頼れる「南関東の哲学者」・アブクマポーロ

バブル景気が終わり、オグリキャップの引退と共に競馬ブームも陰りをみせ、未来へ向け不安な空気が漂っていた1995年。
アブクマポーロは4歳(当時の表記)にしてデビューを果たしました。
母系こそ地味でしたが、クリスタルグリッターズを父に持つ若駒は大井競馬場で初勝利を飾ります。ところが1番人気に推された第2戦は惜しくも3着に敗れ、待望の2勝目は初戦から2ヶ月後の第3戦でした。
当然、このまま連勝といきたいところでしたが、続くダートの特選レース・マリーゴールド特別と連敗。
第5戦のコスモス特別でようやく3勝目をあげましたが、年内の残り2走も人気ながら敗れ、4歳時の成績は8戦3勝と目覚ましいものではありませんでした。

当時は、あくまでC1クラスの平凡な競走馬だったアブクマポーロ。
ところが翌々年、同馬は地方競馬を抜群の信頼感で支える稀代の名馬に育つのです。
8歳で引退するまでG1連勝を伸ばし、あのスペシャルウィークを抑え年間獲得賞金額1位(1998年)に輝くなど、数々の記録を打ち立てたのでした。

本格化後は常に人気に推され、競馬関係者や騎手からもその強さを讃えられたアブクマポーロ。NARグランプリ年度代表馬を二年連続で受賞した事実は、同馬に対する周囲の信頼の現れでしょう。
今回はアブクマポーロの持つ信頼感の源を、私感ながら、4つのポイントに絞って探っていこうと思います。


①勝ったり負けたりの変動が小さい

信頼するにあたり、これこそが最もシンプルであり大切な要素でしょう。関係者もファンも勝負を託すのですから、コンスタントに実力を発揮してくれる馬は心底ありがたい存在です。
その点、5歳から引退まで快進撃を続けたアブクマポーロは文句のつけようがありません。5歳初戦の白鳥座特別を勝利後、出川厩舎に転厩した同馬は石崎騎手を鞍上に迎え、ブルースカイ特別・麻綿原特別・TVK盃・卯月特別・グリーンC・大井記念と破竹の連勝。
不向きな条件のレースでこそ敗けもしましたが、5歳以降は20勝4敗という素晴らしい戦績を残しました。
しかもそのうち重賞レース含む連勝が二度という驚きの安定ぶりでした。(川崎記念・ダイオライト記念・マイルグランプリ・かしわ記念・帝王賞・NTV盃の6連勝と東京大賞典・川崎記念【連覇】・ダイオライト記念【連覇】の3連勝)
それにしても、さすが地方馬です。
強豪ほど出走回数を絞る傾向にあるなか、アブクマポーロほどの名馬も元気があればどんどん出走する精神には脱帽します。こうして馬券購入の手堅い軸となってくれた点でも、アブクマポーロはとても信頼できる存在でした。

②敗因がはっきりしている

応援する馬がレースで敗れる。
競馬ファンならば何度となく経験したことでしょう。「勝敗は兵家の常」と言いますし、また、ファンは馬券の面でも負け慣れていますから、ショックから立ち直ればおのずと敗因へ目が向けられます。勝負に限らず何事においても、失敗した原因が不明だとすっきりしませんし、課題が分からないままでは行動しようにも不安が付きまとうものです。
ところが原因がはっきりしていれば違います。同じ轍を踏まぬよう原因を避ければ良いのですから、心も晴れやかに次へ進めるのです。

さて、アブクマポーロが5歳以降に敗けを喫したのは4回。
うち6歳時の帝王賞(1997年2着)は成長途上の初G1挑戦のため仕方ないとして、その後のレースについては、すべての敗けについて明確な原因を見出すことができます。オールカマー(1997年8着)は初めての芝レース挑戦。やはりアブクマポーロは砂でこそ、でしょうか。同年の東京大賞典(3着)は、当時2800Mで行われていたため、長距離適正の有無がトーヨーシアトル・キョウトシチーとの着差に現れた結果でしょう。
また、競走生活最後の敗けであるマイルCS南部杯(1998年2着)はあまりに美しい盛岡競馬場のロケーションに馬が放牧地と勘違いした……という話もありますが、やはり、遠征がカギだったのでしょう。

アブクマポーロは南関東では盤石の強さを誇りましたが、遠征が苦手という繊細な面もあったようです。
加えて、この時の優勝馬はあのメイセイオペラですし、後にフェブラリーステークスを勝った強豪の地元で、しかも得意距離より短いマイル戦という点も不利な要素でした。
どんなに強い馬でも弱点はあります。
厩舎をはじめ騎手や関係者は、馬の力を削がぬよう弱点を把握し対処せねばなりません。課題に向き合うにあたって、敗因の明確なアブクマポーロは信頼できるパートナーだったのです。

③心身ともにフレッシュな馬である

これはもう競走成績で一目瞭然です。
5歳で花開いたアブクマポーロは、8歳で引退するまで変わらぬ若々しさで地方競馬を牽引しました。差し脚は年を重ねても鈍らず、馬房で暴れ左後肢飛節捻挫が発症しなければいったい何歳まで活躍したのかと惜しまれます。ファンがアブクマポーロを信じた背景には、陣営が努力して保ち続けたフィジカル面での強さもあったでしょう。

④その圧倒的な勝ちっぷり

アブクマポーロといえば、道中は中団につけジタバタせず、勝負所でスッと動き力強い差し脚で先頭に立つ、レースぶりの素晴らしい馬でした。
勝ちっぷりについては映像を振り返るのが最も説得力がありますが、残念ながらレースを表現するような筆力はありません。なので、ここではアブクマポーロが1998年から1999年にかけて優勝したGIレースについて、実況放送のフレーズを抜粋しつつ回顧します。
なお参照したのは主催競馬場の場内実況の映像で、アナウンサーは当時南関東のレースを担当された及川サトルさんです。(『』内斜体文字が引用部分)

1998年 川崎記念

(抜群のスタートから中団に位置取り、3角すぎて先行集団に取りつくと4角で2番手に押し上げる。逃げたテイエムメガトンを交わし3馬身差をつける圧勝)
『外から満を持してアブクマポーロが抜け出した! 強い強い、強い強い強い! アブクマポーロ、1着ゴールイン!』

1998年 帝王賞

(好スタートから中団へ下げ、4角では6番手あたり。直線ではインをつき、差し脚鋭くバトルラインに1馬身半差をつけ快勝)
『内に入ってアブクマポーロ、内の方から突き抜けるか! エンジンかかった8番のアブクマポーロがまとめて交わして先頭! 強い強い、アブクマポーロ圧勝!』

1998年 東京大賞典

(スタートから5、6番手あたりをキープ。直線では内から馬群を突き抜け、先行したメイセイオペラを捉え2馬身半差の勝利)
『内からさあ、きた! さあ、きた! さあ、きた! アブクマポーロが一気に、あっという間にとらえた! やっぱり強い、今年はこの馬の年だった、アブクマポーロ優勝!』

1999年 川崎記念

(スタート後は中団からやや後ろ。徐々に押し上げ4角では先行集団に。直線では外から並ぶ間もなく他馬を交わし、キョウトシチーに2馬身半差つけての優勝)
『拍手大歓声沸き起こる、ご覧くださいこの脚、この脚強いぞ! アブクマポーロ先頭!』

こうして書き起こすと、臨場感たっぷりに同馬を讃えた名文句が並んでいます。
及川さんはご自身の番組で、良い実況をするのに凝った表現は必要なく、ただ馬の強さを伝えればいいとアブクマポーロから教わった、と語られました。このエピソードからも、アブクマポーロが人に感動を与える圧倒的な強さを誇ったこと、また、「きっとやってくれる」という信頼を一身に集めていたことが伺えます。


競馬は生き物。何があるか分からないし、どんな名馬も常勝ではない。
それは周知の事実です。

ところが、いっぽうで人は馬の脚力に惹かれ、完璧な強さを夢みます。そういった多くのファン、関係者たちの期待に応えるだけの安心感がアブクマポーロにはありました。
現在、種牡馬を引退し、石狩市のオーフルホースコミューンで繋養されているアブクマポーロ。
G1シーズンも佳境を迎えた今、馬券勝負に不安があるならこの馬のレースを思い起こしてみませんか。

頼り甲斐ある走りに元気を貰えるかもしれませんよ!

写真:かずき

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