広い青空とうららかな日差しの下、一頭の栗毛馬が気持ちよさそうにクッションに顔を埋めている。穏やかで幸福に満ちた時間。アスリート然とした競走馬の姿とは一転、打算のない表情と溢れ出る愛嬌に嘘はない。
”ウマをダメにするクッション”の魅力を最大限引き出した彼はYogiboと契約を結び、彼の姿はテレビCMと4200万回以上された動画を通じて、競馬に関心を持たないお茶の間にまで広く知れ渡った。
彼の名はアドマイヤジャパン。
かつては英雄・ディープインパクトに肉薄したライバルの一頭として、そして名牝ビワハイジの仔や稀代の才媛・ブエナビスタの兄として、その名は度々フォーカスされた。
だが「ディープのライバル」も「ブエナビスタの兄」も、一時代を築いた名馬を彩る”脇役”としての肩書であり、彼自身のものではないようにも感じられた。
引退から十数年の時を経て、思わぬ形で脚光を浴びたアドマイヤジャパン。かつて冷たく煙る厳冬の中山で名乗りを挙げ、関東の名手を背に、英雄に一矢報いんとクラシックを勇敢に戦い抜いた馬でもある。
本稿では、他のどの馬でもない、彼自身の物語を振り返ってみたい。
最近のファンからすると、"アドマイヤ"の冠名やブエナビスタをはじめとした後の兄弟の印象からは意外なように思えるが、アドマイヤジャパンはノーザンファームではなく、かつてノーザンファームと双璧を為した大牧場・早田牧場新冠支場にてこの世に生を受けた。
母・ビワハイジは1995年の阪神3歳牝馬ステークスをエアグルーヴやイブキパーシヴを退けて優勝したG1馬。デビュー3連勝で3歳女王(旧馬齢)に輝いた彼女は、数年前に競馬界を沸かせたビワハヤヒデと同じ勝負服、同じ生産牧場、同じ調教師のトリオであることも相まってクラシック戦線での活躍を大きく嘱望された。
チューリップ賞ではエアグルーヴ、桜花賞ではファイトガリバーの後塵を拝し、牡馬に挑んだ日本ダービー後に故障が判明。クラシック戦線では一転して苦難の道のりを歩んだビワハイジだったが、1年半に亘る雌伏の時を経て6歳の春に、結果的に引退レースとなる京都牝馬特別で復活を遂げ3つ目の重賞タイトルを手にした。
全てが順風満帆とは言えなかったが、しっかりとその痕跡をターフに刻み付けた。
2002年4月。第3仔として大種牡馬サンデーサイレンスとの間に誕生したのがアドマイヤジャパンであった。
同年11月に早田牧場が倒産し生まれ故郷を失うことになった彼だが、自らに降りかかった不遇など知る由もなく育成時代を過ごし、2歳冬、数多の名馬を輩出した12月の阪神開幕週の芝2000mの新馬戦で初陣を迎えた。
若き乙女たちの頂上決戦・阪神ジュベナイルフィリーズ、あるいはワールドスーパージョッキーズシリーズでの名手たちの競演を待ちわびるファンが詰めかけた阪神競馬場。やや鈍いスタートで中団に構える形となったアドマイヤジャパンだったが、終始余力十分に追走すると、勝負処では5~6頭分外を馬なりで進出する。好位をロスなく先行したオールインサンデーを横目に余力たっぷりに抜け出すと、最後は流す余裕を見せて見事優勝。来春のクラシック戦線での活躍を十分に予感させるスケールの大きな走りを多くのファンに見せつけた。
一躍、期待の新星となったアドマイヤジャパンは、中2週で暮れの出世レース・ラジオたんぱ杯2歳ステークスに駒を進める。京都2歳ステークスで上位を占め、この後クラシック本番でも幾度となく刃を交えるローゼンクロイツ、ヴァーミリアン、シックスセンスが顔を揃えた一戦。実績馬である彼らの間に割って入る3番人気にアドマイヤジャパンが支持されたのは、ファンがそれだけの期待を彼の将来に寄せた証左だろう。
初戦でコンビを組んだ安藤勝己騎手がローゼンクロイツの手綱を取ったことから、生涯の名パートナーとなる横山典弘騎手を新たに鞍上に迎えたアドマイヤジャパンはやや鈍いゲートから中団インを追走する。勝負処から進出し、先頭を伺う脚色で先行各馬ににじり寄ったが、さすがに重賞ではライバルも簡単には止まらない。ヴァーミリアンがローゼンクロイツに京都2歳ステークスの雪辱を果たした半馬身後ろ、3着まで詰め寄ったところでゴールを迎えた。
世代上位と目された同期のライバル達に善戦した収穫は大きかったものの、クラシックへのゲートインに必要な賞金加算が成らなかったアドマイヤジャパン陣営は、意欲の中山遠征を決意。厳冬期に施行される皐月賞と同舞台の伝統の3歳重賞・京成杯に駒を進めた。
前日からの冷たい氷雨に晒された中山競馬場は、朝から気温も殆ど上がらず冷たい風に晒された不良馬場。明け3歳を迎えたばかりの若駒にとっては過酷なコンディションである。マンハッタンカフェの全弟ニューヨークカフェが感冒で当日に出走を取り消したものの、無傷4連勝でダートグレード北海道2歳優駿を制し、鳴り物入りでJRAへ転入してきたシルクプリマドンナの全弟モエレアドミラル、葉牡丹賞を制して中山芝2000mを2戦2勝のウインクルセイド、ラジオたんぱ杯でアドマイヤジャパンと互角の末脚を繰り出したシックスセンスら、3か月後の大舞台を夢見る素質馬が顔を揃えた。
過去2戦と同様の鈍いスタートを切ったアドマイヤジャパンは、馬の行く気のままに後方に控え、馬郡の只中でじっと体力を蓄える。地面を蹴り上げる度に水しぶきが上がる馬場に各馬は脚を取られ、1000m通過は64秒2。後続を離して逃げたウォーターダッシュは3角から手が動き、番手のコスモオースティンは勝浦騎手が身体を丁寧に支えながらの追走、モエレアドミラルは脚を滑らせながらもなんとか一歩一歩と差を詰める。苦しみながらゴールを目指す各馬を見た横山典弘騎手はアドマイヤジャパンを少し馬場のいい外目に持ち出す。
直線、コスモオースティンがモエレアドミラルを振り切り、冷たい雨に濡れた身体を揺らしながらゴールを目指す。その外から勝負服柄の青いメンコを真っ黒にした泥だらけのアドマイヤジャパンが脚を伸ばす。ばしゃばしゃという足音が聞こえてきそうな直線の攻防を制し先頭に躍り出ると、ワンテンポ仕掛けを遅らせたシックスセンスの急追を抑えきって先頭でゴールインを果たした。
──デビューから、わずか1か月半。
心身の強さを問われる厳しい一戦を制し、アドマイヤジャパンはクラシック戦線の最前線に名乗りを挙げた。
一週間後、京都に閃光が走る。
若駒ステークスで到底届かない場所から追い込んであっという間に5馬身も突き抜けたディープインパクトの名は瞬く間に全国区となった。
アドマイヤジャパンにとって「対ディープインパクト」の戦いの火蓋が切られた。
初顔合わせは前日までの降雪の影響が少し残った3月の中山・弥生賞。初東上のディープインパクトにファンの注目が注がれる中、2歳王者マイネルレコルトと共に相手筆頭に押されたアドマイヤジャパンは最内枠を利してひたむきに勝利をめざす。
いつものようにややゆっくりとゲートを出たアドマイヤジャパンだったが、横山騎手は軽く促してポジションを主張し、逃げるダイワキングコンの直後、番手のインを確保する。大外枠から誰にも邪魔されないように泰然自若のディープインパクトに対し、ロスのない緻密なレース運びを見せる。
1000m通過62秒2の超スローペースから後半は11秒台のラップが連発される決め手比べ。5~6頭分の大外から一気に進出するライバルに対し、距離損なく立ち回ったアドマイヤジャパンは逃げたダイワキングコンの更に内に身体をねじ込む。
ディープインパクトが軽やかに突き抜けた刹那、最後まで残していた余力を振り絞って最内からグイと鼻面を伸ばしたアドマイヤジャパンは、そのままディープインパクトと馬体を並べてゴール板を駆け抜けた。
結果は、クビ差惜敗。
ディープインパクトにとっては生涯全12勝の中で最小着差であり、最もライバルに肉薄された勝ち星となった。
ロスを承知の安全策でそれでも勝ち切ったディープインパクトの強さが際立つレースではあったが、アドマイヤジャパンもまた有力馬の一角たることを改めて示す結果となった。
次戦、皐月賞でも健闘及ばず3着に敗れたアドマイヤジャパン。だがこのレースでも横山典弘騎手はライバルを負かさんと、練りに練った策を講じた。
8枠16番から発走したアドマイヤジャパンは、スタートを決めると400m足らずのホームストレッチでスルスルと内に進路を向け、1コーナーでは魔法のようにいつの間にか最内に潜り込む。
「立ち回りが勝敗を分ける中山の多頭数。妥協の無いポジショニングで展開の利を勝ち取る」そんな名手の強い意志が垣間見えるレースプランにアドマイヤジャパンも応え、逃げたビッグプラネットの直後のラチ沿いで力を蓄える。
ゲートで大きく躓き三角で他馬と接触して早め進出を強いられたディープインパクトに初めてのステッキが飛ぶ四角。「ディープ危うし!?」というファンの悲鳴が飛び交う中で、アドマイヤジャパンはギリギリまでため込んだ力を解放しゴールを目指した。
終わってみればディープインパクトの完勝であった。だが、ディープインパクトの影で、逆転の可能性を信じて最善手を指し続ける懸命な人馬の姿がそこにはあった。
横山典弘騎手が前週に騎乗停止となり幸英明騎手に乗り替わった日本ダービーでは正攻法で挑むも後続に呑まれて8着。ひと夏を超えた神戸新聞杯でも先行力をみせるも5着──。走る度にディープインパクトとの力量差は浮き彫りとなり苦難の道は続いた。だが人馬は決して諦めていなかった。
平場のレースで手拍子が起こり、ターフビジョンに入場人員数が発表されると大歓声が起こった菊花賞当日。ディープインパクトの三冠達成の瞬間をこの目に焼き付けようと押し掛けた13万人の群衆で京都競馬場は立錐の余地もなく、文字通り揺れていた。
ディープインパクトの単勝オッズは1.0倍。単勝支持率79%という究極的な数字を示した。パドックに登場すれば無数のシャッター音が鳴り響き、本馬場入場でも地鳴りのような大歓声。ディープの勝利を誰もが信じ、期待する、そんな苛烈な熱気の中、逆転の刃を研いできたアドマイヤジャパンと横山典弘騎手は、三冠最終章で逆転に向けた最大の一手を放つ。
ゲートを飛び出したシャドウゲイトを見ながら、横山典弘騎手はアドマイヤジャパンを周囲のプレッシャーもない離れた2番手に収める。ラジオたんぱ杯2歳ステークスのコンビ結成から5戦目。長丁場に不可欠な強い絆を築いてきた人馬は、息の合った走りで淡々と1周目の坂を下っていく。
対照的なのは大本命のライバルであった。坂の下りで勢いづき、大歓声を受けて更にその気になってしまったディープインパクトを、武豊騎手は馬の後ろに入れて懸命に宥める。折り合いに苦労するライバルに競馬場の全ての目が注がれる中、アドマイヤジャパンは知らぬ間にじわりとシャドウゲイトとの差を詰め、プレッシャーを掛けながら徐々にディープインパクトを引き離す。
その脳裏をかすめるのはセイウンスカイを駆ってスペシャルウィークを、あるいはイングランディーレを駆って四強を打ち負かした姿だっただろうか。抜群のペース判断と淀の長丁場を知り尽くした老獪な名手は、誤算を重ねるライバルに対し、細かなアドバンテージを着実に稼ぎ続けていく。
2度目の坂越えを迎える。ディープインパクトに対して気が付けば10馬身以上のリードを保ったシャドウゲイトとアドマイヤジャパンの姿を前に、「本当に間に合うか……?」と、異変に気付いた競馬場がざわつき始める。
坂の下りでちらりと後ろを振り返った横山典弘騎手が一気のゴーサインを送る。勢いよくシャドウゲイトを捕まえて先頭に躍り出たアドマイヤジャパンは直線入り口、2馬身、3馬身とリードを取り逃げ込みを図る。はるか後方で追撃態勢に入ったディープインパクトがその身を沈める。
アドマイヤジャパンの脚色は鈍っていない。懸命に一歩一歩、大地を蹴ってゴールを目指す。間に合うか。粘り切るか。残り400m。最後の攻防──。
結末は、周知のとおりである。ディープインパクトは軽やかに飛翔し三冠馬の栄冠を勝ち取った。
渾身のレース運びを見せたアドマイヤジャパンに対し、3着ローゼンクロイツや4着シックスセンスは4馬身後方。ディープインパクトが居なければ完勝とも言える見事な走りで3000mを走り切って見せた。
英雄に一太刀を浴びせんと策の限りを尽くし、敢然と先頭に立った彼の勇敢な戦いは、間違いなく第66回菊花賞を印象深く彩っていた。
3歳代表としてジャパンカップに挑むも力及ばず11着。翌2006年の始動戦・産経大阪杯で9着に敗れた後、右前浅屈腱炎を発症してターフを去ったアドマイヤジャパン。数多の出色のパフォーマンスからは意外に思えるが、彼が手にしたタイトルは京成杯の一つに留まった。
だが、彼と入れ替わるように2006年にデビューを果たしたアドマイヤオーラがクラシック戦線を沸かせ、彼がターフを去った年に産まれたブエナビスタが稀代の名牝として歴史にその名を刻み、ジョワドヴィーヴルが、サングレアルが、トーセンレーヴがタイトルを獲る度に、彼の名はフォーカスされた。
弟妹の活躍にも後押しされたアドマイヤジャパンは300頭以上の産駒を残した。直仔が大きなタイトルを掴むことはできなかったが、桜花賞に駒を進めた代表産駒の一頭シーブリーズライフから生まれたサークルオブライフが2021年の阪神ジュベナイルフィリーズを制したことで、彼は「母の父」としてG1タイトルを掴み取った。
──そして2022年。
種牡馬を引退しヴェルサイユリゾートファームで余生を過ごす彼は、一本の動画から訪れた思わぬオファーにより、再びフォーカスされた。
ビワハイジの仔としてこの世に生を受け、ディープインパクトのライバルとして現役時代を生き、ブエナビスタの兄として語られた彼は、主役として「アドマイヤジャパン」という個性を発揮している。
澄み渡る青空の下、芝生の上で心地よく眠るアドマイヤジャパン。
その脳裏に浮かぶのは激戦の記憶か、穏やかな大地の恵みか──。
数奇な道を歩んだ彼が辿り着いた現在地点。どうか彼の幸せが一日でも長く続くことを、かつてのライバルの分まで生を繋ぎ、この世の幸せを享受しつづけることを、心から祈りたい。
写真:かず、ふわまさあき、Horse Memorys、Yogiboヴェルサイユリゾートファーム、I.natsume、shin 1