澄んだ瞳。凜とした眼差し。
鹿毛の美しい馬体に端正な顔立ち。
堂々とした、気品ある立ち居振る舞い。
パドックで彼が目の前を通る度に、空気が変わる。
そして今もなお「障害の申し子」と言われた飛越センスで、話題を独り占めしてしまう。
「アポロマーベリックって、飛越上手いよね」
「綺麗だったよね」
そんな彼は、中山で華開き、中山に生きた障害馬であった。まさに、中山のJ-G1を取るために生まれてきたかのように。
そして皮肉にもその中山が、彼の最期の地となるのだが。
13戦2勝、2着1回。
これが、アポロマーベリックの平地での戦績だ。
特筆すべきは、1・2着の舞台が全て中山競馬場である事だ。
思えば彼は平地を走っていた頃から「中山で勝つ」運命にあったのかもしれない。
結果的に平地では1000万下で頭打ちとなり、新天地を求めた彼の障害転向が決まった。
アポロマーベリック、4歳春の事である。
蕾が花開く季節。
彼の中に眠っていた才能が、開花した。
最初に障害を飛ばせた時から見せた、抜群の飛越センス。彼を管理する堀井調教師も
「天才ジャンパー」
「流れるような絶品の飛越」
と賞賛を惜しまない。
かくして、アポロマーベリックは障害馬として再スタートを切った。
障害初戦は惜しくも2着。
2戦目にして、障害未勝利戦を勝ち上がった。
初戦も、初勝利も、後のJ-G1制覇を遂げる中山競馬場である。
やはり、運命だったのであろうか。
OP入りの後、東京JS (J-G3) 優勝を含む数々の実戦で得意の飛越に磨きをかけ、その華は見事に咲き誇った。
暮れの大一番・2013中山大障害、初J-G1タイトルを手に入れる事となる。
勢いそのままに次走のペガサスJSを勝つと、2014年中山グランドジャンプ優勝。J-G1・2連勝を成し遂げた。
J-G1の舞台で他馬を率いて大障害コースを駈け抜ける、彼のその姿には、力強さがあった。
大生垣、大竹柵を飛越する、その姿には華があった。
2013中山大障害、8馬身差。
2014中山グランドジャンプ、5馬身差。
「魅せる」レースをする、そんな王者だった。
時は流れ2015年の中山大障害。
一時期の不調を乗り越え、復調の気配を見せていたマーベリック。
「大障害の舞台ならば」と3番人気に推された彼は、この日もいつもの美しい姿で、多くのファンの視線を集めていた。
あの美しい飛越が、そして復活の勝利が見られる……そんな、期待に満ちた視線を。
しかしその結末は、誰もがあって欲しくないと思うものであった。
「アポロマーベリック、競走中止」
限界を超えた脚元が、遂に悲鳴を上げた。異変に気づいた鞍上が手綱を引き、彼は競走を中止した。
3本の脚で身体を支え、馬運車にもなかなか乗れない苦しそうな姿。彼の命が助かるよう祈るファンたち……。
競走中止の300mほど前まで、彼は綺麗な飛越を魅せていた。競走中止と言えど、飛越の失敗ではない。
「マーベリックは天才」……そんなファンの夢を裏切らない「障害の申し子」としての意地だろうか。
中山大障害コース名物の、大竹柵。
その難関障害こそがアポロマーベリックの、馬生最後に飛越した障害である。
中山に生きた彼らしい、渾身の、美しい飛越であった。
障害馬としての再スタートを切った、中山の障害未勝利戦。
中山大障害での初J-G1。
J-G1・2連勝を果たした中山グランドジャンプ。
中山の舞台が似合う天才ジャンパーは、全ての栄光を華の大障害コースに残し、永遠の眠りについた。
ある日、中山競馬場の馬頭観音へお参りに行った所、彼の写真が2枚、供えられていた。
やはりアポロマーベリックは、多くのファンが讃える障害王者である。
その凜とした眼差しの向こうには、何が見えていたのだろう。
華麗な飛越が脳裏を過ぎり、写真に収められた在りし日の姿から、しばらく目を離す事ができなかった。
写真:がんぐろちゃん、ミッド、サムグレ子