリオス 父ハーツクライ 母サロミナ 命名者○○○様 Silk Horse Club」。

私はその情報だけではピンと来なかったのだが、この時点で姉のサラキアはローズS2着、秋華賞4着の活躍をみせており、そもそも母サロミナはドイツオークスを制した名牝ということ、さらには入厩先が名門・堀宣行厩舎であったことから、「もしかしたら」程度に期待を持った記憶がある。
一方、その席にはサリオスの命名者の一人である男性ほかに、バーの店長さんや他のお客さんも一口馬主の猛者が集まっており、「まあ勝ち上がればラッキーだよ」くらいに意外にも周囲は冷静だった。

その後、サリオスは6月2日、安田記念が行われる週の東京でデビューを迎えた。いわゆる“世代最速組”の新馬戦である。1番人気はダービー馬レイデオロの弟アブソルティスモ。サリオスは2番人気だった。だが、何よりも目を引いたのは馬体重534キロという数字だった。2歳馬とは思えない雄大な馬体である。

レースは5番手追走から直線外へ。軽く促されただけで一気に加速し、先に抜け出したアブソルティスモをあっさり差し切る。2馬身差の完勝。3着はさらに7馬身後方だった。
「もしかしたら」ではなく、「これは本物だ」。そう確信させるには十分すぎる内容だった。

その後、再び命名者にお会いしたのは夏場だったと記憶している。新馬での勝利のお祝いを伝えつつ今後の予定を伺うと、次走はおそらく10月のサウジアラビアRCになるだろうということで、じっくりとその成長を楽しみに待つこととなっていた。

ところがその出会いとなったバーが、サリオスが2走目を迎える前、9月を持って閉店することになってしまった。その命名者とSNSを交換していたことから、幸いにもそのご縁は今も続いているが、何よりもサリオスがそのご縁を繋いでくれていることは言うまでもない。そして、気づけば自分が一口持っているわけでもないのに、命名したわけでもないのにサリオスを追いかけ応援するようになっていた。

正直に言えば、私は一口馬主という世界にほとんど興味がなかった。誰かが命名した馬を、同じ熱量で応援するタイプでもない。どちらかと言えば、少し距離を置いて見る側だったと思う。

それでもサリオスだけは違った。新馬戦で見せた走りは強いというより余裕があり、あの時点で完成度が高いのに、相当な伸びしろがありそうに見えた。

気づけば私は、自分が一口を持っているわけでもないのに、その後のローテーションを気にし、次走の予定を調べ、普通に応援していた。理屈で説明できるかと言われれば難しい。ただ、あの新馬戦で「これは追いかける価値がある」と判断してしまったのだろう。

完璧なはずだった

予定通りサリオスは10月のサウジアラビアRCに出走した。新馬戦の内容が評価され、圧倒的な1番人気に推されたサリオスは3番手からレースを進め、直線へ。外から牝馬のクラヴァシュドールが切れ味を発揮して先頭に立とうとしたが、その内で脚を溜めていたサリオスの鞍上石橋脩騎手がゴーサインを出すと、大きな馬体が躍動。気づけば余裕たっぷりに1馬身1/4差で快勝。重賞初制覇となった。

デビューから2戦とも東京のマイルで勝利していたサリオスは、暮れの朝日杯フューチュリティSへ歩みを進めることに。ここまでの完璧なレース内容がそのまま支持へとつながり、GⅠの舞台でも圧倒的な1番人気に推された。鞍上はR.ムーア騎手が配され、勝負気配は万全。
レースでは危なげなく3、4番手からレースを進める。直線に入り、前が開くと、ムーア騎手の腕が動き始め、鞭が入る。一瞬の加速力はむしろ外から襲い掛かる差し馬のほうが勝るように思えたが、サリオスは一歩一歩確実に加速していくように大きな馬体にスピードが加わっていく。

直線半ばで先頭に立つと、外から伸びてきたはずの差し馬たちが全くついてこれなくなり、坂を登るとますますサリオスが他馬を置き去りに。気づけば2馬身半差の楽勝だった。

当時の命名者とのやり取りはこう残っていた。
― 筆者「おめでとうございます!」
― 命名者「有難うございます!泣きそう」

3戦3勝でいずれも完勝。完璧な成績で2歳シーズンを終えた…はずだったのだが、年末に最大のライバル馬が頭角を現した。いや、正確には11月の東京スポーツ杯2歳Sを終えた時点で、すでにライバルは現れていた。デビュー戦から東京スポーツ杯2歳Sを5馬身差で圧勝し、そして年末のホープフルSも完勝していたコントレイルである。

例年であればサリオスの成績とパフォーマンスを持ってすれば、満票で最優秀2歳牡馬に選出されてもおかしくないのだが、コントレイルがその座に輝いた。そのリベンジは翌年のクラシック路線での戦いに持ち越された。

サリオスの命名記念品(写真は命名者が撮影・ご提供)

静寂に包まれた競馬場に届けたい想い

JRA賞こそコントレイルに譲る結果となったサリオスだったが、筆者はサリオスのほうが強くて速いと信じており、皐月賞、日本ダービーは現地で応援すると意気込んでいた。

しかし、未曾有の出来事が我々を襲った。新型コロナウイルスである。

2020年3月から無観客開催が始まり、日常であったはずの競馬場での生観戦は夢か幻かとなってしまい、当然、皐月賞も日本ダービーも自宅でのテレビ観戦に。

コントレイルとの第1戦は、サリオスにとって初めての中山コースと芝2000mとなる皐月賞。私は、距離は問題ないと見ていた。ただ、あの大きな馬体が中山の小回りでどうかという不安が正直あった。それでも私はサリオスのポテンシャルを信じてレースを見守った。

サリオスは4番手、コントレイルは後方からレースを進める展開となったが、コントレイルが3コーナーから一気にまくり、先団へ襲い掛かる。サリオスが馬群から抜け出したところに外からコントレイル。激しい叩き合いが続いたが、最後は半馬身差でコントレイルに軍配が上がった。

それでも東京コースであれば…そう思って日本ダービーでも私はサリオスの勝利を信じた。

ダービーではコントレイルが3番手から、サリオスが中団の10番手とポジション取りは皐月賞と逆の位置取りに。コントレイルが真ん中から抜け出し、サリオスは大外から襲い掛かる。しかし、距離ロスもあったのか、サリオスがコントレイルを捕らえることなく3馬身差をつけられて2着。悔しい春に終わってしまった。

激戦の疲れを癒した秋は、ダービーでの完敗から距離適性を考慮し、サリオスは菊花賞ローテではなく秋の古馬路線を歩むことに。初戦には毎日王冠が選ばれた。

先輩馬が相手となるが、GⅠ馬もおらずサリオスが圧倒的な1番人気に推されるメンバー構成となった。
11頭の少頭数となったが、トーラスジェミニが大逃げの手を打ち馬群がバラける展開に。C.ルメール騎手を背にしたサリオスは掛かることも焦ることもなく4番手で構えた。

最後の直線に入ると、馬なりのまま抜群の手応えでサリオスは前の3頭を捕まえに行く。残り200m付近であっという間に先頭に立つと、あとは独壇場に。2番手で頑張るダイワキャグニーをさらに突き放し、3馬身差の圧勝でゴールイン。さすがにここは役者が違った。

「サリオスは強い」と信じていた思いが、ようやく形になった瞬間だった。

さあ久々のGⅠタイトル獲得だと意気込んで歩みを進めたのは、朝日杯フューチュリティSと同じ阪神競馬場(当時、京都は改装工事)の舞台で開催されたマイルCSだった。

この時代のマイル路線は今以上にレベルが高く、グランアレグリア、インディチャンプ、レシステンシア、アドマイヤマーズ、ラウダシオンらマイルのGⅠ馬(それも、GⅠ複数勝利馬も多数)がこぞってこのレースに集結していたが、サリオスはその中でも2番人気に推されていた。

しかし、大外枠の後方からレースを進めたサリオスは最後の直線で脚を伸ばすも、前の強豪たちを捕らえられず5着。そのまま3歳シーズンを終えることとなった。

なかなか届かない勝利、そして「声」

GⅠを勝つことができなかったとはいえ、クラシック二冠で2着、秋は古馬相手に重賞勝利とGⅠでの健闘。そして遅咲きの馬が多いハーツクライ産駒であれば、当然、古馬になったサリオスへの期待は大きいものだった。

21年の初戦となった大阪杯では、前年に負かされたコントレイル、グランアレグリアに雪辱を果たす機会が早速やってきた。しかし、道悪もあり5着に敗れてしまう。ただ、コントレイル(3着)もグランアレグリア(4着)も敗れてことから、かなり特殊な環境を強いられた一戦だったという印象で、勝負付けが済んだ感はなかった。

迎えた2戦目が安田記念である。ここは良馬場で、なおかつ実績のある東京競馬場が舞台。そしてマイルの王者として君臨していた女傑グランアレグリアも出走しており、いよいよリベンジの機会が訪れたと思ったのだが、サリオスは最後の直線で進路を失ってしまい、馬群に飲み込まれて8着と大敗してしまった。

ちなみにこの頃、コロナ禍は続いていたものの、徐々に競馬場観戦も再開しつつあり、ついに私はこのレースでサリオスを目の当たりにすることが叶った。しかし、声が出せない時期でもあり、馬群に包まれるサリオスを、唯々黙って見守るぐらいしか出来なかった。

その後はマイルCS6着、香港マイル3着、そして年を跨いで22年になっても高松宮記念15着、安田記念3着と強さの片りんを見せながらも、勝利から遠のく日々をサリオスは送っていた。

2021年安田記念出走時のサリオス(筆者撮影)

捥ぎ取った、取り返した「王冠」

22年の秋は、2年前に勝利していた毎日王冠から始動することとなった。

振り返れば、勝利から遠ざかっていた時間は決して短くなかった。それでも、不思議と私は一度も見限ろうと思ったことはなかった。同じような思いのファンが多かったのか、2年前の毎日王冠以来となる1番人気に支持されていた。

ただ、メンバーは2年前よりも明らかに強化されていた。前年の大阪杯で先着を許したレイパパレ(2番人気)、上がり馬のジャスティンカフェ(3番人気)、2年前のホープフルS馬で、GⅠでも善戦していたダノンザキッド(4番人気)らが立ちはだかる構図である。

レースは好スタートを切ったサリオスだったが、逃げ・先行意欲を見せる馬を行かせて中団の内側でじっくりと構えるレースを選択した。1000mは57.8でやや早めのペース。

直線を向いて馬群がバラけるのかと思ったが、レイパパレ、ダノンザキッドらががっちり前を固め、さらにサリオスのすぐ前にいたポタジェが進路を外に選択したことで、完全にサリオスの進路がなくなってしまう。その姿は、前年の安田記念と同じように視界から消えてしまい、おそらく後方3番手くらいまでポジションを落としていた。

しかし、サリオスも鞍上の松山弘平騎手(前年、大阪杯からマイルCSまで3戦連続騎乗)もあきらめなかった。

残り200mあたりでようやく前が広がったが、その時点で前にいたのは粘るレイパパレとダノンザキッドの強敵2頭。そしてすでにエンジン全開となっていたジャスティンカフェが、大外から先頭に立つ勢いだった。

テレビで観ていた私もさすがに心のどこかで諦めていたが、サリオスは強かった。

松山騎手のアクションに応えてサリオスの脚がジャスティンカフェの脚色と同じになり、そして上回る。
ダノンザキッドとジャスティンカフェの狭い空間を突き破るようにサリオスが一気に先頭に立つ。

残り50mほどで突き抜けると、そこから半馬身差のリードでゴールイン。松山騎手もうれしさを爆発させて、ガッツポーズ、そしてサリオスの首筋をポンポンと叩き、勝利を称えた。

毎日王冠(2022)を勝利したサリオス(写真は松山騎手とサリオスをこよなく愛する筆者友人からご提供)
「王冠」をかぶる松山騎手(写真は松山騎手とサリオスをこよなく愛する筆者友人からご提供)

サリオスの大きな夢と希望は次世代へ

サリオスは次走、マイルCSで14着となったあと、香港マイルを目標に再び遠征していたが、歩様の乱れを指摘され出走取消。結局毎日王冠の勝利が現役最後のレースとなった。

引退後は無事に社台スタリオンステーションでの種牡馬入りが発表され、あの大きな馬体とともに抱いた夢と希望は、次世代へと引き継がれていく。

引退時も命名者と連絡を取ったが、悔しい結果となったものの、無事に種牡馬入り出来たことで安心したとのこと。
「サリオス産駒でダービーを取りに行きます」
というメッセージもあり、着実にサリオスを愛する人々に大きな夢と希望が芽生えていた。

そして後日、毎日王冠を勝利した記念のクオカードをおすそ分けしていただいた。
「寧ろムラマシさんに送らないで誰に送るのか」
といううれしいメッセージとともに。

これはもう、サリオス産駒のダービー制覇を期待し、応援するしかないようだ。その時は当然生観戦で、サリオス譲りの大きな馬体をこの目に映し、サリオスに負けない大きな声で応援する。
(大きな金額を賭けるかどうかはまた別の問題)

サリオス産駒は、26年にデビューし、産駒のイモージェンが函館2歳Sで2着に入るなど、早くも活躍。
あの日、バーで見たガラス細工のように、また新しい物語が始まってゆく。

命名者から戴いたサリオスのクオカード(撮影は筆者)
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