![[追悼]白い頑張り屋さん。アオラキを悼んで](https://uma-furi.com/wp-content/uploads/2025/11/IMG_4332-scaled.jpeg)
テレビに目をやる。競馬中継に映るのは秋の陽射しを浴びた、何気ない福島競馬場の向こう正面。
ふと、一頭の白い馬がゲートに進む姿が目に映る。
──アオラキ。復帰戦だな。
そんな気持ちでゲートが開くのを見守る。小沢騎手に促され、アオラキは久しぶりの芝生を伸びやかに蹴って駆け出した。
白毛の馬は、そこにいるだけで自然と視線が集まる。
無垢さと神秘さ。生まれながらの特別さを宿した白はいつだって特別だ。たぶん、他の毛色の馬よりも、「活躍したらいいな」という期待を多く集めている。
アオラキもそういう馬だった。2歳夏の函館デビュー。その一歩目から注目の的だった。そこからJRAで17戦、3度の3着。格上挑戦した1勝クラスで4着。

びゅんと速い脚はなくても、父ゴールドシップ譲りのスタミナで白い身体を最後まで目一杯に伸ばして、人々の注目に応えようと勝つために走り続けた。
JRAで勝ち切れなかった彼は地方に転じた。
JRAで一度だけ走ったダート戦は勝ち馬から1秒8も離された10着。ダートが向いている馬でないことは、きっと携わる皆が分かっていたと思う。
それでも彼は地方の砂の深いコースを転々としながら、名古屋でも笠松でも浦和でも高知でも、ひたむきに走り続けた。一年半で24戦。そして9月の笠松で待望の3勝目。
数字で見るだけでも、その歩みに試行錯誤の跡が滲む。そのひとつひとつがどれほど大変で、どれほど貴重だったか。

笠松でアオラキと向き合った笹野調教師は、彼の魅力を「自分がどんな存在かをわかっているところ」と語っていた。
写真を撮られるとき、ちゃんとポーズを取る。そんな話を聞くと、アオラキはきっと、たくさんの人に愛されて、それをまっすぐに受け取る賢さを持った馬だったのだと思えた。
先月には引退馬支援の取り組みの広報大使就任も発表された。それは彼の存在感と日々の頑張り、そしてアオラキを推す多くのファンの声が形になったものに思えた。いつか来る引退の日のあとは滋賀県の「メタセコイアと馬の森」で過ごすことも発表されていた。

そして、待ち望んだJRA復帰の初戦。
福島に降り注ぐ、橙色を少し帯びた陽射しに白い馬体が浮かび上がる。秋の白毛もいいなと思う。
「ここからまた」との期待を集めていた。
レースが動き出した向正面で、アオラキの脚が乱れたその瞬間、私の胸の奥がきゅっと固まった。
厳しい結末を覚悟せざるを得ない、と告げる理性を閉じ込めて、ただ躓いただけでありますように、と心から願った。
競馬場にいると、言葉にならない祈りがどれほど多くの人の胸を占めているかを知る。
ただ無事で。ただ戻ってきて。
それは全ての前提。その願いを、馬たちにどうにか届けたいと願ってしまう。
けれど本当は、どれほど思っても手が届かないことがあるのだということも、知っている。

アオラキの周りには、最後の最後まで声を枯らして応援してきたファンがいた。
「あおらき」の名前の入ったメンコをつけたあの白い馬体を、地方競馬まで追い続けてきた人たちがいた。
アオラキは大きなタイトルを獲るような強い馬ではなかったかもしれない。華やかな記録を残したわけでもない。
つい目に留まってしまう、気づけば応援してしまう、そんな馬だった。ここからもう一度JRAで、そしてその先の穏やかな余生を。そんな姿をもっと追い続けたかった。
それらが全て、この日に途切れてしまったという事実に、胸がずしんと重くなる。
ファンである私にできることは、たぶん、彼のことを忘れずにいること。
あの、ちょっと不器用だけど、懸命に走る白い頑張り屋さんのことを。
どうか、痛みのない場所で。
これまで受け取ってきた愛情を、誰にも邪魔されずに抱きしめていてほしい。
アオラキのご冥福を、心からお祈りいたします。お疲れさまでした。

写真:@pfmpspsm
