[連載・片目のサラブレッド福ちゃんのPERFECT DAYS]いないいないばあっ!(シーズン2-37)

福ちゃんが川崎にやって来たことで、会いに行きやすくなりました。この2年間、ほぼ1か月に1回のペースで北海道に通ってきましたので、それが川崎となると気持ちが楽です。あらかじめ往復の飛行機を予約しておく必要もありませんし、2日分のスケジュールを空けておかなくても良いのです。さすがにいきなり来られても長友調教師も驚くでしょうから、「今週の土曜日に行っても大丈夫ですか?」とLINEはしましたが、それぐらいのフットワークの軽さで福ちゃんの様子を見に行けるのです。

7時半前後から馬装をして、8時すぎには調教コースに出るとのことで、僕は少し早めに行くことにしました。小向トレーニングセンターの正門から長友先生に電話をすると、入口まで迎えに来てくれました。長友厩舎まで一緒に歩き、厩舎に入ると福ちゃんはいました。もうすっかり新居に馴染んでいるようです。「元気だった?」と口周りに触れながら挨拶をすると、福ちゃんも僕の手を舐め回してきます。噛まれないように気をつけて、いつでも手を引けるように注意しますが、噛むことはなさそうな雰囲気です。「馬体重が戻らず、まだ460キロです」と長友先生。表面的には落ち着いているように見えるけれど、まだ新しい環境に慣れていないのか、食べたものが実になっていかないようです。馬全体からも、何となく元気のなさが伝わってきます。

長友厩舎の事務所に案内してもらい、つい先日届いたアイシールドを見せてもらいました。メンコの目の周りの部分にマジックテープで付けられるようになっています。調教の際は両目につけて、レースでは右目だけ外すようにしますとのこと。あとで乗ってくれている志村さんに聞いたところ、「付けていても付けていなくても変わりないです」とのことで、違和感はなさそうです。これでひとまずキックバックの砂や泥が左目に入って傷んでしまうことを防げます。そして、福ちゃんのトレードマークでもあるつぶらな左目を隠さずに済みますね。

ドコフクカゼの厩務員に任命された山田さん(彼女募集中だそうです)が、馬装を始めました。てきぱきと丁寧な動きからは馬に対する愛情が伝わってきます。なぜ長友調教師が彼を抜擢したのか、理由は知りませんが、彼がドコフクカゼに合っているということなのでしょう。

馬装の様子を動画に撮っていると、同じ厩舎の女性スタッフさんが「福ちゃんは、いないいないばあっ!が好きなのですよ」と声をかけてくれました。いないいないばあっ?と不思議に思って聞いてみると、福ちゃんが馬房にいて暇そうなとき、手で顔を隠して「いないいないばあっ!」って顔を出すと喜ぶそうです。福ちゃんはそんなことで喜ぶのだと驚いたのと同時に、そうして他の厩務員さんも福ちゃんを目にかけて遊んで(?)くれていることが嬉しく思えました。いないいないばあっ!をされたとき、福ちゃんにはどのような世界が見えて、何が面白いのか、本人に聞いてみたい気がします。

山田厩務員に引かれ、ドコフクカゼは馬房を出て、調教コースへと向かいます。コースに入る前に、ウォーミングアップを兼ねて、まずは歩きます。長友先生に聞くと、いろいろな場所で試してみた結果、ドコフクカゼがいちばん落ち着いて歩く場所があるらしく、今はそこで20分ほど引き運動をするそうです。山田厩務員はひたすらドコフクカゼを引いて歩かせ、僕はその様子を動画に収めます。変わり映えしない風景が続くので、撮影する場所を変えたりと工夫を施してみます。

そうこうしていると、志村さんがやってきました。彼は自厩舎(酒井忍厩舎)の馬の調教をつけてから、ドコフクカゼの背にも跨ってくれます。「昔は20頭ぐらい乗っていましたから、これぐらい全然平気です」と言ってくれますが、彼のような腕達者に乗ってもらえるのは心強い限り。

先日のスナックでへべれけになって下ネタを連発していた志村さんとは違い、ヘルメットをかぶり、鞭を片手に携える志村さんはやっぱり格好良い。ドコフクカゼの背に跨ると、さらに背筋がピンと伸びて、やはり乗れる騎手は背筋が真っ直ぐなんだよなと思わせられます。馬の重心の上に、騎手が垂直に乗っているイメージです。酔っぱらうと「僕より上手い騎手は●●と△△しかいませんね」と豪語するほど自信家な彼ですが、その騎乗姿勢を見ていると誰もが納得してしまうのではないでしょうか。

彼が僕のようにお酒が飲めなければ、今ごろはトップジョッキーになっていたかもしれません。スナックのいちばん良く見える場所に「何月何日までに54キロまでダイエットする!できなかったらお店を貸し切る!」と書いてまで騎手試験に臨もうとしていた彼ですが、そんな志村さんも愛らしくて僕は好きです。

横断歩道を渡って、調教コースまで歩きます。小向トレーニングセンターは市街地の河川敷にあるため、周りにランニングをしている人もいれば、犬の散歩をしている人もいます。交通整理の方々がいなければ、馬と人や自動車がぶつかってしまうかもしれません。人よりも馬と牛が多い北海道からやってきた福ちゃんにとって、ずいぶん賑やかな風景に映るのではないでしょうか。蒸し暑いし、空気悪いし、人が多いなあと思っているかもしれません。

調教コースの中には入れないので、外からドコフクカゼの撮影をします。調教が終わって帰る馬と入口ですれ違う際、いつもドコフクカゼが驚く素振りを見せる場所があるそうです。たしかにこの日もそこで一瞬だけ馬場に入るのを嫌がっていましたが、それ以外は何てことなく、大人しく角馬場まで導かれていきます。山田厩務員が手綱を離し、志村さんを背に角馬場を速歩で回りつつ体をほぐし、そこから周回コースを2周します。1周目はゆっくり、2周目は1ハロン17秒ぐらいのペースです。

エクワインレーシングにいるときよりも楽なメニューとのこと。楽をさせているのに体が増えてこないのは不思議ですが、もしかすると強めを行くようになれば逆にグッと調子が上向いてくるのかもしれません。ドコフクカゼのパートナーは、先月のトレーニングセールで購入されてきたデクラレーションオブウォー産駒の牝馬らしく、福ちゃんと並んでみると、丸々としていて筋肉がギュッと詰まったように映る馬体です。「この馬は900mでデビューして、福ちゃんは1400mですから、レースでぶつかることはありませんね」と長友先生は言います。

志村さんを背にパートナーと併せ、風を切って走るドコフクカゼの姿を遠くから見ていると、僕は急に心配になってきました。最大の障害だと思っていた長距離輸送をクリアしたと思ったら、また次の課題である能力試験に受かり、無事にデビューできて、本当に走るのだろうかという不安が襲われたのです。僕たちは未来のことを考えるから常に不安になるのですね。いないいないばあっ!のように、目の前にようやく光が見えたと思ったらまた真っ暗になる、の繰り返し。福ちゃんのように楽しむ余裕はまだありません。

調教が終わり、厩舎に戻ってきたドコフクカゼはやや入れ込み気味です。息が戻っておらず、鼻の穴が閉じたり開いたりして大きく呼吸をしています。「速いところの調教を積んでいくと、こういう動きがなくなります」と志村さんは言います。汗をかいた全身を洗ってタオルで拭いて、ブラッシングをしてもらいながら餌を食べているドコフクカゼの姿を見て、王様のようだと僕は思いました。自分の意に反してトレーニングを強いられている馬も大変だと思いますが、傍から見るとまるで王様のような生活をしているようにも映ります。サラブレッドと人間、どちらが主でどちらが従なのか分からなくなる、あいまいな境界線がそこにはありました。どちらも幸せであればそれで良いのでしょう。

僕の撮影に長時間付き合わせてしまったことにお礼を言い、長友先生たちと別れました。ドコフクカゼの元気な姿を見られて安心しましたし、実際にドコフクカゼのモーニングルーティンを撮影させてもらい、長友厩舎には素敵なスタッフさんたちがたくさんいると感じました。長友調教師や志村さんだけではなく、山田厩務員やその他のスタッフさんたちに囲まれて、福ちゃんの第3の新生活がスタートしたのです。

(次回へ続く→)

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