「東海S」と聞いて、皆さんはどんな馬を思い浮かべるだろうか。
東海Sの歴史は1984年、グレード制改革によって新設された「ウインターS」から始まる。
その後「東海テレビ杯ウインターS」「東海S」を経て、現在の「東海テレビ杯東海S」となった。
開催時期も12月から5月、1月と時期が移り変わってゆき、直後に控える大舞台へのステップとして多くの名馬や個性派達が挑んできた。
古くはアンドレアモンやライフタテヤマが制し、後にドバイへと遠征したライブリマウントやキョウトシチー、更には地方から遠征し故郷に錦を飾ったアブクマポーロやゴールドプルーフ。
近年で言えばテイエムジンソクやコパノリッキーなどが勝利しているように、G1ステップレースにふさわしく、そうそうたるメンバーが勝ち馬に名を連ねている。
その多くは「前哨戦として文句なし」という評価を受けただろう。
しかし、競馬はギャンブルだ。
いくらG1へのステップレースとはいえ本命が負けたり、想像もつかないような大波乱が起こることもある。
そして大概、そんな舞台で大穴を開ける馬は競走生涯で1度ならず2度、3度と、超高配当の大波乱を巻き起こすことが多い。
2008年の東海S勝ち馬、ヤマトマリオンはまさにそんな馬だった。
ヤマトマリオンの父はサドラーズウェルズ系のオペラハウス。
オペラハウスといえばバリバリの欧州血統で、日本での代表産駒も当時はテイエムオペラオーを筆頭に芝での活躍馬が主だった。
とてもダートの重賞を勝つような産駒が出てくるとは思えない。
一方、彼女の母ヤマトプリティはダートで6勝を挙げていて、その6勝に加え馬券圏内に入線してきた際には殆どの確率で波乱を巻き起こす(13回中5回が万馬券、しかも馬単3連系がないこの時代である)といった本命党泣かせの穴党から愛されるキャラクターとして現役生活を終える。
そして彼女は、安達昭夫師が厩舎を開業して初めて出走させた馬でもある。
そんなヤマトプリティの2番子として静内白井牧場で生を受けた彼女は、母と同じく安達厩舎に所属することとなり、2005年10月の京都芝1200mでデビューし2着。
続く2戦目は8着と敗れるが、3戦目の初ダートで安藤勝己騎手を背に初勝利。
樅の木賞2着を挟んで年明けの自己条件も勝利すると、再び主戦場を芝へと移す。
重賞初挑戦となったチューリップ賞は14着に大敗するが、続く忘れな草賞で14番人気ながらニシノフジムスメから0.4秒差の5着と差を詰めオークストライアル・フローラSへ駒を進める。
レースは2歳女王テイエムプリキュアが出遅れ、ブローオブサンダーが道中抑えきれない形で先頭へと立ってゆくレース。
直線に向いてヤマトマリオンはごちゃつく馬群の間でしぶとく脚を使って先頭集団へ迫り、最後は競り合っていた先頭集団をしっかり捉えてゴール。
10番人気の低評価を覆しての重賞制覇に、スタンドはざわついた。
2着が8番人気のブロンコーネ、3着に4番人気のアクロスザヘイブンが入り3連単は68万馬券。
鞍上の菊沢隆徳騎手は2002年函館2歳Sのアタゴタイショウ以来となる重賞制覇となった。
安達昭夫師には開業時初出走の娘でクラシック挑戦と言うビッグプレゼントを贈り、樫の舞台へと駒を進めた。
しかしそこからはオークス13着、ローズS12着、秋華賞とエリザベス女王杯は9着と、芝の一線級では全く上位に食い込めず三歳牝馬三冠路線を終える。
その後も復活する気配はなく、勝利から1年半後の同じ府中で行われた府中牝馬Sでは先行するも直線ズルズル後退し16頭中15着。
もはや彼女に、かつての重賞ウィナーの面影はなかった。
そして2008年5月25日の中京競馬場。
東海Sがやってきた。
当時はまだ2300mとしての施行でこの後に控える夏の大一番・帝王賞へのステップレースとしての位置づけが濃かった時代。
王者ヴァーミリアンがドバイWCでまさかの最下位に終わり長期休養。
ブルーコンコルドはかしわ記念2着の後休養、カネヒキリは屈腱炎治療中と確固たるJRAダート王者は不在。
既にかしわ記念でボンネビルレコードが勝利し帝王賞連覇への挑戦を決めていたが、彼は元々大井所属。JRA生え抜きの挑戦者は未だ決まらずといった状況であった。
そんな中、東海Sの1番人気は前走アンタレスSで初の重賞制覇を遂げたワンダースピード。
2番人気にこの年2年ぶりの実戦復帰を果たしたフィフィティーワナー、3番人気がG1馬サンライズバッカスといった上位人気陣。
中央ダートは3歳時の500万以来の実戦となるヤマトマリオンは102.2倍の13番人気と、単勝オッズが万馬券となるほどの人気だった。
前の年に地方でスパーキングレディーCを走っているとはいえその時は7着。
しかも勝ったメイショウバトラーから2.2秒差という走りであれば、この人気も致し方なしであろう。
鞍上は初コンビの小林徹弥騎手だった。
前日に降った雨の影響が残り、ダートは脚抜きの良い重馬場。
私達競馬ファンからすれば当時地方最強の雄フリオーソと戸崎圭太騎手へ、新たに挑戦状を叩きつける馬を見届けるレース──そういうレースになるはずであった。
10分後にオークスを控え、スタンドのボルテージが最高潮に近付く中、ファンファーレが鳴りゲートが開く。
好スタートを決めたメイショウシャフトの横から手綱をしごいて兵庫のアルドラゴンと木村健騎手が先頭に立つ。その後ろにマルブツリードとフィフィティーワナーが追走し、この2頭が2番手集団の先頭に位置するのか……と思いきや、外からラッキーブレイクが一気に2番手へと進出。
その動きを見て少し手綱を引いたフィフィティーワナーの外にマイネルボウノットがつけ、さらに後ろにメイショウシャフトとトーセンアーチャー。
ヤマトマリオンはインコースのラチ沿いをぴったりと走っていた。
スタートから先団が激しく入れ替わる展開も影響してかスタートからスタンド前を通過するまで、先頭集団を除いた殆どの先行馬は手綱を引っ張り通しだったが、ヤマトマリオンはそんな様子もなく折り合っているように走っていた。
「折り合いに気をつけようと思っていましたが、うまく前に壁を作って運ぶことができました」
レース後コメント 小林徹弥騎手
結局そのまま道中は長距離らしくゆったりとしたペースで進み、人気のワンダースピードとフィフィティーワナーは4,5番手を追走。
ヤマトマリオンはそのすぐ後ろで2頭の出方を窺う。
サンライズバッカスとメイショウトウコンはいつも通り後方からの末脚爆発に賭けていた。
直線に入ったところでラッキーブレイクと赤木高太郎がアルドラゴンを交わし先頭に立つ。
2番手集団からはマルブツリードが伸びはじめ、ワンダースピードがその更に外から。フィフィティーワナーと岩田康誠は粘るアルドラゴンの横を突こうとしているがなかなか前が開かない。
改修前の小回り中京は直線も短く、この時点で未だ後方のサンライズバッカスとメイショウトウコンは絶望的。
とはいえ先団も先頭のラッキーブレイクを交わせるほどの脚がない。
──このまま決まるのか?
最低人気のラッキーブレイクが粘りこみそうな雰囲気に場内が騒然とし始めた中、後ろから1頭だけじわじわと伸びてくる馬がいた。
マルブツリードの更に内、わずか1頭分のスペースから、白と赤の勝負服を身に纏った13番人気の牝馬が伸びてくる。
──嘘だろ。フィフィティーワナーじゃないのか。
しかし脚色は、内に突っ込んだ彼よりも明らかに彼女の方が勝っている。
それならば1番人気のワンダースピードは……と、外に目を向ければ、伸びてきてはいるもののマルブツリードを交わすのが精いっぱい。
──このままだと大波乱になる。
そんな状況に沸き立つスタンドなどお構いなし。
彼女はフローラSの時と同じように1頭だけ、確実に脚を伸ばす。
人馬共の重賞初制覇に向けて粘るラッキーブレイクと赤木高太郎騎手。
2年ぶり復活の重賞制覇に向けて伸びるヤマトマリオンと小林徹弥騎手。
粘る苦労人へ、復活を懸ける1頭と1人が1完歩ずつ確実に差を詰めてゆく。
果たして彼女達は、最後に2分の1馬身だけ抜け出した。
ヤマトマリオン、芝ダート両方での重賞制覇の瞬間である。
2着にはそのままラッキーブレイクが残り、3着にはなんとかフィフィティーワナーが滑り込んだが、1着が13番人気、2着が最低人気の16番人気という超大波乱の事実にスタンドは異様な雰囲気に包まれた。
払い戻しは馬連16万、馬単31万、3連複69万で、3連単は513万7110円。
これは2021年現在でもJRA重賞歴代5位となる3連単配当である。
この後ヤマトマリオンは中央代表の1頭として帝王賞に挑戦するが10着。
以降は引退まで中央に身を置きながらも地方で走り続けた。
白毛のプリンセスユキチャンと幾度にも渡る死闘を繰り広げ、クイーン賞・TCK女王盃と重賞を2勝。牝馬ダート路線を牽引する主役として大活躍した(帝王賞以降、1年間掲示板も外していない)のだから、母同様、本質的にはダート適正が高かったのだろう。
そんな彼女も流石に競走晩年は掲示板を外すことが多くなり2011年のTCK女王盃11着を最後に現役引退。坂東牧場にて繁殖入りした。
エスポワールシチーとの間に授かった初仔「マリオ」は、早速(?)デビュー戦を8番人気の人気薄で勝利。
2020年に3勝クラス昇格後は苦戦が続いていたが、その年11月の阪神で11番人気3着と激走。
祖母、母同様忘れた頃に穴を開ける遺伝子は確実に引き継がれている。
2番仔マリターは園田で活躍、3番仔マリオマッハーは2勝クラスを勝ち上がると勢いそのままに3勝クラスまで突破し一気のオープン入り。また4番仔マリオンエールもデビュー戦で8番人気2着と、穴血統の片鱗を見せた。
昔、私の祖父が「競馬はブラッドスポーツである。それは何も名馬だけではない。すべての馬にとっての血脈が、ブラッドスポーツと呼ばれる由縁なのである」と言っていた事を思い出させるような一族である。
忘れた頃に波乱を巻き起こす一族、ヤマトプリティの母系。
受け継がれる血脈は確かに子、そして孫へと遺伝している。