
福ちゃんが、勝った。
デビューから二戦目。大外から堂々と進出し、直線で力強く抜け出した。拍手と歓声に包まれながら、そのまま先頭でゴールを駆け抜けた。
少し戸惑いながらも初めて競馬場を走った日から、わずか三週間ほど。二度目のレースで、片目のサラブレッド福ちゃん──ドコフクカゼは、競走馬として最初の勲章を手にした。

おめでとう。
その言葉を、まずは心から届けたい。
先天性の病気である小眼球症によって、左目が見えないドコフクカゼ。競馬を走る馬にとって、それはとても大きなことだ。周囲を走る馬の姿も、激しく揉み合う圧迫感も、迫るライバルの気配も、左右の目から同じように受け取れるわけではない。
そもそも、一頭のサラブレッドが競走馬としてデビューを迎えるまでにはいくつもの壁があって、それらを超えることは決して当たり前ではない。そこに「左目が見えない」という壁まで加わった彼女が競馬場にたどり着くまでに、どれほどの人の思いと努力があったのだろう。

ドコフクカゼという存在を知ったきっかけは、「片目のサラブレッド」という言葉だった。だから私はどうしても、彼女を「ハンデを背負った馬」として見てしまう。
そんな彼女が、文句なしの強さを見せた。両目が見えるサラブレッドと何ら変わらない力強さで、先頭でゴールを駆け抜けた。その姿に胸を打たれる。
その余韻の中で、ふと考えた。
「片目が見えない」というのは、私が外側から彼女を見るときの物差しにすぎないのではないか、と。
ドコフクカゼにとっては、生まれたその瞬間から、その光景が世界のすべてだったはずだ。
「左目が見えない」と聞けば、完璧な世界から何かが欠けているように感じてしまう。けれど彼女自身は、最初からその世界に生まれ、立ち上がり、歩き、走ることを覚えてきた。見えない側の世界を、耳や皮膚の感覚、鞍上から伝わるものを頼りに感じ取り、自分の身体をこの世界に馴染ませてきたのだろう。
彼女は、「持ち得なかったもの」を取り戻そうとして走っているわけではない。与えられた世界の中で、ただ真っ直ぐに走っている。そう思うと、「ハンデを乗り越えて頑張った馬」という物語で彼女を語ってしまうのは、どこか違う気がしてくる。
この日、川崎競馬場で喝采を浴びながら一着でゴールしたのは、ドコフクカゼという、一頭の競走馬だ。
スタートを切り、砂を蹴り、前を行く馬を追い、最後まで走り抜いて、一着でゴールした。ただそれだけの、けれどとても美しく、力強い事実。だからこそ、心の底から嬉しい。
「どこ吹く風」
──何があっても気にしない。どんなことも意に介さず、さらりと受け流して前へ進む。彼女の名前には、そんな飄々とした強さがある。
デビュー戦は4着だった。初めてのパドック、初めての歓声。その中で、まずはゴールまで走りきった。
そして迎えた二走目。一度見た景色を彼女はきっと覚えている。競馬場とはこういう場所なのだと。走って、覚えて、また走る。そうやって、一頭の競走馬として一つひとつの営みを積み重ねていく。その姿に勝ち負けを超えた愛おしさが募っていく。
そしてこの日、ドコフクカゼの世界に、新しい景色が一つ増えた。
歓声の中、先頭でゴールを駆け抜ける景色。そして、たくさんの笑顔に囲まれながら勝利を祝ってもらう景色。
一つ勝ったからといって、この先のすべてが順風満帆になるわけではない。競馬の世界はどこまでも厳しい。けれど、一度勝ったことで、私たちが彼女と共に見られる夢は、確かに広がった。
左目が見えない馬だからではない。ドコフクカゼという名前を持った、一頭の馬。だから、目が離せない。どんな風が吹こうとも、彼女はまた走り出す。私たちがまだ知らない景色の方へ。
その脚取りが、どうかこれからも健やかでありますように。彼女の歩む道を、そっと見守り続けていたい。

写真:うずまき
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