最終決戦 ベルモントステークス プリークネスステークスを終えて、ベルモントパーク競馬場に戻ってきたラニと陣営は、最後の戦いに向けて、早くも準備を開始した。 2冠目からは中2週となるベルモントステークス。5月終わりにもかかわらず30℃を超える暑さだったらしく、ラニのために扇風機を設置するなど、調整に抜かりはなかった。 1...
「名馬」を語るの記事一覧
伝説の新馬戦という、競馬ファンの間での語り草となっているレースがある。 のちの皐月賞馬・アンライバルド、ダービー2着馬・リーチザクラウン──その年の牡馬クラシックで「3強」と称されたうちの2頭。さらにはG1を6勝することになる名牝・ブエナビスタ。 そうした馬たちがデビュー戦で運命的な出会いを果たしたのは、2008年10...
2015年12月27日、ある一頭の馬が現役生活を終えました。その名はゴールドシップ。 おそらく、史上最もファンに”愛された”馬の一頭だったでしょう。ゲートで4秒遅れても人気を博した馬を、私は他に知りません。今回は、その足取りを振り返っていきたいと思います。 夏に函館でデビューしたゴールドシップは、2歳重賞で好走を続ける...
2015年1月24日。アドミッションという1頭の競走馬が、初の障害オープン戦に臨んだ。彼は、とても飛越の綺麗な障害馬だった。飛越の際、他馬の蹄鉄が彼の左後脚に接触してしまうアクシデントがありながらも、結果は4着。一番人気のエーシンジーラインを退けての立派な成績であった。それもカリスマミッキー、ティリアンパープルといった...
2016年の初秋、突如飛び込んできた、ココロノアイ引退の報。 屈腱炎を発症し、その完治に時間がかかるため、オーナーの下した決断だった。レースでは復調の兆しをみせていたばかりのなかでの怪我は、残念でならない。引退後は北海道浦河町にある酒井牧場で繁殖入りとなった。 生まれた牧場に生きて帰り、血を繋ぐこと。 文章にすればシン...
2016年の7月、種牡馬として韓国で繋養されていたメイセイオペラが惜しくもこの世を去りました。22歳でした。 メイセイオペラといえば、1999年にフェブラリーSを地方所属馬として初めて制覇し、岩手競馬の──ひいては地方競馬の星と呼ばれました。JRA開催のG1を地方馬で優勝したのは、17年経った2016年の今になってもメ...
年に一度、世界最強馬を決める大イベント、凱旋門賞。毎年のように日本馬の挑戦は続いているが、その中で1999年に日本馬の4頭目として参戦したのが、後に年度代表馬となるエルコンドルパサーである。 G1勝利数こそ3勝と少ないが、これには大きな理由もある。それ以上に、勝った時の内容がどれも日本歴代最強クラスとも言われるパフォー...
長い歴史を誇る凱旋門賞では、これまでに何頭もの競走馬が素晴らしいパフォーマンスを繰り広げてきました。トレヴ、デインドリーム、ザルカヴァ、シーザスターズ、サキー……その中でも、格別の強さを発揮した名馬がいます。今回はその1997年の勝ち馬、パントルセレブルをご紹介します。 1 名馬の時代 多くの競技において、ややオカ...
年齢による限界など、いったい誰が決めるのだろう。 競走馬である彼の11歳はという年齢は「もう11歳」ではなく「まだ11歳」であった。万能、多才……そのようなタイプがもてはやされる中で、自らの才を存分に活かせる舞台を見つけ、活躍するスペシャリスト。京都の障害コースにおいて、彼に適う者はいるだろうか。 2016年5月28日...
6年前、府中競馬場に降りしきる雨の中、3歳牝馬達がゴールを駆け抜けた、オークス。そこで日本競馬史上初のG1同着優勝を、サンテミリオンと共に成し遂げた名牝が居たのを覚えているだろうか。 史上3頭目の牝馬三冠馬、アパパネである。 父はNHKマイルCと日本ダービーを制した変則二冠馬、キングカメハメハ。母はフェアリーS2着で、...
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語り継がれし「名馬」たち
レース回顧
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[重賞回顧]世界を完封! 主役はやはり日本総大将~2024年・ジャパンカップ~
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[重賞回顧]最速の母”ラッシュ”から魂の”ラッシュ”へ、鞍上が繋ぐ悲願成就!~2024年・マイルCS~
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[重賞回顧]”バド”の雪辱を、”スタニング”が晴らす見事な勝利~2024年・エリザベス女王杯~
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[重賞回顧]夕暮れに映えた白き古豪、ハヤヤッコ~2024年・アルゼンチン共和国杯~
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[地方レース回顧]意地の連覇、意欲の挑戦~2024年・マイルチャンピオンシップ南部杯~
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[重賞回顧]いざ、逆襲のとき。武豊騎手とドウデュースが感動の後方一気!~2024年・天皇賞秋~
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[重賞回顧]夏を越して走りが洗練されたアーバンシックが菊の大輪を戴冠!~2024年・菊花賞~