[連載・片目のサラブレッド福ちゃんのPERFECT DAYS]食べるのも才能のひとつ(シーズン2-18)

朝4時起床。牧場の朝は早い。慈さんたちの車の音が聞こえる。目覚ましをかけたわけではないのに、僕も覚醒しています。ベッドから抜け出し、収牧の様子を撮影に外へ出る。外はまだ暗い。北極星とオリオン座が良く見える。身体の芯から冷えるほどは寒くはない。昨夜の雨は上がったが、地面は濡れている。厩舎からの明かりが目に入ってきた。その中から慈さんたちの声が聞こえる。

早く起きることは自律につながる。どれだけ深酒をしようと、朝4時半に馬を収牧しに行かなければならない。それは自然の摂理のようなもので、誰に言い訳することもできない。あなたがその肉体と精神を律し、馬たちが待つ放牧地へと向かわなければならない。

「おはようございます。治郎丸さん、早いですね。もう牧夫ですね」と慈さん。普段は8時ぐらいまで寝ている人間が、たった1日だけ4時に起きただけなのですが、僕は少し牧夫になれたような気がして、誇らしかった。

昨晩はルリモハリモの祝勝会を兼ねて、碧雲牧場でタコスパーティーをしました。パートの青木さんも来てくれました。「おめでとうございます!」と口々にお祝いの言葉をかけてもらい、改めて僕にとって初めての生産馬の勝利であることを思い出しました。2021年10月にダートムーアを繁殖牝馬セールで購入し、そこから4年の歳月を経て、ようやくその子どもがデビューして勝利を挙げたのです。

長かったというのが正直な感想です。その間にも幾多のアクシデントやドラマがあったことは、ウマフリの読者の皆さまは十分にお分かりだと思いますので、今さら書く必要はありません。とにかく山あり谷あり、いや、谷しかなかったと言っても過言ではないぐらい、暗闇の中を歩き続けてきた気がします。それでも一筋の光が見えてきたのです。

パーティーでは、ルリモハリモのゲート飛び出し話に花が咲きました。「誰だよ!と思ったらお前かよ!と思った」と理恵さん、「除外にならなくて良かった」と慈さん、「所騎手が上手に対処してくれた」と青木さん。「ゲートに入った後も油断してはいけないと思い知らされた」と僕は返します。

無事に調教が進み、無事に出走でき、無事にパドックを回り、無事に返し馬を行い、無事にゲートを出て、ようやく競馬になるのです。その上でゴールを先頭で駆け抜けることが、どれだけ難しいことか。その難しいことを、ルリモハリモは成し遂げてくれたのです。

ミヅキさん手づくりのルリモハリモ1着、福ちゃん坂路入りお祝いケーキ

福ちゃんの馬運車事件の話でも盛り上がりました。結局、何が原因で福ちゃんはあれほどに馬運車に乗ることを嫌がって暴れたのか?エクワインレーシングで分場(ヴィレッジ)から昼夜放牧のために清水ファームに移動する際も、清水ファームから坂路のある本場に移る際も、馬運車に乗らなければならないはずなのに、特に暴れて大変だったという報告は今のところありません。

「トレッドミルで狭いところに入れられて、うるさいのにも慣れたから大丈夫になったのかも」と理恵さんは言います。たしかにその説もありますね。「1頭だけじゃなくて、他の馬と一緒に積んで行ったのが良かったのかも」と僕は思いつきで述べますが、もしそうだとしたら、この先、常に他の馬と一緒に馬運車に乗れるかどうか分かりませんから、問題は解決していないことになります。

あーだこーだ意見が交錯し、最後は「治郎丸さんが乗っていたからじゃないですか」という結論に落ち着きました(笑)。そうであれば、僕が福ちゃんと馬運車に乗ることはもうしばらくないでしょうから安心です。

理恵さんは、飲みすぎてしまったそうです。「昨夜は楽しくて、4本もビールを飲んじゃった。お腹が痛いし、気持ち悪い」と言いながら、しかも今日は休みにもかかわらず、朝の収牧に姿を見せています。「今日はお休みじゃなかったの?」と聞くと、「お休みでも朝の収牧だけは来てるんだよ」と答えが返ってきました。お休みでも、気持ちが悪くても(自業自得だが笑)、朝4時半には馬を引きにくるのは家族経営の牧場ならではかもしれませんが、それだけ生活の一部に馬がいて、馬たちと向き合っているということでもあります。日々の馬たちとの営みの中に、喜びも悲しみも吐き気もあるのです。

朝の収牧の風景を撮影し、その後、お母さんたちの馬房を挨拶に回りました。牧場のリーダーであり女王様であるフォーミー、マンちゃんと万次郎の母であるマンデュラ、サバちゃんの母サバイバルポケット、昨年入ってきたチリ―シルバー、最近ダートムーアのことが好きでよく一緒にいるマイオールなど、繁殖牝馬もそれぞれに個性が爆発しています。ダートムーアは相変わらず、一心不乱にえん麦を食べています。外食で美味しいものをしっかり食べてきたのに、自宅に帰ってきてからもおやつは別腹と言わんばかりの姿に逞しさを感じます。「あとでニンジンを持ってくるね」と言って、僕はその場を去りました。

少し歩いたところにある放牧地には、今年生まれたスパ治郎とマン次郎の牡馬2頭が放されています。離乳が終わり、二人だけの生活にも慣れてきたのでしょうか。広い放牧地に寄り添うように2頭で生活しています。昨年は福ちゃんたち碧雲ガールズ4頭がいた放牧地ですから、今年はやや寂しい気も。

ホットロッドチャーリー産駒のスパ治郎は、手肢がスラリと長く、体高があって、まるで芝馬のような体つきです。アドマイヤマーズ産駒のマン次郎は、体高が低く、胸の幅が厚くてマッチョなダート馬のような体つき。馬体だけ見て、この2頭の父(種牡馬)を当てることができる人はいないのではないでしょうか。スパ治郎は黒鹿毛、マン次郎は栗毛と、馬体も毛色も対照的な2頭。まだ当歳馬だけあって、牡馬とはいえ可愛らしさが目立ちます。

そうこうしていると、朝の収牧のあと一旦自宅に戻った理恵さんが迎えに来てくれました。車が運転できない僕をエクワインレーシングまで送ってくれます。いつも感謝です。今日はエクワインヴィレッジ(分場)ではなく、エクワインレーシング(本場)なので、碧雲牧場から40分ぐらいかかりそうとのこと。朝9時半から馬装を開始して、9時40分に坂路入りすると聞いていますので、少し早めに到着しておきたいものです。8時半前には碧雲牧場を出ることにしました。

昨夜は雨が降り続いていましたが、今朝は快晴。すでに太陽の光が差し、暖かさがあります。今日は良い1日になりそうだと僕は感じました。道中もスムーズ、エクワインレーシングに少し早めに到着すると、マネージャーの松田さんが待ってくれていました。松田さんの細やかな連絡のおかげで、いつも助かっています。コミュニケーションが取りやすい番頭さんがひとりいると、外の世界との風通しが良くなり、その企業のイメージは大きく変わりますね。

松田さんに案内されて、福ちゃんの馬房を訪れると、福ちゃんの姿はありません。もぬけの殻。もうウォーキングマシンに入っているのではないかということで見に行きました。馬が外の風景を気にしないようにという配慮からか、ウォーキングマシンの外側にはネットが張られていて、こちらからも中の様子が見えづらくなっています。それでも近くに寄ると、馬たちが後ろから迫りくる壁に追い立てられるようにして歩いています。のんびり歩いている馬もいれば、入れ込んでいる馬もいますし、よそ見をする馬もいます。福ちゃんは外から見ている僕の存在に気づいたのか、僕の目の前を通るたびに外側を回って、歩みを止めようとします。後ろから壁が動いてくるので、慌ててまた歩くを繰り返しています。

しばらくすると、前の坂路組が終わったようで、いよいよ福ちゃんたちの坂路入りの順番がやってきました。ウォーキングマシンから出されて、一旦馬房に戻り、鞍をつけて人間が乗ることに慣らしつつ、まずは体育館のような広場に向かいました。実は今日が初めての広場での準備運動だそうです。これまではロンギ場で円運動をしてから坂路に入っていましたが、今日からは広場で体をほぐします。

初めての場所ですが、福ちゃんを含めて6頭がグループになり縦列行動していますので、不安は紛れるのではないでしょうか。福ちゃんはガレットデロワの24の後をついて歩いています。ガレットデロワの24はクワイトファイン産駒です。クワイトファインは、シンボリルドルフからトウカイテイオーと受け継がれたバイアリ―ターク系のラインを受け継がせようと頑張っていた種牡馬ですね。ガレちゃん(ガレットデロワの24)とは馬房もお隣です。300㎏台と身体がまだ小さい彼女と並ぶと、福ちゃんはずいぶん大きく見えますが、精神的には福ちゃんはガレちゃんのことを頼りにしているようです。

これはあとから聞いたことですが、福ちゃんは預かり先(厩舎)が決まっていなかったので、坂路入りが後ろの組になったようです。調教師が決まっていれば、その先生の方針に合わせて(相談しながら)、調教を強めたり、早めに進めたりすることができるため、準備ができ次第、坂路入りを開始できたのです。ガレちゃんは身体がもう少し大きくなるのを待って坂路入りするのは分かるのですが、すでに480㎏近いの馬格がある福ちゃんがなぜまだ坂路入りしないのか不思議でしたが、そのような事情があったようです。7月中旬の早めに入厩したつもりでしたが、後から入ってきた馬たちが続々と坂路を登っているのを見るにつけ、福ちゃんはまだ体力がついていないのかなと心配していたのですが、厩舎を決めかねていた僕のせいだったのです(笑)。最後のグループになってしまいましたが、福ちゃん、ドンドン抜かしていこう!

隊列を組んで輪乗りしたり、運動をしている福ちゃんの姿を見る僕は、まるで小学校の体育の授業参観に来ている父親のようでした。福ちゃんは実の息子以上に心配してしまう存在であると言っても過言ではありません。それは女の子だからでもありますが、僕たちが背負っているものが違うからです。あまり肩に力を入れすぎるのは良くないと分かってはいますが、どうしてもデビューさせたい、何としても活躍させたいという気持ちは強いのです。だからこそ、日高地方では最高の施設を誇るエクワインレーシングに身の丈を遥かに超える授業料を出して、しっかりと育ててもらっているのです。

「今日はゲートの練習もするようです」と松田さんが教えてくれました。輪乗りが終わると、縦列のまま、ゲートの後ろに回っていきます。福ちゃんとガレちゃんはいつの間にか順番が変わり、後ろの2頭になっています。福ちゃんは最後方。先頭の4頭は少し先輩たちで、ゲートの間を通り抜ける練習は何度かやっているとのこと。先輩たちが通り抜ける後ろをついて行って、気がつくと通り抜けができているという具合です。想定どおり、前の4頭はスムーズに通り抜けていき、ガレちゃんも前の馬について行って、通り抜けました!次は福ちゃんです。

その瞬間、福ちゃんは急ブレーキをかけて、ゲートの手前で止まってしまいました。その手には乗らないぞと言わんばかりに、ピタリと止まり、騎乗者が押しても頑として前に進もうとしません。僕は頭を抱えました。運動会で皆が踊れている中、自分の子だけが踊れていないのを見てしまったような気分です。ガレちゃんは初めてでもできたのに、福ちゃんはできなかった…。やっぱり、あのような狭い場所が怖いのだ。もしゲートに入れなかったら、無理やり入れても暴れてしまったら、レースに出走できないではないか。馴致も終わり、ようやく坂路入りできる段階まで来たのに、ゲートに入れないなんて…。僕には見えていないだけで、福ちゃんの目の前にはいくつもの障害があるのだ…。

ゲートを通ることを嫌がるので、無理やりやっても良いことはないとの判断で、この日は止めることになりました。繰り返しアプローチして、福ちゃんが危なくないのだ大丈夫だと納得して、いつかできるようになれば良いのです。松田さんも「よくあることですよ。特に牝馬は怖がりな面がありますから」となぐさめてくれます。馬運車の件しかり、福ちゃんは初めての場所や物ごとに対して慎重な面があるようです。それは周りが見えているということであり、ある意味、賢いということでもあります。そう考えると、自分を持っていて、周りに流されなかった福ちゃんはさすがだとも思えてきます。ハーメルンの笛吹きには決してついて行かないタイプですね(笑)。

いよいよ準備運動が終わり、福ちゃんたちは坂路の入口に向かいます。松田さんの車に乗せてもらい、僕たちは坂路の中腹から撮影をすることにしました。階段を登り、建設現場にある足場のようなところから、坂路が見下ろすことができます。エクワインレーシングの坂路は1000mあり、ここからはスタート地点から登ってくる様子も、さらに頂上へと駆け上がってくる様子も見られる中間地点です。

「オーナーさん、準備整いました」との松田さんからの合図とともに、福ちゃんたちはスタートを切り、こちらに向かって駆け上がってきます。百メートル先からでも、ウッドチップを蹴る音が聞こえてくる気がします。「福ちゃんは前から2列目の左です」と松田さんは横から教えてくれます。

まだ坂路入りしたばかりの福ちゃんが先頭に立つと、何かに驚いて止まったりすると危ないので、先輩方3頭が先導してくれる形です。さきほどのゲートとは違い、坂路は真っすぐに駆け上がっています。苦しくなって左右にフラフラとよれたり、騎乗者に叱咤激励されて何とか駆け上がっている馬もいる中、福ちゃんはまだ余裕がありそうな手応えです。肉体的にも恵まれていますし、母譲りの走る才能もあるはずです。

あっという間に目の前を通り過ぎ、坂路は終わってしまいました。坂路から戻ってきた福ちゃんを目の前に、育成マネージャーの新平(しんひら)さんに聞いたところ、週に3,4本ぐらい坂路を登るそうです。木曜日と日曜日は坂路をお休みするので、前日の水曜日と土曜日は強めに追うとのこと。今は1ハロン18秒で登っており、まだ軽めですが、少しずつペースアップして負荷をかけていき、来年には1ハロン15秒ぐらいでコンスタントに走れるようになるとデビューが目前とのこと。調教が強くなってくると、牝馬は飼い葉を食べないようになるので、体が減ってしまいがちですが、今のところ福ちゃんはしっかり食べられているそう。

「食べるのも才能のひとつです」と新平さんは言います。ダイナカール牝系の強さは、もしかすると食欲なのかもしれません(笑)。また、新平さんの友人の息子さん(福元大輔騎手)が、カナダで隻眼の馬(マイティ―ハート)に乗ってGⅠレースを勝ったという話で盛り上がりました。そう言えば、福元騎手も福ですね。

僕は福ちゃんの元気そうな姿をこの目で見て、課題や不安を挙げればキリがないけれど、大きな満足感を持ってエクワインレーシングをあとにしました。帰り道で食べた鵡川の「寶龍」のラーメンの美味しかったこと。

(次回へ続く→)

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