その馬は、生まれた時から大きな期待を寄せられていた。それは、G1での活躍を含めた大きな期待だった。
勢いある名牝の血統──そこに新勢力の種牡馬をかけあわせた、近代日本競馬界の結晶ともいえるべき血統馬。
その名は、サートゥルナーリア。
サートゥルナーリアの父は、日本馬として史上初香港スプリント連覇を成し遂げ、初年度産駒から歴史的名牝アーモンドアイを輩出したロードカナロア。
母は2005年の日米オークスを制し、繁殖としても祖母としても大きな功績を残している名牝・シーザリオ。
大きな期待と共に「祭典」を意味する名を付けられたサートゥルナーリアは、阪神競馬場でデビューした。
連勝街道、そして無敗の皐月賞馬へ
新馬戦は9頭立て。
少頭数ながら、直線を向いたとき、サートゥルナーリアは馬群に包まれていた。
しかし前2頭の間を強引にこじ開けて先頭に立つと、後は独走。
そのまま1馬身1/4差でのデビュー勝ちをおさめ、次走・萩Sでは2着のジャミールフエルテに1馬身3/4差をつけて勝利。難なくオープン入りを果たした。
このデビューから2戦の戦い方はどれも文字通りジョッキーが「持ったまま」の楽勝劇。
あまりにも余裕で勝ちすぎていた為、一部のファンからは
「1頭だけ調教みたいな余裕を感じる」
「ノーステッキで勝つとはこう言う事」
と、驚きの声が上がっていた。
特に萩Sの勝利時は、そのレース自体のラップタイムと内容を、まるで最終追い切りのように文字に書き起こしたファンもいたほどだった。
このような勝ち方が出来たのも母シーザリオ、さらにはその祖父スペシャルウィークから遺伝した天性の才能があってこそなのかもしれない。
さらに、新馬戦や2歳の一勝クラスは平均してスローペースの競馬になる事が多いため、サートゥルナーリア自身にとっておあつらえ向きの展開になっていたのだろう。
そして迎えた初のG1挑戦、ホープフルS。
サートゥルナーリアはこれまでの評価が加味され、断然の一番人気に支持された。
レースはサートゥルナーリアがハナを切ろうかというような、まさかの展開からスタート。
しかしすぐさまにコスモカレンドゥラが先頭を奪い、2番手にアドマイヤジャスタが控える。これらの二頭は外枠から大きくサートゥルナーリアに切れ込む形となり、サートゥルナーリアは完全に包まれていた。
ただしペースは、サートゥルナーリアが最も得意とするスローペースとなっていた。
迎えた最後の直線、逃げ粘るコスモカレンドゥラを、アドマイヤジャスタがあっさりと交わして先頭に立つ。
大外からはヴァンドギャルドやミッキーブラック、ブレイキングドーンが追い込みを開始。
しかしただ一頭だけ、手応えが違っていた。
先に抜け出しを図るアドマイヤジャスタの真後ろにピッタリとマークし、進路が空いた一瞬の隙を突いてノーステッキで弾けた。
サートゥルナーリアだ。
ここでも鞍上のミルコ・デムーロ騎手は持ったまま。とてつもなく感じられる「絶対」の差を見せつける形での完勝劇を演じた。
そのあまりの勝ちっぷりの良さに、当然クラシックロードでの活躍を期待されて、サートゥルナーリアは3歳の春を迎えた。
ディープインパクト以来となる無敗での勝利を目指し、挑んだ皐月賞。
ハイペースの中でレースを進めた中、最後の直線ではヴェロックス・ダノンキングリーとの叩き合いを制し、サートゥルナーリアは無敗での皐月賞制覇を成し遂げた。
「もはや2冠達成間違いなしか!?」とすら思えた、日本ダービー。しかしここで母の悪さが露呈してしまい出遅れて後方からの競馬に。
大外を回る形で最後追い上げるも、出遅れが響きロジャーバローズに届かず4着に敗れたのだった。
これが、サートゥルナーリアにとってはじめての敗北となる。しかし世代随一の実力馬という評価は変わらず、夏の休養期間を迎えたのだった。
狂った歯車、引退、そして──。
夏を超えて挑んだ神戸新聞杯。
立て直しを図る形での参戦で、仕上がり途上ではあったものの、ここでサートゥルナーリアは異次元の末脚を発揮する。
最終コーナーで先頭に立ちながら上がり3ハロン32秒3という驚異的な末脚を発揮し、2着のヴェロックスを完封。
そして陣営は菊花賞への出走を回避し、天皇賞秋への参戦を決定。
それはつまり、最強牝馬アーモンドアイに挑むことを意味していた。
しかし迎えた天皇賞秋では、またもや出遅れ癖が響き、終始折り合いを欠く展開になってしまう。
最後の直線では一度先頭には立つものの、それも一瞬だけで後はアーモンドアイ・ダノンプレミアムら後続に呑み込まれてしまい6着と、生涯初の掲示板を外してしまった。
ここから、歯車が狂い出す。
続く有馬記念では天皇賞秋での雪辱を晴らすべく一旦は先頭に立ち抜け出しを図ったものの、それより遥かに異次元の末脚で、同じ勝負服のリスグラシューにアッサリと突き放されて5馬身差の完敗を喫した。
休養明けで始動した金鯱賞ではペースがスローになっていたこともあって楽勝劇を演じたが、
グランプリ宝塚記念ではレース直前に降った雨の影響か、サートゥルナーリア自身のいつもの動きが感じられず、クロノジェネシスやキセキなどの古豪に大きく離された5着になってしまった。
結果的にこの宝塚記念が、サートゥルナーリアのラストランとなる。
その後、天皇賞秋、ジャパンカップ、有馬記念への調整を行っていたが、左トモ飛節の腫れが見つかり全て回避。
2021年での復帰を目指したが、結局この怪我が原因により、以前の力を出す事ができないとクラブ側が判断。種牡馬入りとなった。
10戦6勝。そのうちG1を2勝、G2を2勝という、競走馬としては十分な成績ではある。
しかし──もっとたくさん、歴史的な活躍が可能な存在だったと思っている。
シーザリオの一族は怪我による引退が多く、致し方のない判断だったとも取れる。そして大きな怪我をする事なくしっかりとG1タイトルを2度掴み、古馬でも勝ち星をあげたという点は、特筆すべきだろう。
種牡馬としての期待はやはり、ロードカナロアの後継としてのものが大きいだろう。
半兄エピファネイアは初年度産駒から三冠馬の父になった。素質は間違いなく、名牝シーザリオの血を色濃く残していく事を切に願うばかりだ。
また、サートゥルナーリアは3代目にキングマンボとサンデーサイレンスを持つため、それら二頭の3×4インブリードを持つ可能性のある繁殖牝馬との交配も考えられるのは大きい。
非常に使い勝手が良く融通性も効く配合の為、モーリスや半兄エピファネイアと同様に生産界としても人気になり得るのは間違いないだろう。
まだ、サートゥルナーリアとしての「祭典の物語」は始まったばかりなのだ。
いつしかその物語は、「日本競馬の祭典」に於いて雪辱を晴らす日が来る事を想いに馳せて。