2021年ブリーダーズカップデー、25年越しの奇跡。

立冬を迎えた日曜日の朝は、まだ日の出前の薄闇に包まれていた。

窓を開け、闇の中の東の空を見上げた。あの闇の向こう、はるか数千キロの彼方で、「その時」を待つ彼らを想った。ぼんやりとした思考のままに、グリーンチャンネルに合わせる。やわらかな11月の陽光に照らされた、デルマー競馬場が映し出された。

北米最大の競馬の祭典、ブリーダーズカップの朝。
そのライブ映像を見ながら、リアルタイムで応援できる僥倖を、あらためて想う。

日本調教馬が初めてこのブリーダーズカップに挑戦したのは、今から25年も前だった。それから四半世紀、社会のありようは大きく変わり、それとともに日本競馬も変わっていった。

それでも、このブリーダーズカップを勝利する日本馬は、現れなかった。
それでもなお、挑戦を続ける人と馬が今年もいることに、畏敬の念を抱かずにはいられなかった。


2021年、3歳馬のエフフォーリアが歴戦の古馬を破り、天皇賞・秋を制した。

その25年も前の1996年に、戦後初めて4歳(現在の表記で3歳)にして同レースを制したバブルガムフェロー。4歳馬に秋の天皇賞が解放されてから、わずか10年。あのオグリキャップでも成し得なかった快挙を成し遂げた同馬の背には、テン乗りの蛯名正義騎手があった。

何故、バブルガムフェローは大一番で乗り替わりがあったのか?

バブルガムフェローのデビュー以来、その手綱を取ってきた岡部幸雄騎手は、同馬を管理する藤沢和雄調教師とともに、遠く離れたカナダの地にいたのである。タイキブリザードとともに、ブリーダーズカップ・クラシックに挑戦するためだった。

厩舎期待の4歳馬が出走する天皇賞・秋の日に、遠く太平洋を渡った名伯楽と名手。その挑戦はしかし、勝ち馬から20馬身以上も離された最下位での入線という、苦い結果となった。

日本での天皇賞・秋の快挙と、遠く離れたカナダの地での痛々しい敗戦。
その強烈なまでのコントラストは、月曜発売の競馬週刊誌の記事を食い入るように眺めていた私にとって、ブリーダーズカップの原初体験として刻まれている。

あれから四半世紀の時が流れ、幾多の名馬たちが現れては、去っていった。

タイキブリザードの挑戦から、昨年までで述べ13頭の日本調教馬がこのブリーダーズカップに挑戦した。しかしその競馬の祭典の頂は途方もなく高く、25年の時を経ても未踏の地のままだった。


空が白み始めたようにも見えた午前6時前、ラヴズオンリーユーが出走するブリーダーズカップ・フィリー&メアターフのゲートが開いた。

好発を決めて先行したラヴズオンリーユーだったが、向こう正面から激しくなった位置取りに、苦しい内のポジションに追いやられ、外からはライバルと目されたラヴ、そして現地の1番人気ウォーライクゴッテスが押し上げ、狭いポジションで直線を迎える。

しかし、鞍上の川田将雅騎手は引かなかった。スペースが空くのを我慢して、最後の最後にラヴズオンリーユーの力を爆発させた。

ゴール板を通過したあと、小さく、しかし確かに、その右手には握り拳が見えた。その小さなガッツポーズは、日本調教馬が初めて、ブリーダーズカップを制した証だった。

歴史とは、こんなにも鮮やかに、そしてこんなにも力強く、紡がれるものなのか。その驚きを禁じ得なかった。

歴史的快挙の余韻に弛緩していた神経は、そのわずか2時間後に再び沸騰する。

ブリーダーズカップ・ディスタフ。
マルシュロレーヌとオイシン・マーフィー騎手。

ハイペースを後方追走から、3コーナー付近で外から一気に押し上げ、4コーナーで先頭に立った。馬場のど真ん中で粘り込むマルシュロレーヌは、マサラートとともに内から伸びるダンバーロードの猛追撃を、ハナ差で凌ぎ切った。

現地では単勝約60倍、11頭中11番人気での激走。日本調教馬による初めての海外ダートGⅠ勝利。

画面の中、アメリカの砂の上で躍動したマルシュロレーヌは、私の知っているマルシュロレーヌに間違いないのかと、何度も何度もその戦績と血統を見直した。3歳8月の小倉芝1800m未勝利戦で初勝利、前走は門別の交流重賞、ブリーダーズゴールドカップ。父・オルフェーヴル、祖母にはキョウエイマーチ。母系の和風なカタカナが、殊更に美しく見えた。

思考が、なかなか現実に追いつかなかった。

けれどその時間は、快挙をゆっくりと味わう、心地よい時間でもあった。


競馬史に刻まれた、2021年11月7日。

わずか2時間のあいだに起こった、二つの歴史的な勝利。それをリアルタイムで体験できた幸運に感謝したくなる、奇跡の一日だった。

そして何より。
25年前、その必然を信じて、海を渡った人馬がいた。敗戦を怖れず、失敗を厭わず、新しい扉を開こうとした挑戦者がいた。その挑戦を止めずに、続けてきた人馬がいた。

今日の快挙は、その挑戦者たちの勝利でもある。

2頭の牝馬は、これまでの挑戦すべてを、成功に変えた。

ありがとう、ラヴズオンリーユー。
ありがとう、マルシュロレーヌ。

写真:かず

あなたにおすすめの記事